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今、すべての人が読むべき近未来SFの俊英。難度高い近未来を描く藤井太洋作品の魅力

今、すべての人が読むべき近未来SFの俊英。難度高い近未来を描く藤井太洋作品の魅力

古典SF好きには残念な時代が続いていた

子供の頃からSFが好きだった。

今のように欲しい本がなんでも簡単に手に入る時代ではなかったから、地元の小さな本屋さんの店頭にあるSFを順番に読むしかなかった。星新一や小松左京から始まって、筒井康隆や眉村卓を小学生の頃に読み尽くした。中学に入る頃には、今でいう古典海外SF……A.C.クラークや、アイザック・アシモフ、ロバートA.ハインラインなどを読みふけっていた。

はるか未来、銀河に広がった人類に迫る危機を『心理歴史学』という統計的予想技術で回避するアシモフの『銀河帝国興亡史』、人類進化の未来を示すクラークの『幼年期の終わり』、宇宙の彼方の星でのキナ臭い戦争の香りを嗅がせてくれたハイラインの『宇宙の戦士』。どれも大好きだった。

そこには想像上の技術によって切り開かれる未来が描かれていた。空想の世界に翼を広げ、将来人類が得られるであろうテクノロジーとそれのもたらす未来世界について思いを馳せる時間は、実に楽しかった。

私がこれまで一番好きだったSFはクラークの『太陽系最後の日』という短編だ。その人類とテクノロジーに対する肯定的な結論が好きだった。

しかし、その後、SFの世界はなんだか色あせてきた。

’70年代、’80年代の経済成長の結果、社会的、経済的不安の少ない時代になり、輝かしい未来よりも、退廃的な世界、悲観的な世界を描くことが流行したということもあると思う。しかし、それ以上に現実のテクノロジーが進化することによって、SF作家が現代のテクノロジーを理解してその先を描写ことが段々難しくなってきたということもあるのではないだろうか?

『空飛ぶ自動車』を描くには、それがなぜ飛ぶのか? どうやって浮き上がるのか? どうやって他のクルマとブツからないように管制されるのか? ……などの問題を説明しなければならない。そのためには、現代の技術を理解して、その延長線上にある未開発の技術を説明しなければならない。

量子力学、IT技術、宇宙工学、遺伝子工学……50年前より、テクノロジーははるかに高度になり、細分化され、シロウトには分かりにくくなっている。

そして、中途半端な理解で書くとネットで読者からツッコまれたりする。読者が物語をネットで得られる情報で検証するのは容易だが、作者が現在ある技術を超えて、将来得られる技術を推測して世界観を構築するのは、とても難しくなったと思う。

特に、遠い未来より、近未来を描くのは難しい。

今あるテクノロジーの状況を完全に理解して、その少し先を描かなければならない。

さらに、想像の翼を十分に働かせないと、下手をしたら『それ、もうクラウドファンディングで提案されてましたよ』なんてことにもなりかねない。それではあまりにロマンがない。

SFのような手法を体現して登場した、SF作家

そんな状況下で、日本に『今ある技術のちょっと先』を描くSF作家が現れた。
それが藤井太洋だ。

しかしも、『電子書籍によるセルフ・パブリッシング』という、それ自体がちょっとした近未来SFのような手法で、藤井太洋は我々の前に現れた。

思えば、タブレット型の電子端末で本を読む……というのは、何十年も前から我々SF好きが夢にみていたことだ。それがやっと可能になった状況で、その電子書籍を自ら出版して近未来を描くSF小説家が現れるというのは、奇妙な劇中劇のようで、とても興奮した。

藤井太洋の処女作『Gene Mapper -core-』※1 は、近未来のベトナムを舞台にした話で、『Gene Mapper』という遺伝子加工の技術者が、その技術の運用にかかわる事件に巻き込まれていく……という話。バイオテクノロジーを使った遺伝子加工技術、AR技術を使ったコンピュータ、インターネットの扱いなど、今の技術的状況をよく理解しながら、その20年先を描くという難しいチャレンジをこなした筆力と知識を持った人が登場したことに、私は歓喜した。


『Gene Mapper -full build-』

藤井太洋
早川書房

※1 自己出版時のタイトル。『Gene Mapper -full build-』は完全改稿版


私は『フリック!』というデジタルガジェットの本を作っているのだが、まさに弊誌読者の方々が好きそうな、ガジェットとインターネットの未来が、非常に深い知識と考察を元に書かれていたのだ。

