映画『散歩する侵略者』  vol. 1

Interview

役を演じながら、自身も「概念」について考えた松田龍平。 黒沢清監督との「散歩する侵略者」撮影現場を語る。

役を演じながら、自身も「概念」について考えた松田龍平。 黒沢清監督との「散歩する侵略者」撮影現場を語る。

あらゆる監督と組んでいるというイメージのある松田龍平だが、黒沢清監督とは組んだことがなかった。満を持して組んだのが「散歩する侵略者」だが、非常に充実した撮影の日々を送った、とのこと。そのクリエイティブな期間を振り返ってもらい、考えたことや感じたことをつぶさに語ってもらった。

取材・文 / 平田真人 撮影 / 平野タカシ

感覚的な部分をくすぐられたという意味でも面白い現場だった

意外、というと語弊があるかもしれませんが、松田さんにとって、この「散歩する侵略者」が初の黒沢清監督作品なんですよね。まずは、現場で感じられたことからお話いただければと思います。

自分なりに役や作品のことを考えながら現場に入ったんですけど、撮影していく中で、いろいろと発見することも多かったですね。今回の現場に限った話じゃなく、自分でプランを立てたところで、それが全部使われるという確証もないわけで、そのことにあらためて気づいたところはあります。
真治という役は自由がきく分、だからこそ怖い部分もあって。概念に縛られていない宇宙人=侵略者を概念にまみれている自分が演じるという構図に、もだえたと言いますか(笑)。

概念がない、という感覚は想像しがたいですよね。

そうですね、始めは概念を奪うことによって真治にも変化が生まれるんだろうなと思ったし、同じように人間たちから概念を奪っていくほかの侵略者2人(高杉真宙と恒松祐里)との違いはどういうところなのかな、と考えたりもしてみたんですけど、黒沢監督が「侵略者にも、それぞれ性格があるんじゃないか」という話をしてくれた時に、難しく考えすぎることでもないのかな、と思えたんですよね。あと、さりげないシーンではあるんですけど、鳴海(長澤まさみ)から「まずは自分のことを理解したら?」といったようなニュアンスのセリフを言われた場面が、自分にとっては大きくて。
自分の中の記憶だったり、自己を模索していくという作業がスイッチになった気がしますね。真治の身体は侵略者に乗っ取られたとはいえ、100%塗りかえられたわけじゃないので、そういう状態で自分自身のことを考え直す真治と鳴海の生活の描写が面白いなと感じました。鳴海から「前の真治だったら、そんなことしなかったよ」と言われる場面が、結構出てくるじゃないですか。

そうなんですよね、以前は嫌いだった食べ物を食べていたりして。

前は好き嫌いがあったのに、「これ、美味しいね」と言って食べていたり、前だったら着なかったシャツを探していたり。そういうことを考えていくと、概念に縛られているからこそ、本来は〝いい〟と思っていることを〝よくない〟と思ってしまうんじゃないか?という、作品の大きなテーマにつながってくるのかな、と。そういう発見があったのが、面白かったですね。僕自身もそういったことを時々考えていて、「こだわりを持てば持つほど、それ以外のものを受け入れられなくなっていく」みたいな感覚がこわいな、と思う一方で、こだわりを持つことの面白さも追求したいと思ったりもする。集中して熱中して、誰も入ってくることができない状態にまで持っていくことで、確固たる自信につながるというか。たぶん役者という仕事をしているから、どこかでバランスを取ろうとしているんじゃないかと自分では思っているんですけど、そういった感覚的な部分をくすぐられたという意味でも、面白い現場でした。

それこそ、役者さんというお仕事は、いかに概念にとらわれないかを求められる部分もあったりするのかな、と思ったりもします。

そういうところは、あるかもしれないですね。ただ、それが答えだとも思ってはいなくて。人生のある時期にすごく熱中したりハマったものがあったとして、その熱が冷めた瞬間にすべてが無駄になるかというと、けっしてそういうわけじゃなくて、それを肥やしに新たなステージに進んでいけばいいんじゃないか、と僕は思っていて。常にまっさらでいることは不可能だし、だったら自分が経験したことを芸の肥やしにすればいいじゃないか、という考え方をする方が前向きかな、と。

