黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 7

Interview

バンダイナムコ小山順一朗氏(中)アーケードゲーム開発の苦楽

バンダイナムコ小山順一朗氏(中)アーケードゲーム開発の苦楽

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

今回はバンダイナムコエンターテインメントに於いて、様々なアーケード向けゲームコンテンツをプロデュースし、現在は、8月に新宿ミラノ座跡に開業したVR ZONE SHINJUKUでのコンテンツをプロデュースする小山順一朗氏にお話を伺いました。幼少期から現在に至るキャラクターやコンテンツへの熱い愛と、未来のエンタテインメントへの強い想いを伺いました。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの第2回です。第1回(上)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

就職活動 第一希望はバンダイ

※入社当時の写真

でも、本当にゲームがお好きだったんですね。

小山 そうですね、本当に好きで……でも、ついに就職活動のときが。4年間テレビゲームにすべて注ぎ込んでいましたから、成績は250人中248位でしゅーりょーみたいな。4年生なのにまだ1年のドイツ語とかやってましたからね。

卒業はできたんですか?

小山 できました、できました。留年もしていません。就職ももうナムコに決まってましたし。バンダイも受けたんですよ。第1希望がバンダイ、第2希望がセガ、第3希望がナムコでしたね。

バンダイを志望されたのは、やはりガンプラとかをやりたかったからですか?

小山 そうですね、オモチャもやりたかったです。バンダイってゲームからオモチャから何でもやれる気がしたんですね。キャラクターも大好きでしたし。でも、書類選考であの世行きでした、アハハハ。

教授がちゃんと推薦してくれなかったんですよね。セガもダメって言われたんですよ。あそこは外資系だから危ないぞとか。そんなに推薦してくれないんだったら、やめようと。それで、ナムコにしたわけですね。

当時のナムコはどうでしたか?

小山 2部上場するかしないかくらいのときでした。当時は世の中バブル景気だったので誰でも入れたと思います。就職先はどこでも選べる夢の時代でした。

さすがに誰でもということはないでしょうけど…。

「ゲ-ム会社なんていつ潰れるか解らないから止めておきなさい」

小山 はい。そのときの友達も仕事選びの基準が「大企業か」でしたからね。理工学部の精密機械工学科なので、みんなやっぱり三菱重工とかIHI(石川島播磨)とか自動車関係に就職が決まっていくわけです。もう大手に入ると安心みたいな感じでした。でも、自分はゲームが好きだったので。

教授が難色を示したということでしたが、やっぱり「ゲームなんか」みたいなことを言われたんですか?

小山 言われましたよ~。「いつ潰れるか分かんない」とか「そんなピコピコやってる会社なんか行くんじゃねえ」とか「世界の役に立たないだろ」とか。

まだ、世間では認められてなかったですよね。

小山 ゲームセンター=不良のたまり場ってまだ言われてましたし。ファミコンも出版会社とか貿易会社とか、いろんなところが参入してきていましたが、売れないとすぐに潰れたりするような。ちょっと前のスマホ業界みたいな状態だったので、そんな不安定なところ行ってどうすんだって、すごい言われましたね。それで、悩みまくりましたけど、これからは自分の力で生きていかなきゃならないわけで、だったら好きなことをやろうと決心しました。

当時のナムコは故・中村雅哉さん(注15)が社長の頃だと思うんですけど。

小山 そうです。

注15:ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)の創業者。ゲーム業界においては立志伝中の人物。

僕も中村さんのいろんなエピソードを聞いていて、けっこう保守的なところもあれば、社員の熱意によっては「ああ、いいよ」っていうところもあるという。何か中村さんのかけ声ひとつで会社が動くみたいなところがあったそうですけど、実際どうでしたか?

小山 思いっ切りトップダウンの会社です。それで、開発には優しく営業やロケには厳しい。

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