物語の中で、事件はデジタルデバイスや、インターネットの世界だけで起るのではなく、現実的なアンダーグラウンドな勢力のフィジカルな暴力も含めたものになっている。この近未来のテクノロジーと、アンダーグランドな暴力をともなうアクションというのは、以降の藤井太洋作品に共通して現れるモチーフになっていく。テクノロジー描写だけでなく、迫力のあるアクションの描写、そのスピード感がリアリティを増しているのも、藤井太洋作品の魅力だ。

次作『アンダーグラウンド・マーケット』は短編だが、ビットコインのような独立したネット上の決済方式がもたらす未来を、フリーランスの若者の目を通して描く佳作。


『アンダーグラウンド・マーケット』

藤井太洋
朝日新聞出版社

7つの舞台を切り替えて、物語はスピード感を増す!

そして、その若者視点を大きく発展させたのが『オービタル・クラウド』。私が一番好きな作品だ。


『オービタル・クラウド 上』

藤井太洋
早川書房


現在、Reader Storeでは上下巻の2分冊で販売されている。この本こそ、まごうことない傑作だし、SF好きが絶対に読んでおくべき金字塔だと思う。

渋谷のコワーキングスペースで働く若者、イラクのテヘランの科学者、セイシェル島の大金持ち、宇宙に飛び立つIT起業家、アメリカにいる北朝鮮の工作員、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)の軍人、JAXAの国際部のスタッフ……の7つの舞台とそれぞれの登場人物が、別々に描かれ、それぞれの舞台に視点を切り替えながら、そこに登場している人たちが徐々に関わっていく(もしくは過去からの繋がりが浮き上がってくる)という構成が素晴らしい。

主人公である渋谷のコワーキングスペースで働く若者……木村和也という宇宙好きの少年は『メテオ・ニュース』というウェブサービスを運営している。そのかたわらにいる沼田明利少女は天才的な技能を持つエンジニア。

テヘランのジャムシェド・ジャハンシャという科学者は、インターネットさえ不自由なイランのテヘランでテザー推進という宇宙技術を独自に研究・開発している。

セイシェル島の大金持ちオジー・カニンガムは、IT投資に成功したお金で南洋の離島をまるごと買いそこに隠居している。国家機関が持つような大望遠鏡で、趣味の宇宙観察に熱中し、その情報を宇宙関連のゴシップサイトに流している。

宇宙に飛び立つIT起業家ロニー・スマークは、言うまでもなくイーロン・マスク……がモデルだろう。名前もアナグラムっぽい。彼は軌道上のホテル事業を始めるために、最初のお客としてジャーナリストである娘とともに打ち上げを待ってる。

北朝鮮の工作員と一緒に暗躍するのは、日本で評価されず、持たざる国に宇宙開発の灯をともそうとドロップアウトした元JAXAの職員の白井蝶羽。

7つもの舞台と、それぞれの舞台に登場人物がいるというと混乱しそうだと感じるかもしれないが、舞台もキャラクターも非常に個性的なので、まったく混乱せずに読み進めることができる。

和也と明利は、渋谷のコワーキングスペースという現実感のある場所から我々を物語の中に連れていってくれる。ジャムシェドはイランの砂漠から『持たざる世界』の普段知ることのないエキゾチックな雰囲気を見せてくれる。カニンガムとロニー・スマークは僕らがニュースでよく見るIT起業のCEO達の桁外れのリッチで世界を動かす力に満ちた世界から物語を大きくドライブする。そして、かれらに北米にいる白井蝶羽や、NORAD軍人、JAXAの職員達が絡んでいくとともに、そこにはスパイ映画のようなサスペンスとスピード感が加わっていく。

マックブックに、ラズパイそして、コワーキングオフィス

我々にとって嬉しいのが、ガジェットなどに関する違和感のない細かい描写だ。

『明利はマックブックの両脇に種々デバイスとケーブルの束を投げ出した。スマートフォンが三つにタブレットが二枚。十六ポートのUSBハブ、ポータブル無線LAN、モバイルバッテリー。』なんていう細かい表現に、ガジェット好きならつい引き込まれるのではないだろうか?