なるほど。話を作品に戻しまして……〝概念を奪う〟ために人差し指で相手の頭に触れる動作は、松田さんのアイディアだったと資料で読んだんですが……。

最初に概念を奪うシーンを撮る時に、黒沢監督から「指を当ててもらってみてもいいですか?」と言われて、やってみたらしっくり来たんです。じゃあ、これでいきましょう、ということになって。そのルールも台本に書かれていなかったので、どうやって(概念を)奪うんだろうな、念力みたいなものを使うのかなと思っていたんですけど、現場で黒沢監督から言われて、「あ、なるほど。そういう奪い方をするんだ」と、腑に落ちたというか。実は、そのシーンを撮るまでスタッフもどうやって奪うのか知らなかったみたいなんです。結構、大きな意味を持つアクションですけど、実際に役者がやってみるまで定めない自由さが、黒沢組にはありました。ただ、映画の後半になると、離れた相手に指を向けただけで奪っていたから、「それもOKなのか!」と思いましたけどね(笑)。でも、観ていて全然違和感がなかったし、そもそもが宇宙人が静かに侵略してくるという話なので、比較的どんなことも成立する世界観なんじゃないかと思います。

©2017『散歩する侵略者』製作委員会

観ている側からすると、あの指を当てる仕草で「ああ、こうやって概念を奪うのか」という概念を植え付けられた気がしました。

そういえば、満島(真之介=丸尾役)くんから(概念を)奪うシーンでは、ところどころ黒沢監督の演出がコミカルで、面白かったことを思い出しました。真治がいきなり丸尾の家に走って入ろうとするところでは、「全力で行ってもらえますか」って、茶目っ気たっぷりに言われたんです。真治以外の2人の侵略者と遭遇するシーンでも、「何が始まるんだ!?」と思わせつつ、ある意味シュールな展開になるじゃないですか。場面によってコミカルなニュアンスを求めているんだな、というのが、わりと意外でした。それこそ、黒沢監督に対する概念に縛られていたのかもしれません。

いろいろな可能性を想像できる気持ちのいい映画だと思う

真治と鳴海が夜の街を歩いた末、教会に入るシークエンスも印象的でしたが、長澤まさみさんとのお芝居についてもお話をお聞かせ願えればと思います。

長澤さんと一緒のシーンがほとんどでしたし、真治にとって鳴海が一番重要な人であることはわかっていたんですけど、「こんなふうに芝居しよう」といったことは、考えていなかったんですよね。ただ、純粋に長澤さんの芝居を受けて返そう、としていたというか。「あ、こんなに怒るんだ」と思ったりして。最初のころは怒られっぱなしだったので、真治と自分の気持ちの境界線が曖昧になっていったりもして(笑)。そういったところも踏まえつつ、長澤さん──というか鳴海の後ろをついていく感覚を大事にしていました。ただ、宇宙人の立場から過去の真治と鳴海を客観的に見た時、さっきお話したように新たな発見もあって。なんで、乗っ取られる前の真治は素直な自分でいなかったんだろうって、理解しがたい部分から興味に変わっていくところもあるなと思ったりもしました。

そう思うことによって、「自分のことを理解したら?」という鳴海のセリフがスイッチになったというわけですね。

そうです。振り返ってみると、撮影そのものがすごく楽しくて、毎日ワクワクしながら現場に来ていましたね。クランクアップの日に撮ったのが、ほかの侵略者2人と出会ってしまうシーンのあと、鳴海に「もう侵略を止めるのは無理かも」と話すところだったんですけど、撮影自体が終わってしまうことを切なく思う自分自身の気持ちと、「これで世界は終わりだな」と思う真治の気持ちが変にリンクしちゃって、すごく淋しくなったことを思い出しました。

その楽しかった日々を経て作品が完成した今、どんな思いを抱いていらっしゃいますか?

こういった取材の場で「概念を奪う」というテーマについて話していくのは、結構難しいなと(笑)。地球人だけの視点だと、わからないことじゃないですか。もっと第三者的に客観的な視点で地球を見てくれないと、気づけなかったりする。そうやって考えていくと、地球人には何が必要なんだろう、という疑問にたどり着くわけですけど、侵略者の位置づけが重要になってくるなと思いますね。わかりやすいSFや「侵略もの」というジャンルがあるかはわからないですけど、一括りで語れない深みがあるなぁと。でも、そんなふうに難しく考えずに、純粋に観て楽しんでもらえたらいいなと思います。

