佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 18

Column

「あっこゴリラ」から「阿久悠」へとつながっている、日本語による新しい歌の表現

「あっこゴリラ」から「阿久悠」へとつながっている、日本語による新しい歌の表現

なぜだかわからないが、「あっこゴリラ」という名前に惹かれた。
フィメールラッパーとして注目が集まっている彼女には、何かがあるように思えたのだ。
新しい才能に出会えるかもしれない、そんな予感がして予備知識なく最新作を聴いてみることにした。

とはいえ、ぼくはラップやラッパーに日常的に接しているわけではない。
それでも日本語による新しい表現に挑んでいる人たちへの関心は、ラップが日本に上陸した1980年代から持っていた。
いろいろなアーティストとレコーディングやライブで仕事をしたこともあるし、今でも続けている。

去年は夏から秋にかけて、リオデジャネイロと東京で行われた国際的な文化交流イベント「上を向いて歩こう~Olha pro céu~(オーリャ・プロ・セウ)」で、スタッフとして参加する機会を得てブラジルまで行った。

ブラジルのラッパーのEMICIDA(エミシーダ)が、日本の名曲「上を向いて歩こう」という歌から受けとめた思いを、「Olha pro céu」という楽曲にして発表したとき、サンパウロまで行ってレコーディングでコラボしたのがスカパラだった。
エミシーダはポルトガル語のラップで、こんなメッセージに意訳して歌い継いでいた。

この地は生き残ることがアート
心臓はさらに高鳴る
雲で曇らせられようとも
幸せを探し求める
熱いアスファルトと寒さの中
前に前に進もう
そしてすぐ皆 気づくだろう
夏の光に包まれていることを

リオではエミシーダと東京スカパラダイスオーケストラによる、忘れられないライブを体験することができた。

〈「Olha pro céu(上を向いて歩こう)」は13分13秒から始まります」

さて、ここからが本題だが11月8日(水)にリリースされたあっこゴリラの2nd EPは、6曲入りだったが予想した通りどれも面白かった。

そして「ゲリラ豪雨 ゲリラ豪雨」と始まる1曲目の「ゲリラ」から、ラストの「GREEN QUEEN」にいたるまで、どの曲にも必ず印象に残るフレーズがあった。

自分のヒーローをうたった歌詞からは、時代とともに普遍性が感じられた。

かなしいときにはそっとボタンを押して
つらいいたいいたいいたイヤイヤイヤ
そんな時はいつでも君を夢見る
ジョンレノン ボブマーリー
英徳向井 武井壮 ムツゴロウ familylover&you
my only ヒーロー
ずっと死なないよ
いつでも
いつも私のそばにいる

一度も聴いたことがなかった彼女の音楽を、あえてまっさらの状態で体験してみたのだが、日本語による新しい世代の表現者として成長してほしいと思った。

あっこゴリラの動画を視聴していたら、彼女が日本という限られた場所だけでなく海外にも目を向けて、すでにアフリカやアジアへのアプローチを行っていることがわかった。

映像で懐かしいと思ったのは、ベトナムで撮影した「ウルトラジェンダー」のPVだ。
ぼくがプロデュースに関わったTHE BOOMの「真夏の奇蹟」と、テイストがそっくりだったことがうれしかった。

「真夏の奇蹟」はブラジルのサンバとアジアン・ポップスのミクスチャーで、デモテープづくりやPVの撮影はタイのバンコクで行ったものだが、画面から伝わってくる勢いや生命力が共通していたのだ。

世界に共通する意識が歌われている「ウルトラジェンダー」では、「男も女でもない 大人も子供でもない 貧乏もリッチでもない フリー フリー フリーダム ウルトラジェンダー」という言葉が出てくる。
それを聴いていると怪物とも称された作詞家、阿久悠のメッセージと重なってくるように思えてきた。

既存の価値観にとらわれることなく、誰もやってないことに挑み、自分で新しい地平を切り開いていく。
そうした意思表示を歌謡曲の世界で打ち出すことが、昭和の時代に阿久悠がチャレンジし続けたテーマだった。

あっこゴリラはラップの世界でチャレンジを始めたばかりだが、根底には共通するものがあるのではないか。
なぜそう思ったかというと、最初と最後がこのように歌われていたからだ。

WAKE UP WAKE UP WAKE UP
名のあるものに興味は無い
WAKE UP WAKE UP WAKE UP
未知なる細胞 最初の才能
WAKE UP WAKE UP WAKE UP
既にあるものには 何も無い
NO FUTUREからPOWER TO THE FUTURE

1967年にザ・モップスの「朝まで待てない」でスタートした30歳での作詞家人生、それは新しい歌謡曲の時代の幕開けになったのだが、キーワードは「ない」だった。
作詞家として成功をおさめていく過程で、阿久悠の名を世に知らしめた初期の5曲のうち、3曲でタイトルに「ない」という言葉が使われている。

1967年 「朝まで待てない」モップス
・デビュー楽曲

1970年 「白い蝶のサンバ」森山加代子
・作詞家になることを決めた最初の大ヒット曲

1970年 「ざんげの値打ちもない」北原ミレイ
・高い評価を得て作詞家として自信を持った楽曲

1971年 「また逢う日まで」尾崎紀世彦
・阿久悠の時代が到来したことを告げた大ヒット曲

1972年 「どうにもとまらない」山本リンダ
・幼稚園児や小学生にまで歌謡曲を広めたヒット曲

「朝まで待てない」について、阿久悠はこう語っている。

僕は、「朝まで待てない」という詞でスタートしたことが、その後の作詞家生活の中で一番幸福だったと思っている。なぜなら、抵抗があり、拒絶があり、混迷があり、飢餓があり、このタイトルは、今の時代でも詞にできると感じられるからである。
(阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』新潮社)

あっこゴリラの歌詞にも、抵抗があり、拒絶があり、混迷があり、なによりも時代への飢餓感があるように思う。

そして彼女は間違いなく今、自分の才能を信じて磨いている。

そういえば阿久悠も遅咲きで、作詞の才能を開花させたのは30歳、最初の成功をつかんだのは33歳になる直前のことだった。

あっこゴリラにはこれからも、グルーヴ感があって切れ味の鋭いラップを極めていってほしい。

だがそう思う一方で、ラップという制約から自由になった素直な歌を、いつの日にか聴いてみたいと思っている。

あっこゴリラさんの楽曲はこちらから


著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、

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