モリコメンド 一本釣り  vol. 26

Column

ヒグチアイ 日常忘れてしまうような感情を色濃く映し出す言葉、歌、ピアノが聴き手の心を揺さぶる訳

ヒグチアイ 日常忘れてしまうような感情を色濃く映し出す言葉、歌、ピアノが聴き手の心を揺さぶる訳

まずは「備忘録」という曲を聴いてほしい。クラシックの素養を感じさせる端正なピアノとともに綴られるのは、彼女自身の半生。“中学二年のときに経験したイジメと、そのときの記憶から逃れられないままの自分”“他者に嫌われないように意識するあまり失ってしまった自尊心”から始まり、理想と現実のギャップ、全身全霊をかけた恋愛など、ここには彼女のリアルな姿が描き込まれている。そして彼女はこんなふうに歌う。

「押し殺した感情腐らせても/捨てる場所はないのです/果てにたどり着いた処理場が『うた』でした」と。

いろいろな考え方、いろいろなスタンスがあるが、このフレーズにはシンガーソングライターという人種——人生のなかで経験してきた出来事、そこで生まれた感情を歌にして放出しないではいられない——の本質が確かに刻まれていると思う。

2016年11月にアルバム「百六十度」でメジャーデビューを果たしたシンガーソングライター、ヒグチアイ。ピアノの弾き語りを中心としたサウンド、自らの体験を生々しく描いた歌詞、そして、豊かな低音を活かしたボーカルがひとつになった彼女の“歌”は少しずつ、確実に支持を広げている。濃密な感情表現を体感できるライブパフォーマンスも話題を集め、7月末にはフジロックフェスティバルにも出演。メジャーデビューから約9カ月、上々の滑り出しと言っていいだろう。

しかし、これまでの彼女の人生は挫折の連続だった。

ピアノを教えていた母親の影響もあり、幼少の頃からクラシックに親しみ、ピアノ、バイオリン、声楽などを習っていたという彼女。ショパン国際ピアノコンクールにエントリーするほど本格的に打ち込んでいたという彼女だが、中学2年のときに突如ピアノを諦めてしまう。(「備忘録」で歌われている“中学二年生の頃”のいじめは、ピアノをやめたこととも関係しているのかもしれない)。その後、高校3年生の頃から歌を書き始め、シンガーソングライターとして活動を始めると、今度は“周囲が求めるもの”と“自分自身の実像”とのギャップを埋めることに四苦八苦。デビューのチャンスがあっても、自らの音楽的アイデンティと商業的なアプローチのバランスを取ることができず、何度か逃していきたという。それでも彼女は歌を書き、歌うことを続け、自分自身をどうにか受け入れることで、メジャーデビューというポイントを通過した。その最初の成果が、1stアルバム「百六十度」ということになるだろう。

「百六十度」は、人間の視界(約200度)に入らない領域を表している。このタイトルが示す通り本作には、ふだんはなかなか目に入らない(でも、確実に存在している)感情が色濃く映し出されている。普通に暮らしていると通り過ぎ、忘れてしまうような想いを丁寧に掬い取り、幅広いリスナーが共感できる歌へと昇華する。これこそが“シンガーソングライター・ヒグチアイ”の最大の特徴だろう。高い演奏技術と個性的なフレージングを共存させたピアノも大きな魅力。クラシックのピアニストの道を断念した彼女だが、そこで培ったものは、現在の音楽性にもしっかりと活かされている。

今年7月に発表された「猛暑です e.p」は、“自らを赤裸々に歌う内省的なシンガーソングライター”というイメージを気持ち良く裏切る作品だった。アルバム「百六十度」に収録された「猛暑です」(和テイストのメロディとシティポップ風のサウンドが溶け合う、切なくも愛らしいラブソング)を中心とした本作で彼女は、自らのポップサイドをしっかりとアピール。なくしてしまった“君”のまぼろしを追う男性を主人公にした「夏のまぼろし」、美しいストリングスと流麗なピアノを軸にしたアレンジを軸にした「やらかい仮面」など、音楽性が大きく広がっていることも本作のポイントだろう。(“フード付きの極寒用コートを着てアイスクリームを食べる”というジャケット写真のアマノジャクぶりも、彼女のキャラクターをよく表している)

繊細な感情を普遍的なポップソングに結びつけるソングライティング・センス、そして、物語を伝えるようなボーカルと優れたピアノを中心としたパフォーマンスを備えたヒグチアイの音楽世界はこれから、さらに豊かに広がっていくはず。リスナーひとりひとりの心を揺さぶり、惹きつける彼女の歌をしっかりと味わってほしいと思う。

文 / 森朋之

ライブ情報

【RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO】
8月12日(土) 北海道:石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ

【ヒグチアイ「猛暑ですe.p」発売記念イベント“猛暑地ツアー”~インストア編~】
8月13日(日) 北海道[HMV札幌ステラプレイス イベントスペース]

【信州帰省フェス2017】
8月16日(水) 長野県長野市 NAGANO CLUB JUNK BOX

【ヒグチアイ(夏)ソロコンサート〜まだまだ猛暑ですツアー〜】
8月26日(土) 東京・大久保R’sアートコート
9月2日(土) 愛知・ヤマハ名古屋ホール
9月3日(日) 大阪・西天満GANTZ toi,toi,toi

【PEAK ACTION再open6周年記念イベント3日目!】
9月10日(日) 郡山PEAK ACTION

【音速ラインツアー【しおこんぶ】2017 】
9月13日(水) 下北沢SHELTER

【猛暑ですe.pファイナルスペシャルライヴ 〜ハッピーエンドはドラマの中だけ〜】
9月28日(木) 下北沢GARDEN

オフィシャルサイトhttp://higuchiai.com

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