【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 40

Column

オフコースの「時に愛は」〜愛、そのものを真ん中に置いた白眉のラブ・ソング〜

オフコースの「時に愛は」〜愛、そのものを真ん中に置いた白眉のラブ・ソング〜

『We are』(1980年11月にリリース)は、『Three and Two』という五人体勢への宣言を経て、名実ともに、ひとつのバンドとなった証だった。それは“We”というタイトルにも表われている。ジャケットは、素っ気ないといえば素っ気ない。ただ、“外身より中身で勝負”という気概が伝わり、そもそも当時、他のアーティストの新譜作品より、ひときわ目立ったデザインだったのだ。こういうことも大切だ。

1曲目に収められているのは「時に愛は」。「この曲をライブでやっている時のオフコースが、一番オフコースっぽかった」と、小田はそう回想しているが(引用元は前々回と同じ)、そもそも“ライブ”っぽさは、スタジオ録音のオリジナル音源からも伝わる。

というのも、後半で繰り広げられる鈴木と松尾のツイン・ギターのバトルは、スタジオでアレンジのアイデアを出し合う中、試しに掛け合いでやってみたら大いに盛り上がり、そのまま採用された方法論だったからだ。

多彩なフレーズを確かなテクニックで繋いでいく鈴木のギターと、芯の部分でロックンロールの一途さをなくさない松尾のギターは、確かにこのまま、ずっと二人の響きを“浴びていたい”ほど快感である。でも、実は今回、久しぶりに音源を聴いてみたら、ギターは3本入っていた。定位的にはLRだけじゃなく、中央からももう一本聴こえる(“♪クィックィ〜”、みたいなアクセント加えている)。なので正確には、ツイン・ギターじゃなくトリプル・ギターと書くべきだろう。
 
次に歌詞の世界観を。まず楽曲タイトルだ。「愛は〇〇〇」とか「〇〇〇な愛」とか、そういうのなら沢山あるが、ふと、居住まいを正してしまうほど格調高くもある。作者の小田はこの歌に関して、「愛を真ん中においてみて」「分析しちゃってるのかも」と発言している。確かに歌詞の一行目から、それが真ん中に置かれていることが確認される。

[はじまりはいつも愛]

始まりはカフェの角を曲がったあたり…、出会ったアナタは伏し目がち…、とか、そういうのではないわけだ。このあとに続く、[気紛れ]で[きらめいて][うそのかけら]もないもの…、それはすべて、愛、そのものを形容する表現だ。

サウンドはどうだろう。イントロから伸びのある、余計な事は一切しないサスティーンの効いたエレキの音が、大きく目の前に立ちはだかり、響いている。ただ、ど頭に♪テロロロンという、アクセントとなるフレーズが付けられていて、聴き手の集中力を喚起させる。

歌い出しのAメロの部分で特徴的なのは、時間が進んでいくようでいて、留まっている印象を受けることだ。曲のテンポはバラードとミディアム・バラードの間くらいの感じだろうか…。要はサクサクと展開していく感じはしない。歌詞は小田も言っている通り、愛を真ん中においての分析で、これまた俊敏なストーリー展開などではない。でも逆に、留まっている印象のほうが、「だったらその愛というものの分析に、じっくり付き合ってみようじゃないか」という気分になる。

そしてやっと、歌の登場人物たちの存在が描かれ始める。でも単に、“ふたり”としか描かれない。主人公達に光があたるのは最後の最後であり、ここでもまだ、真ん中にあるのは愛、そのものだ。

サビは唐突にやってくる。力尽きそうで崩れそうで、しかし踏ん張って持ち直し、ふたりをやさしく[抱いていく]愛というものの存在を、“♪みえぇ〜てぇえ〜 も 愛は”のところなどは、その“持ち直し”をメロディやアレンジも含め、見事に音楽として表現している。 ツー・コーラス目の冒頭は、ハッとする。

[街はもうたそがれて]

いったい、いつ“もうたそがれて”しまったのだろう? 音楽は時間芸術だけど、この歌の場合、さきほども書いたが、あのギターのゆったりしたフレーズもあり、そこに留まっている感覚が強く伝わる。だからこそ、“もうたそがれて”と歌われ、ハッとするのだ。時間経過を忘れていた自分は、ハッとする。さらに、このあたりで、実に有名な、あの場面に出くわす。

[……あの頃より……愛しているみたい]

この“……”の部分は、歌詞では歌われず、清水がベースで“歌って”いる。二通りの解釈が出来る。ひとつ目は、声には出さないが心の中に“歌詞”は存在し、それを清水がベースで代弁している、という解釈だ。

この作品が世に出る前年、1979年にリリースされた山口百恵の「美・サイレント」という作品は、歌詞の一部を声に出さず無音で“口パク”するパフォーマンスが話題になった。オフコースが百恵からインスパイアされたとは考えにくいが、若干、類似した手法であると感じないわけではない。

もうひとつは、最初から歌詞は、“あの頃より”以外に存在しなかった、という解釈である。譜面の上ではタメがあって、そしてこの言葉がぽつりと歌われる、というふうに受取れば、まさに登場人物が、ぽつりと呟いたからそうなった、ということであり、全体のメロディの流れから、ここだけは外れている、という受け取り方も出来る。

ここまで名前が出てこなかったが、大間はなにをしているのかというと、時を刻んでいる。ドラムというのは時間の内側に潜って刻むことも出来るし、外側で顕在的に刻むことも出来る。この場合、内側の意識が強い。でもボーカル・パートへの受け渡しでは、小粋にシンバルを付加したり、シンプルながらセンスが光っている。

文 / 小貫信昭

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