佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 4

Column

知名度急上昇中の5人、「純烈」に会ってきました!【Part.2】

知名度急上昇中の5人、「純烈」に会ってきました!【Part.2】

入院中の病室でひらめいて構想したグループの結成

文 / 佐藤剛

当時の酒井さんはすでに結婚していて、妻のお腹には2人目の子がいた。なんとしても家族を食べさせていかなければならないと、入院中に必死で考えていたときにひらめいたのが、夢の中に何度も出てきた「内山田洋とクール・ファイブ」だった。
今ではムード歌謡コーラスとして扱われている「内山田洋とクール・ファイブ」だが、彼らは1969年にデビューして以来、ロックやドゥワップからの影響を感じさせるグループだった。少なくとも演歌と呼ばれるパターン化された音楽、後ろ向きで湿度の高い内容の歌詞とは、音楽的にも精神的にも一線を画していた。

1960年代後半から演歌と呼ばれるようになった日本調の歌は、戦前・戦後に流行歌と呼ばれていたもので、クラシック系の弦楽器を中心とした小編成の楽団、もしくはジャズのコンボで歌うのが基本だった。戦後になってからはハワイアンを取り入れたり、ラテン音楽への志向が強まるなど、多様化の傾向が出てきた。
そこに大きなインパクトを与えたのが、1969年にデビューした内山田洋とクール・ファイブだった。コーラス・アレンジが黒人音楽のドゥワップ調になり、エレキバンドの演奏をバックにソウルフルで力強いヴォーカリストが、声を張り上げて歌うというスタイルは画期的なものだった。

デビュー曲「長崎は今日も雨だった」が1969年にヒットしたのは、ロックを感じさせるヴォーカリスト、前川清の存在があったからだ。
歌謡曲の伴奏にドラムとエレキ・ベース、エレキ・ギターが導入されたことにより、ヴォーカルは8ビートや16ビートのリズムで歌わないと、勢いとグルーヴ感を出せない時代になった。アレンジの基本にはバンドのリズムセクションがあり、そこに鍵盤が加わり、サックスやトランペットなどの管楽器がソロで絡んでくる。
だからこそ森進一や青江三奈、前川清、藤圭子たちのように、バックビートを活かしたビブラートを使って、特長ある声を武器にした個性的なヴォーカリストたちが登場してきた。
1966年のビートルズ来日公演を境にして、従来の歌謡曲に抵抗感を持っていたロックやジャズを好きな若者に、強くシンパシーを感じさせた彼らは圧倒的に受け入れられた。

ビートルズで音楽の道を選んだ酒井さんが、内山田洋とクール・ファイブに閃きを感じたのは必然だったのかもしれない。それまでにイベントなどのプロデュースを手掛けた経験もあり、そうしたキャリアや人脈を生かしてムード歌謡グループを企画した。
そして前川清の歌声に背中を押されるようにしてメンバー集めを始めると、『忍風戦隊ハリケンジャー』で霞一甲(カブトライジャー)役を務めた白川裕二郎、『仮面ライダー龍騎』で北岡秀一(仮面ライダーゾルダ)を演じた小田井涼平、『仮面ライダーアギト』に葦原涼(仮面ライダーギルス)役で出演していた友井雄亮、東京理科大に通っていた後上翔太とヴィジュアル系ロックバンドのヴォーカルだった林田達也と、5人のメンバーが集まった。
2008年のことである。

「ないないづくし」からの出発だったグループ活動

酒井さん以外のメンバーそれぞれは、歌謡曲についてほとんど知識を持っていなかった。しかも当時はすでに歌謡曲というジャンルが、すでに演歌に組み込まれていて、そこからは大ヒット曲が生まれなくなっていた。 したがってムード歌謡グループの一員になることには、誰しも少なからぬ不安を覚えただろう。だが酒井さんの胸中に湧き上がってきた夢と願望は、そんな不安な気持ちを払拭するに十分なほど、前向きで希望に満ちていたのだった。
勧誘された時の心境を、メンバーたちは次のように語る。

「知らない世界に誘われたわけですけど、知らないから興味深かったというのもあるし、また、とにかく酒井さんの口説き文句が達者で。なんとも夢のある話をするものだから、よし、やってみようと思ってしまって…(笑)」(友井雄亮)

「”紅白に出ないか!?っていう言葉が、とても魅力的で、しかも説得力があったんです。周りには『甘い世界じゃないぞ』って言われたんですが…」(後上翔太)

いざ6人がそろって活動を始めてみると、確かにそこは甘い世界ではなかった。
見よう見まねで、自分たちなりに始めたグループ活動は、まさに「ないないづくし」からの出発だった。それでも酒井さんにはどこかで、根拠はなくとも自信といえるものがあったようだ。

「純烈というのはプロダクションが大きいわけでもない、カラオケコンテストで優勝したメンバーでもない、作家先生の弟子でもない。つまり草野球チームがいきなり、プロ野球を目指すようなものです。正規のルートがまったくない、その中で演歌・歌謡曲の世界に切り込んでいったグループなんですね。
でも世間に逆風が吹いている時だったからこそ、チャンスだと思ったんですよ。こっちはお金がないことには慣れていますからね。イチかバチか、突っ込んで行った者勝ちじゃないかと」(酒井一圭)

