【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 35

Column

REBECCA 「MOON」から聞こえるという幽霊の声(?)は、今聴くと“パイセン”と聞こえる………、わけはない。

REBECCA 「MOON」から聞こえるという幽霊の声(?)は、今聴くと“パイセン”と聞こえる………、わけはない。

1987年となり、メンバーはそれぞれのソロ・プロジェクトを準備し始める。土橋がソロ・アルバム『CHRONICLES』をリリースするのが6月。このあたりから、REBECCAというバンドの“ユニット”的側面が伝わり始めた。ちなみに“ユニット”とは、「各自が独立した機能を有し、さらに合体したら別の機能を果たす」状態のことである。

前年あたりのライブ動員は、とんでもないことになっていて、一か所に数万人を集められる、名実ともに日本のトップ・バンドとなった。そんなフィーバー状況を経て、新たなアイデアを持ち寄る準備という意味でも、ソロ・プロジェクトが始まったのだろう。

この辺のあたりに関しては、「いや、バラバラになる前兆だろう」と言うヒトもいるかもしれない。でもまあ“先のこと”は、その時点では分らないわけである(あなたがオプチミストかペシミストかの違いにより、意見が分れるだけなのだ)。

そんななか、11月にリリースされたのが『POISON』だ。このジャケットをみて、僕はこう想った。「ちょっと…、地味じゃない?」。

ご覧の通り、NOKKOのスナップ写真をデザインしたものだ。しかも露光が少ない楽屋の通路かどこかで撮られたような、青焼き図面色みたいなモノトーン…。でもこれ、「敢えてだったのかも?」と、考え直してみた。

彼らは脚光を浴び続けていた。しかし光が強すぎると、陰があってこそ引き立つ彫りの部分も平坦に見える。このジャケットの写真は、自分達のそんな部分、深い内面まで感じ取って欲しいという、意思の顕われだった。そう考えてみたが、さて、どうだろう…。

『POISON』のオ−プニングは、ダンス・チューンの要件を満たしつつ、より重心低めのハード・ロックの雰囲気も感じさせる「POISON MIND」だ。パッションはじけるNOKKOのボ−カルが際立つ。

彼女が現われたことが、その後、日本における「女性ボーカルを含むバンド・スタイル」の礎を作った……みたいな評論は、いまもあちこちで目にする。確かに“スタイル”ということでは、あったと思う。

ただ、彼女のあとに登場した人たちは、どちらかというと、自分の後ろでドラムが炸裂し、横でディストーション効いたギターが響いても、それに埋もれない“声質”で勝負、みたいな女の子が多い。呪術的ともいえる表現の渦を起こし、その中心に居て、全体を引っ張っていけるようなパワーを持っていたという意味で、NOKKOには躊躇なく、「不世出の」という、このコトバを捧げる存在だろう。特に「POISON MIND」は、いま聴いてもその渦が、凄いことになってる。 

このアルバムといえば、「MOON」に触れないわけにはいかない。しかも曲そのものより、“センパイ”という幽霊の声(?)が聞こえるという、あの不滅のJ-ROCK伝説に触れないわけには…。でもこういう話題になると、セットで岩崎宏美の「万華鏡」を思い出すヒトも多いだろう。

これらの例に限らず、僕は長く業界にいるので、“幽霊の正体”を知っている場合もある。でもこういう話って、そもそも「MOON」がとっても魅力ある楽曲で、非常に多くの人々が熱心に傾聴し、だからこそ生まれた噂話だ。さらに、そもそもこの楽曲が持つ、主人公の心情吐露のリアルさというか、それがあるから引き立つ、とも言える。

と、そんな書き方のまま別の曲に移るのは「MOON」に失礼なので、日本のポップスにおける位置づけを、個人的にしておくことにする。歌のテーマはおそらく、月や星の光のもとで、人間が素直になる、ということだろう。

だとしたらこの作品は、菅原都々子「月がとっても青いから」、平尾昌晃「星は何でも知っている」、井上陽水・忌野清志郎「帰れない二人」の系譜に連なるものだと言える。どうでしょう。曲調はぜんぜん違うけど、こんなふうに並べてみました。REBECCAの人たちも、さぞ喜んでくれると思う。

ぜひぜひ書いておきたい必殺の名曲がまだあるので紹介したい。というか、REBECCAが好きで、この曲大好きってヒト、少数派じゃないハズだ。それは「真夏の雨」。参った。シビれた。惚れ直した。なにが素晴らしいかというと、いわゆるレゲエと呼ばれるジャマイカ発の音楽の、彼らなりの解釈が素晴らしい。

実は80年代、世界中のポップ・クリエーター達に衝撃を与えた作品に、ドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』があった。『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(冨田 恵一・著)なんて本も出ているくらい凄いアルバムなのだ。おそらく土橋安騎夫たちも、大きな衝撃を受けただろうし、あのアルバムの方法論のREBECCAなりの発展が、この「真夏の雨」には鳴り響いていると感じるのだ。もちろんこういうタイプの楽曲は、ベースの高橋教之、ドラムの小田原豊のセンスこそが、曲を生かすも殺すもするわけだ。見事、生き生きとしてる。

この時代のヒットした洋楽でいうと、「コーリング・ユー」が持つサビの寂寞感みたいなものに、共通するとこも感じる。ニューヨークで英語の歌にも本格的にチャレンジし始めたというNOKKOの成果の片鱗が、この歌にも出てるかも。あと「KILLING ME WITH YOUR VOICE」のプリミティブなリズム・アレンジも心地良い。

しかしバンドの終末は、すぐ先に近づいていた。ただ、先述した通り、REBECCAというバンドの“ユニット”的側面も伝わり始めていたから、同時代を駆け抜けたBOØWY の終末とは、違う景色として、我々に届くのだった(今回、原稿タイトルのみ、ちょっと遊ばせ頂きました。原稿そのものは真面目に書きました)。

文 / 小貫信昭

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