エンターテインメントなんですけど、観終えた後にふと考えるきっかけをたくさん与えてくれる映画だなと感じました。

押しつけるわけでもなく、大切なものについて考えて不思議な気持ちにさせてくれる映画だな、と思います。愛という言葉自体、口にするとちょっと照れてしまうところもあるじゃないですか。でも、すごく大きな、ひと言では言い表せない大切なものであることは、しっかり描かれているんじゃないかなと。

©2017『散歩する侵略者』製作委員会

鳴海と真治の2人で概念についてやりとりするシーンは、すごく素敵ですよね。

あのシーンの長澤さんは、ひときわ魅力的でしたね。その素敵なところも感じとってもらえたらうれしいです。

片や、もう一方のメインキャストである長谷川博己さんや高杉真宙さん、恒松祐里さんとのシーンは限定されますが、どんな印象でしたか?

長谷川さんたちのパートはまた全然雰囲気が違っていたから、スタッフの人たちも爆破のシーンを撮った後のテンションで真治と鳴海のパートに入ってくると、ちょっと混乱している感じがありましたね。「全然違う映画を撮っているみたいだ」って、黒沢監督もおっしゃっていて(笑)。
僕自身もちょっと長谷川さんパートが羨ましくて、ガンアクションとかやってみたかったな、なんて思ったりもしました。

加瀬夫婦のパートの静かながらも不穏な雰囲気が、長谷川さんパートの〝動〟の部分を際立たせているようにも感じましたが……。そんな「散歩する侵略者」ですが、概念に縛られず観るには、どういうスタンスで臨めばいいんでしょうか?

それこそ、自由なスタンスで観てもらえればいいんじゃないかな、と僕は思います。いや、突き放しているわけではなくて(笑)。でも、自分の大切にしているものや、こだわっていることだったり──たとえばスマートフォンがない生活って考えられないですけど、なければないで意外と自由になれる、というとらえ方もできるわけじゃないですか。そういう可能性を何となく想像できる気持ちのいい映画だと思います。
かと思えば、長谷川さんが無人機を相手にド派手なアクションをこなしていたり、いろいろな要素が詰まっていて。ぜひ実際に観て体感してみてもらえたら嬉しいです。

松田龍平さん画像ギャラリー

映画『散歩する侵略者』

第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品作品
2017年9月9日(土)ロードショー

【作品紹介】
数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う加瀬鳴海。夫・真治は会社を辞め、毎日散歩に出かけていく。一体何をしているのか…? その頃、町では一家惨殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発する。ジャーナリストの桜井は取材中、天野という謎の若者に出会い、二人は事件の鍵を握る女子高校生・立花あきらの行方を探し始める。やがて町は静かに不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く。「地球を侵略しに来た」真治から衝撃の告白を受ける鳴海。当たり前の日常は、ある日突然終わりを告げる。

【キャスト】
長澤まさみ 松田龍平
高杉真宙 恒松祐里
前田敦子 満島真之介 児嶋一哉 光石 研
東出昌大 小泉今日子 笹野高史
長谷川博己

監督:黒沢 清
原作:前川知大「散歩する侵略者」
脚本:田中幸子 黒沢 清
音楽:林 祐介

オフィシャルサイトhttp://sanpo-movie.jp/

©2017『散歩する侵略者』製作委員会

松田龍平

’83年5月9日、東京都出身。
’99年、大島渚監督の話題作「御法度」で俳優デビュー。以後、映画を中心に活躍。主な代表作は「青い春」(’02年)、「恋の門」(’04)、「NANA」(’05年)、「悪夢探偵」(’07年)、「劔岳 点の記」「蟹工船」(’09年)、「まほろ駅前多田便利軒」シリーズ(’11年〜)、「探偵はBARにいる」シリーズ(’11年〜)、「北のカナリアたち」(’12年)、「舟を編む」(’13年)、「ジヌよさらば〜かむろば村へ〜」(’15年)、「モヒカン故郷に帰る」「殿、利息でござる!」「ぼくのおじさん」(’16年)、「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(’17年)、ドラマ「ハゲタカ」(’07年/NHK総合ほか)、「あしたの、喜多善男」(’09年/関西テレビ・フジテレビ系)、「あまちゃん」(’13年/NHK総合ほか)、「営業部長 吉良奈津子」(’16年/フジテレビ系)、「カルテット」(’17年/TBS系)など。「探偵はBARにいる3」(’17年12月1日公開)、「羊の木」(’18年公開予定)などが待機中。また、9月18日放送の特集ドラマ「眩〜北斎の娘〜」(NHK総合)に絵師・善次郎役で出演する。

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