山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 20

Column

邂逅/宮沢和史

邂逅/宮沢和史

北の大地で響き合った2曲の間に秘められた物語。22年の時空を超え、音楽を巡る長い軌跡のなかで訪れた奇蹟のような瞬間。HEATWAVE山口洋が書き下ろす好評連載。


2017年8月12日、北海道で行われた〈RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO〉。佐藤タイジたちのTHE SOLAR BUDOKANチームによって、太陽光ですべての電力が賄われた、BOHEMIAN GARDENというピースフルなステージにて。

久しぶりに歌っている彼の姿を見た。ステージの上で。仲井戸 “CHABO” 麗市さんとともに。

知ってはいたけれど、あらためて、凄いシンガーだった。音楽にintoしているとき、彼に憑依していたのは神様ではなく、音楽そのものだった。感嘆すると同時に、これまで自身のヴィジョンを表現するために、音楽の化身として、どれだけ心身を酷使してきたのだろうと、心配にもなった。

立ち位置は、左からCHABOさん、宮沢くん、そして僕。ステージ上で、何度もCHABOさんと目があった。たいてい宮沢くんが歌っているときで、その目はこう語っていた。「こいつ、やっぱりすげぇな!」。素晴らしいシンガーを全力でサポートするとき、僕らギタリストは無上の歓びを感じる。CHABOさんが「宮沢! やっぱりステージに似合うよな。釣りばっかりやってんじゃねぇ!」って。爆笑。愛だよなぁ。

遅れてきたTime has come。もう誰もエゴで音楽を奏でてはいなかった。関わってくれた、たくさんの人々の熱意、そしてMY LIFE IS MY MESSAGEというプロジェクトを続けてきたことが、この日のステージを実現させてくれた。美しい時間。時空を超え、音楽が北の大地の夜空を照らす。中空に拡がる風景に、オーディエンスは身を委ねる。僕らが奏でたかったのは現在地、そして未来。

閑話休題。

80年代の終わり。バンド・ブームという青田刈り。それは90年代に入って、バンド焼け野原になる。累々と転がる屍の中、THE BOOMは確かに背筋を伸ばして立っていた。

Kazufumi Miyazawa

初めて会ったのは、たぶん山中湖のスタジオ。彼らとは食堂で、一週間夕食をともにしたけれど、一度も会話を交わすことはなかった。張りつめた空気の中で、彼らがお通夜のように黙々と食事をしていたからだ。思い返せば、BEATLESが「Let It be」を生み出したときの雰囲気に似ていなくもない。良質の音楽は逆境から生まれてくることが多い。あの時期、彼らは「島唄」にも取り組んでいたのだと、僕は後から知った。

僕と彼はある媒体で往復書簡を交わすようになる。メールの時代がやってこようとしている時に“文通”。それを読んだ故どんと氏が「君たち暗いなぁ」と云ったのを、僕は忘れられない。確かに明るくはなかった。

1995年。震災が起き、サリンが撒かれた。崩壊寸前だった僕のバンドは『1995』というアルバムをリリースし、レコード会社をクビになる。戦力外通告。僕は事務所も辞め、タダの人になった。こみ上げてくるものがなければ、ミュージシャンを辞めようと思っていた。

そんなとき。

普段テレビを観ない僕が、どういう訳か歌番組を観ていた。『ミュージックステーション』、だったかな?

THE BOOMが出てきて「手紙」という曲をブチかました。ん? これはどう考えても、僕に向かって歌ってる。公共の電波を使って、そんなこと、あり得る訳がないけど、間違いなく僕に向かって歌っている。

からだじゅうの血が沸騰するような励ましを、僕はブラウン管から受けとった。そして湯水のように言葉が湧いてきた。止まらないのだ。記憶が正しければ、それは30番まである曲 (リリースしたものは随分削った)で、「MR. SONGWRITER」と名付けた。それが誰に宛てたものか、書くまでもないと思う。敬意を込めて、感謝を伝えたかった。僕はその歌を含む数曲を携え、新しいレコード会社と契約し、焼け野原から、再生のリングに復帰した。

Kazufumi Miyazawa

そのことについて、僕らは一度も会話をしたことがない。かように僕らは面倒くさい。でも、あれから22年経って、その時が来たのか、と。お互い、たぶん、勇気をだして(笑)伝えてみた。そして、その2曲は、北海道の夜空に22年ぶんの円環を描いた。CHABOさんのギターという強力な掩護射撃のもとに。