テザー推進という理論を現実的に描写するために、高性能なCPU、ストレージ、バッテリーなどを搭載した小型高性能コンピュータ……スマートフォンを使うっていうアイデアにも驚かされる。多数のスマホが並行稼働するっていうのが、現代的なトレンドをよく表している。

明利が『ラズベリーパイ』を使いこなすシーンも興味深い。ラズベリーパイは安価(数千円で買える)でプログラムを書き込むことのできるワンボードマイコンで、劇中で使われるようにちょっとしたプログラムを組み込んだ電子工作に使われるし、これまた多数を組み合わせれば、並列処理でちょっとしたスーパーコンピューターを作ることもできる。

『フールズ・ランチャー』というコワーキングオフィスの雰囲気の描写も、実在するコワーキングオフィスをイメージさせてくれて、現実世界と物語世界を繋ぐブリッジになっている。NORADの場面では、ネットユーザーにはおなじみのクリスマスの『サンタ追跡イベント』(現実のNORADのウェブサイトで、サンタの現在位置の情報などが提供される催しが恒例となっている)の裏側も描かれる。

謎解きに検索結果の汚染(大量にデータを流すことで、結局のところ多数決である検索結果を曲げることができる)が使われたり、ちょっとしたシーンに『TEKKEN(鉄拳)』という日本のゲームが韓国で人気があることが描写されたりというのも面白い。

F-15イーグルとF-22ラプターの動力性能の比較も面白い。こんな軍事技術についてはどこから情報を仕入れているのだろう? 空気の薄い超高空でラプターがコブラを演じて胴体下のポッドで進行方向の対象物を撮影するなんていう挙動の描写もまたシビれる。

私は物理の成績はよくなかったので、文中に出てくるさまざまな物体の運動の計算、軌道の計算などがどのぐらいリアルなのかは分からないが、他の情報の密度と正確性から思うにキッチリと矛盾のないように構築されているに違いない。

細かいディテールが積み重なって、7つの舞台の登場人物たちの運命の糸が絡まり、ひとつの大きなイベントとその阻止に向かって物語は加速していく。その収斂の仕方、伏線の回収されっぷりは、物語を読む楽しみをたっぷり体験させてくれる。

そして終局。藤井太洋作品の素晴らしいところは、変にシニカルにならず、テクノロジーと人類の未来をポジティブに描いているところだ。いくつかの悲しい、辛いできごとは起こるが、和也と明利という若者の能力とテクノロジーが開く未来は明るい。そして、周囲の大人たちはそれぞれの立ち位置で、若者の開く未来を支援する。SFはやっぱりそうあって欲しいのである。

SFが明るい未来を描かなくてどうする

もちろん、この後に書かれた『ビッグデータ・コネクト』や、その他の小品も面白い。

ちょっとだけ危惧していることもある。あまりにも現代からスレスレの未来を描いているから、10年後、20年後に読んだら、違和感を感じてしまうという心配だ。たとえば、スマホやラズベリーパイのような最新技術は、10年、20年後には、現在からみたポケベルやフロッピーディスクのように時代錯誤なものになっていくだろう。

とはいえ、物語の面白さは変わらないから、きっと将来読んでも面白いだろう。むしろ、これらの発生する時代錯誤感が興味深いスパイスとして作用しているといいなぁ……と思うのだが。

SF作家が未来の技術を描いてくれないと困るのだ。宇宙旅行や、ロボット、壁掛けテレビや拡張現実だって、最初はSFに登場して、多くの人が夢見て現実化してきたのだ。

『オービタル・クラウド』が、現代日本のSFの最高峰であることは間違いない。SFやテクノロジーが好きなすべての人に読んで欲しい作品だ。

藤井太洋は何をテーマに次の作品を描いてくれるのだろうか? バイオテクノロジー、AR/VR、フィンテック、宇宙工学……などの未来を次々と描いてきた俊英の次なる舞台はどこか? 機械学習(いわゆる人工知能)? ウェアラブルコンピュータ? IoTデバイス? サイバネティクス? GPSゲーム? 何をテーマにどんな物語りが描かれるのか、とても楽しみだ。

次作が楽しみでならない、できる限りいろんな方に読んでもらいたい今注目のSF作家だ。

執筆者

村上タクタ

デジタルデバイスとウェブサービスの電子雑誌『フリック!』編集長。枻出版社で、バイク、ラジコン飛行機、サンゴと海水魚の飼育、園芸など、趣味分野の雑誌を25年間、500冊以上作ってきた編集者。48歳。京都出身。


flick! (2017年9月号)
エイ出版社