Interview

佐藤健「全てを出し切った」と語る『亜人』にかけた想い、キャリアを重ねることで得た“主演”としての感覚を明かす

佐藤健「全てを出し切った」と語る『亜人』にかけた想い、キャリアを重ねることで得た“主演”としての感覚を明かす

命を繰り返す新人類“亜人”と、人類との戦い。そして、亜人だけの能力である“IBM(インビジブル・ブラック・マター)”と呼ばれる鮮烈なインパクトを放つ黒い粒子の造形。自分の中にある正義を問われながら進む息もつかせぬ展開に多くの読者から支持を得ているコミック『亜人』が実写映画化される。ある日突然、亜人である事実を突きつけられ葛藤する主人公〈永井圭〉を演じたのは、映画『るろうに剣心』(12・14)以来の見事なアクションで魅せる佐藤健。“命を繰り返す”という掟破りのルールの中で、誰も観たことのないアクションの高みを目指したという彼の、この映画にかける想いを聞いた。

取材・文 / 篠崎葉 撮影 / 三橋優美子

〈圭〉に最も共感したのは「自分の中の正義が行動原理になっているという部分」

〈永井圭〉を演じるにあたって、彼自身をどんな人物だと捉えていましたか?

佐藤 このお話をいただいてすぐに、『亜人』の原作コミックとアニメーションを観て、個人的にかなり共感できるキャラクターだな、と思いました。〈圭〉は合理主義が行きすぎてしまうところがあり、一見冷たく見えてしまったりもするんですけど、それはつまり、常に何が最善の策であるかを考えていて、自分のやるべきことや役割を随時判断して動いているということなんですよね。僕も、普段からそういう思考をする方なんです。そのシチュエーションにおける最善の方法をいつも探している。行動の一つひとつに、自分が納得できる意味があるんです。

〈圭〉に対して“合理主義”というキーワードが出てきましたが、佐藤さんはご自身を合理主義者だと思いますか?

佐藤 合理主義という言葉を常に念頭に置いて生活しているというほどでもないのですが、僕は人間の感情ほど不確かなものってないな、と思っていて。仮に、自分の中にある感情が芽生えたとして、果たしてこの感情が明日もこのままなんだろうか、1年後はどうなっているんだろうか、ということをまず考えてしまうんです。でもそれってすぐに答えが出るものではないし、1年後のことは、1年経ってみないとわからないわけですよね。だったら、感情とは別のファクターをかき集めて、その結果で判断する方が自分にとって正しい選択ができるような気がするんです。だから、感情移入する何かよりも、正しい、正しくないかが大切だと思っているんです。それは〈圭〉が最も大切にしていることであり、僕も生きる上での指針になっている部分です。

〈圭〉も佐藤さんも、自分の中での“正義”を持っているんですね。

佐藤 まさにそうですね。自分の中の正義が行動原理になっているという部分が、僕が〈圭〉に最も共感したところでした。

劇中で〈圭〉についての人物像や人となりについては、ストーリーが進むに連れて徐々に明かされる構造になっていますね。例えば玉山鉄二さん演じる亜人管理委員会のトップ〈戸崎優〉のセリフや、浜辺美波さん演じる〈圭〉の妹〈慧理子〉への接し方などから、観客は〈圭〉のことをだんだんと知っていくと言いますか。

佐藤 いわゆるキャラクターについての説明的な描写はありませんが、演じている僕がブレずにいれば、自ずと伝わるんじゃないかなと思っていて。わざわざこの人はこういう性格でこういう生い立ち、ということを説明せずとも、観ている人に感じてもらえるよう、お芝居で説得力やキャラクターの厚みを出していきたいんです。セリフで伝えるのではなく、僕自身が役を生きていることが大切なんだと思います。

ある日突然、自らが“亜人”であることを知る〈圭〉ですが、何をされても決して死ぬことのない新人類である、ということ以外は、普通の人間となんら変わらないですよね。

佐藤 はい。今まで普通に生きてきて、自分が人間であることを疑ったことすらなかったと思うんですよね。それが、いきなり亜人であるという事実を突きつけられて、非人道的な扱いを受けるわけですから、すんなり受け入れることなんてできないし、戸惑いや理不尽な運命に対する怒りもあって。初めから亜人であることを受け入れているキャラクターと、初めは限りなく普通の人間に近い生活をしていて途中から亜人になるのとでは、表現の仕方も変わってくると思うんですけど、葛藤し続ける〈圭〉だからこそ、僕自身は寄り添いやすかったです。もし自分が亜人になったらどうするだろう、とか、想像を巡らせていきました。そういう意味では、あくまでも役を演じるためのベースにしていたのは人間として生きてきた〈圭〉であって、亜人であるということは芝居の上ではほぼ意識せず、〈圭〉のパーソナリティとだけ向かい合っていました。たまたま後天的にそういう能力が備わってしまった青年、くらいの認識です。