ライヴの後半。かの「島唄」を演奏させてもらったとき。その歌に“特別な何か”があるのを感じた。うまく言語化できないけれど、人々を結びつけ、励まし、寄り添うための“特別な何か”が宿っているのを。

あの山中湖のスタジオで生まれ、世界じゅうを旅して、たくさんの人々のこころの中に棲み、またこうして、宮沢和史の魂から雨上がりの夜空に放たれてゆく。

美しい放物線。ずっと見ていたかった。音楽を続けてきて、ほんとうに良かった。

感謝を込めて、今を生きる。


宮沢和史(みやざわ・かずふみ):シンガーソングライター。1966年山梨県甲府市生まれ。THE BOOMのボーカリストとして1989年にデビュー。14枚のオリジナルアルバムをリリースし、2014年に解散。バンドの代表曲「島唄」は1992年に発表されたアルバム『思春期』に収録、1993年にオリジナルバージョンがシングルとして発売され、ミリオンセールスを記録した国内だけでなく海外でも高い評価を得る。ソロ活動では、個人名義で5枚、GANGA ZUMBAとして2枚のアルバムを発表。2015年12月にはソロワークスの過去曲や新曲、新録などを収めたベストアルバム『MUSICK』を発売。また、多数のミュージシャンへの楽曲提供も手がけるほか、沖縄芸術大学非常勤講師、ナレーター、作家など様々なジャンルで活動中。著作は『音の棲むところ』(ラティーナ刊)など多数。2016年1月に歌手活動の休止を発表、2017年3月に歌手活動の復帰を果たしている。
オフィシャルサイト

「手紙」

THE BOOM が1995年に発表した17枚目のシングル。アルバム『TROPICALISM – 0゜』(写真)に収録
Sony Music Direct(Japan)Inc.

「島唄」

THE BOOM が1992年に発表したアルバム『思春期』(写真)に収録、1993年にオリジナルバージョンがシングルとして発売
Sony Music Direct(Japan)Inc.

『THE BOOM Singles Collection 1989~1996』

ソニーミュージック時代のTHE BOOMのシングルA面曲をコンプリートした配信限定企画盤
Sony Music Direct(Japan)Inc.

■宮沢和史ソロワークを聴いてみる

著書プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

1963年、福岡県生まれ。1979年に結成したHEATWAVEのフロントマン。1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表のアルバム『1995』には、阪神・淡路大震災後に作られた「満月の夕」が収録され、多くのミュージシャン、幅広い世代に歌い継がれている。アイルランドの重鎮、ドーナル・ラニー、元モット・ザ・フープルのモーガン・フィッシャーら海外のミュージシャンとの親交も厚い。2003年より渡辺圭一(bass)、細海魚(keyboard)
、池畑潤二(drums)と新生HEATWAVEの活動を開始。2017年5月には14作目にあたるアルバム『CARPE DIEM』をリリース。東日本大震災後に立ち上げた福島県相馬市を応援するプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE 2017”は古市コータロー、仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らとともに南青山MANDALAで5日間のライブを開催。熊本地震を受けてスタートした「MY LIFE IS MY MESSAGE RADIO」(FMKエフエム熊本 毎月第4日曜日20時~)でDJも担当。10月からHEATWAVE楽曲へのリクエストで構成されるソロツアーを開催。
オフィシャルサイト

ライブ情報

山口洋(HEATWAVE)solo tour 2017 autumn『YOUR SONG-2』
10月20日(金)札幌 円山夜想
10月22日(日)函館 喫茶・想苑
10月25日(水)弘前 Robbin’s Nest
11月5日(日)岩国 himaar
11月7日(火)福山 Boggie Man’s Cafe POLEPOLE
11月10日(金)高知 Sha.La.La
11月15日(水)横浜 Thumbs Up
11月11日(土)高松 Bar RUFFHOUSE *スペシャルライヴ!『OUR SONG』山口洋 × 藤井一彦 
詳細はこちら


50/50(山口洋と古市コータローのスペシャル・ユニット)
9月26日(火)吉祥寺STAR PINE’S CAFE
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