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“共有”することを意識するようになった──ASKA、新作『Black&White』本人コメント付きレビュー

“共有”することを意識するようになった──ASKA、新作『Black&White』本人コメント付きレビュー

喜んでくれた人たちがいたことを受けて、“前のポジションではないところ”からの楽曲作りになった気がする

前回、ASKAの『Too many people』に関して書いた原稿は、多くの方に読んでいただけたようである。ASKA本人も、読んでくれたらしい。自分の作品に対するもの、というより、音楽を巡るひとつのアーティクルとして、評価してくれたようだ。直接会って話すのも大事だが、文章を介す、というのも大事なことだ。彼とは旧知だけれど、時にはこうした、一定の距離が心地良い。

と、書きつつ、今回は図々しく、お願いしてしまったのである! 新作『Black&White』に関して「いくつか教えてくれないでしょうか?」と。距離が大事と言っておきつつ、前言を翻した。彼は快くリクエストに応じてくれた。電話の向こうのその声は、そう……“持ち運びできるオーケストラ”のようなふくよかなその声質は………ASKAそのものであった。とはいえ、これはベッタリとしたインタビュー記事、ではない。今回『Black&White』では、画期的なデジタル・ブックもイシューされる。その役割まで侵食するのはヤボというものである。

それにしても、前作から約8ヵ月。曲を書き溜めていたとはいえ、今年は2枚のオリジナル・アルバムをリリースする、記念すべき1年となった。まずは、この2枚の相関性について訊ねてみた。

『Too many people』のときは、「いったい何を、どういうふうに表現するんだろう?」という、ある種、いい意味でも悪い意味でも、僕に対する様々な興味があったと思うんです。「聴いてみたい」という人と、「聴いてやろう」という人の、気持ちが入り交じってた。なので僕も、作品として“武装したような楽曲”を、13曲並べたような気がするんですよ。でも今回は……、これは僕が勝手に思ってるんだけど……『Too many people』をすごく喜んでくれた人たちがいたことを受けて、喜んでくれたということが条件となって、“前のポジションではないところ”からの楽曲作りになった気がします。

ASKAの言う“前のポジションではないところ”とは、どういうことだろう。あくまで私感だが、『Too many people』は、私小説的にも聴けるアルバムだ。当時の彼をとりまく状況……それに対して嘘のないものにするなら、世界中で、自分がいちばん知っている場所である“私”というものも、大きなテーマとなったのだろう。音楽制作環境において、様々な制約があるなかだったこともある。彼の言う“武装したような”という言葉を、べつにネガティブに捉えたわけじゃなく、僕はこう解釈してみた。さて、みなさんは、どう感じるのだろうか。

世間はASKAの、唯一無二の魅力を再確認したわけである。『Too many people』は、風評を蹴散らして、収められた楽曲のそのクオリティこそが伝播していった。しばらく空いていた“ASKA”という席に、再び座ったのはASKAだったのだ。そのぶん、我々は贅沢になった。『Too many people』が届くまでは、そりゃ沈鬱な表情だった。やがてそれも晴れて、「あんだけ名曲書いてきた彼なんだから、これくらい当たり前だよ」と思い始めるのだ。ゲンキンなものだ。そして今回の『Black&White』を、評価のハードルを上げて待ち構えた。

「前回を乗り越えたな」と思ってもらえたら、このアルバムは与えられた役目を果たす

“Hey!!”という威勢のいいかけ声とともに、1曲目「塗りつぶして行け!」はスタートする。エナジー満タン。気づくと心のアクセルを踏み込んでいる。ロック・ファンはストーンズの古典に引っ掛けてるタイトルと思うかもしれない。聴けばわかるが、これは“相対性理論越え”した歌詞の、キラキラした作品だ。そしてアルバム・タイトル曲の「Black&White」……。でも彼は、そもそもアルバム・タイトルというものを、“作品集全体を象徴するもの”として捉えたことは、過去にもないと言う。

昔からそうなんだけど、アルバム・タイトルにふさわしい曲があるわけじゃないんです。目を惹くもので、耳のインパクトも兼ね備えたもの、それが今回はこの曲だった。このタイトルがふさわしいかなと、そう思っただけなんですよ。でもアルバムというのは、毎回、「今回が最高」って言ってもらえるのが嬉しくてね。聴いていただいて、「前回を乗り越えたな」と思ってもらえたら、このアルバムは与えられた役目を果たすと思ってます。そしてまた次は、『Black&White』を越えたという、そんな印象を持ってもらえるよう、頑張ろうと……。

歌に用途があるなら、例えば悲しみに寄り添うハンカチみたいな歌があり、バンソウコウのような救急の歌もある。でも今回の場合、もちろんテンポや歌詞の世界観でグループ分けも可能だが、“十徳ナイフ的”というか“完全栄養食的”というか、そうした万能性をたたえた聴き心地が多い気がする。誤解のないよう書き加えるが、とはいえ「Loneliness」が笑気ガスのような歌のハズはない。「誰がために鐘は鳴る」と「Fellows」では、まったく世界観は違う。前者はこれがアナログ・レコードであるとするならA面B面の区切り的なアクセントにもなる壮大なバラードで、後者はASKAが、自らブログを始めたことで知る、自分のことを温かく見守ってくれる人たちの存在を仲間(=Fellows)と実感できたことから生まれた作品である。そう。まったく違う。

「風景が僕をためしている」は、デカルトが言う実在性とも通じるようなものを感じる(背伸びして難しいことを書こうとすると意味不明になるので、これ以上はやめるが……)。しかし、どの曲を聴いてみても、他人事じゃない気がする。どこかで魂は繋がっている。くだけた言い方だったら、身につまされる……。そんなところがある。
「オレンジの海」は典型的だ。今ではスーツ姿の男が、ふと、幼き日を回想するシチュエーションではあるが、それよりなにより、誰の心の分母にもある夕日の紅、それが呼び起こされ、受け取った一人一人の中で、自分に沿ったストーリーが広がっていくわけである。そもそも「いい曲だよね」という場合、それは「私と無関係じゃないよね」という意味でもある。

一回聴けば充分なようなものをアーティストが作っても意味がないと思う

最後にここ最近の、そして、これからのASKAの、楽曲制作のスタンスについて語ってもらった。我々が『Black&White』を聴いて、これらの歌は自分と無関係じゃないと、そう思ったことと、関係ある発言でもある。

今回、新しいチャレンジをしたというより、自分がある時期を越えるごとに、“共有”することを、すごく意識するようになってきてるんです。手前味噌なだけで、一回聴けば充分なようなものをアーティストが作っても意味がないと思うのでね。受け入れてもらいやすいものを、という気持ちが、どんどん強くなってます、最近は。

[この記事のボ−ナス・トラック]
予約特典CDとして、CHAGE and ASKAの1986年のシングル「黄昏を待たずに」がセルフ・カバーされている。オリジナルよりちょっとテンポは落とされている。アーティストにとって過去の作品とは、また、もしそれをセルフ・カバーしたいと思う理由があるなら、こういうことじゃなかろうか。“今でも充分に通用するコーディネートだけど、唯一、ジャケットに肩パットが入ってるのだけはダメだよ”。ちょと違うかな……。久しぶりにこの楽曲を聴いたが、サビの展開など、まぎれもなくキャッチーである。でも、「黄昏を待たずに」を待たずして、このアルバムには「君と春が来る」のような、レモンは卒業してそろそろライムかカシスの気分かな、といったラブ・ソングも含まれているので、違和感なく聴ける。

取材・文 / 小貫信昭