そもそも音楽に関しては、全員がアマチュアだった。ボイストレーニングから始まり、レッスンを重ねて所属プロダクションやメーカーとの契約にこぎ着けた。そして第一関門であるCDデビューをするまでに、3年もの年月が費やされた。
2011年にユニバーサルから発売になったデビュー曲は、タイトルが「涙の銀座線」だった。しかし、銀座線なら始発駅の渋谷から31分で終点の浅草に着くが、それほど簡単にスターの座には就けるわけもなかった。デビューはしてみたものの、CDは売れないし、仕事のない日々が待っていた。

「ヒット曲も知名度もないのにメンバーが6人もいる。歌いに行きたくても、ギャラが出せないと言われて諦めたり、経費を抑えるために車で移動して車中泊をしたり。世間が想像する演歌的な下積みも一応経験してきました」(小田井涼平)

そして結成から10年目を迎えた2017年、「純烈」がマスメディアで発見されるときが、ついにやってきたのである。

純烈
涙の銀座線

【収録曲】 涙の銀座線
それからの夕子さん
涙の銀座線(オリジナル・カラオケ)
それからの夕子さん(オリジナル・カラオケ)

スーパー銭湯に活路を見出した慧眼

2017年7月25日に放送されたNHK『うたコン』は、「魅せます!平成黄金時代・夏の陣」というタイトルで、常連の天童よしみや福田こうへいを中心に、NMB48らも登場した。そこへ「純烈」も加わっていたことが、にわかに話題になったのは年末の紅白歌合戦とのからみだった。
NEWSポストセブンがそれを伝える記事に、「NHK紅白 今年の有力候補に桑田佳祐、小柳ルミ子、純烈ら浮上」というタイトルをつけて、コラムニストのペリー荻野さんによる解説を載せた。

平均身長183cmのイケメンによるムード歌謡というのも珍しいが、5人のうち4人がスーパーヒーロー出身というのもすごい。そういえば、私はリードボーカルの白川裕二郎を時代劇で取材したことがあった。そのときは無口な役で、こんなにもお陽気で歌がうまいとは知らなかった。彼は『忍風戦隊ハリケンジャー』のカブトライジャーであり、その前は大相撲の力士「綱ノ富士」。

この他、『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオブラック(酒井一圭)や『仮面ライダーアギト』の『仮面ライダーギルス』(友井雄亮)、『仮面ライダー龍騎』の仮面ライダーゾルダ(小田井涼平)とガタイがいいメンバーが揃う。彼らは10年のデビュー以来、地道にスーパー銭湯や健康ランドでライブを重ねてきた「スーパー銭湯のアイドル」。
結成当時からの目標は「紅白出場、親孝行」。楽曲はオリコンチャート演歌・歌謡ランキングで1位を獲得しているし、古くは三波春夫、近年ではゴールデンボンバーなどが担ってきた紅白の「お祭り枠」(勝手にペリーが命名)にはぴったりだ。

NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20170801_600773.html

8月1日に発売された週刊誌「サンデー毎日」でも、巻頭のカラー5ページで特集を組んで、平成のムード歌謡ダンス・ユニットの「純烈」を取り上げていた。そこではライブの前後に風呂で汗を流すメンバーたちの写真や、ファンの奥さんに同行したご主人と裸の付き合いをするリーダー、酒井さんの写真が紹介された。
さらに活字のページでも「銭湯アイドル 純烈って知ってますか」というタイトルで、ライブの模様をレポートする記事が掲載されている。川越温泉湯遊のライブを取材した記者が、そのリードの文で「50歳熟女記者もはまりました!」と書いていたのが印象的だった。

芸能界の常識を破る、あっけらかんとして自由な態度は、話題作りのために仕込んだものではない。売れていなかった時期から変わらない気さくな雰囲気、それは「純烈」というグループの本質につながっている。 生まれ育った実家がカフェや料亭、それに公衆浴場を営んでいたという美輪明宏は、「人の裸を見てきたから、人間なんてみんな化けているって悟ったんです。肩書や洋服が立派なだけ。国境も、職業も、人種も、人間の本質とは関係ないんだ」と語っている。

その意味で銭湯で裸になってしまえば、その人が金持ちであろうが、貧しくあろうがいっさい関係はない。なにしろ「純烈」は何もないところからスタートして、演歌・歌謡曲の世界に切り込んでいったグループなのだ。 何もないことを武器にして初めから虚飾を捨てた「純烈」が、イチかバチかの勝負に行くにあたって、裸で戦える戦場としてスーパー銭湯に活路を見出したのは、正しく慧眼だったのである。

純烈の楽曲はこちらから


著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか

著者:佐藤剛
出版社:文芸春秋

三島由紀夫、中村八大、寺山修司……

時代を彩った多くの才能との邂逅、稀代の表現者となった美輪明宏の歌と音楽に迫る、傑作ノンフィクション!

「自分以外の人によって、己れの人生を克明に調べ上げ語られると、そこには又、異なる人物像が現出する。歴史に残る天才達によって彩色された果報な私の人生絵巻が、愛満載に描かれていて、今更ながら有難さが身に沁みる」――美輪明宏

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