【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 51

Column

チェッカーズ 着々とアルバム・ア-ティストへと育ち名盤連発

チェッカーズ 着々とアルバム・ア-ティストへと育ち名盤連発

チェッカーズは着実にアルバム・アーティストへと成長していった。特に彼らのように、バンド内に専任的なソングライターがいるわけじゃなく、メンバーそれぞれが詞曲を作ることに積極的だった人達の場合、皆で協力し、聴き応えある“アルバムらしいアルバム”をモノにすることが、すなわちバンドとしてのひとつのゴールでもあっただろう。ちなみに僕が知る範囲で、この件に関してチェッカーズと共通した雰囲気を感じるバンドといえば、ユニコーンがそうだろう。

キッカケとなったのが『FLOWER』(86年3月)である。実はこの作品集がリリースされた時、おや?、と、そう思った。「ちょっと雰囲気、違ってきたぞ…」。Twitterはまだない時代だったけど、僕はそう呟いていた。タイトルやジャケットは(まんまの連想ではあったけど…)60年代の“フラワー・ムーブメント”を連想させた。ローリング・ストーンズに『FLOWERS』ってアルバムがあって、「関連あるのかしら…」、なんてことも考えた。

当時、本人達は取材などでは否定していたと記憶するが、本当のところはどうだったのだろう。いずれにしても、皮ジャンにリーゼントのフィフティーズのアメリカンな文化圏とは違う要素が滲み出てきたことだけは事実だった。

アルバムを聴いてみると、内容的には売野雅勇・芹澤廣明コンビが柱となっていたし、いきなり劇変、というわけじゃない。しかし、曲のみならず、彼ら自身がアレンジも担当した作品(編曲者としてバンド名がクレジットされた)が増え、確かな成長を感じさせたのだ。

彼らの“師匠”である芹澤が、徐々に徐々に、成長を促していった結果だったのだろう。また詞作に関しても、売野から学んだことは(具体的な歌詞のことのみならず、人生哲学的なことも含め)大きかった筈である。

印象に残る楽曲について書かせていただく。それは、いきなり1曲目の「Free Way Lovers」である。今聴いてもぜんぜんイケてる。好き! アコギのストロ−クを重ねたユッタリとしたトラックの作品であり、そもそもアメリカの大地を連想させるけど、聞えてくるのはまさに、ロードムービーのような歌詞の世界観なのだ。

ニューオリンズで偶然出会った彼女と、一緒にメンフィスを目指し、シカゴ〜ニューヨークと旅をする。ここに出てくる地名、どれも音楽の偉大なる故郷だ。そして出会いと同じような突然の別れ。しかし後腐れは無い…。途中、アレンジが若干ラテン風味になったりもして、音楽的なセンスもすこぶる良い。

足踏みオルガンの音色が通奏音としてずっと響いている「Long Road」も、印象的な作品である。後半へ行くに従いバンドの音像がダイナミクスを増していき、さらには詞の確かな視点といい、聴き応え充分だ。彼ら流の“ゴスペル”というか、そんな感覚でも聴けるだろう。この時期、藤井フミヤの歌唱は、ちょっとノドを締めぎみにしてビターな味わいを出し始めているように思う。

どんな物事も三段跳びの構えだと上手く行く。『FLOWER』が“ホップ”なら、次の“ステップ”にあたるのが、完全に彼らが主導権を握ることとなる一枚、『GO』(87年5月)である。まさにここで、バンドの意志としてもイケイケの“ゴー!”、だったのだろう。

前回取り上げた「NANA」を含む作品集である。7人中、徳永以外の6人が作詞作曲を手がけている。非常にざっくりした分類だが、80年代、和やかな感覚をアメリカンとするなら、こだわりの感覚をブリテッシュとする見立てがあった。この判断でいうと、ブリティッシュな感覚も増したのが本作である。「YOU’RE A REPLICANT(CAMA CAMA MOO MOO)」の、ヒネリの効いたリフの感じとかもそうだ。

鶴久がリード・ボ−カルを担当する「MELLOW TONIGHT 」は、ダブ的な深みのあるリズム隊の響きもいい雰囲気。曲も鶴久だが、メロディ・メーカーとして胸を張れる仕上がりだろう。また、意外な盲点というか、そもそも初期からコーラス・ワークが新人離れしていた彼らが、むしろそれを封印、というか、みんなで無骨に声を合わせてみました、というスタイルで歌っている「BLUES OF IF」も、実に新鮮である。この曲はタイトルに違わぬブルース・ロックである。

さらに、高杢が作詞とボーカルを担当し、作曲は武内の「GO INTO THE WHOLE」は、ウォーキング・ベースもハマってぐいぐいくるスウィング感を醸しつつ、初期の彼らのトレードマークだったフィフティーズを、より現代的に仕立て直した風情だ。この当時の洋楽に照らし合わせるのなら、“ネオ・ロカビリー的”と、そんな説明のほうが分かりやすいかもしれない。

そして『GO』は、アルバム終盤の2曲が、実に聴き応えある並びゆえ、“アルバムらしいアルバム”という印象が、決定的になっている。その2曲とは「QUATRE SAISONS」と「Mr.BOYをさがして」だ。

アウトロ付近の口笛が、とっても哀愁を感じさせ、聴き終わった後の余韻のためにこの曲はあるのでは?、と、そんな想いにさせる前者。♪ツッ、タタン、という、ある意味チェッカーズの代名詞的なビートはそのままに、よりフィル・スペクター風な奥行きを持たせ、しかしドゥワップ命の彼らの本分もチラ見せしつつ、原点回帰のようで未来をみつめるこの作品に、別腹まで大満足なのだった。フミヤの歌詞も、己のなかの少年性と対峙するかのような深みのあるものとなっている。

さて、ここまで読んでくれた人達が、こんな不満を漏らし始めているのが聞える。ホップとステップは分かったけど、じゃあ肝心のジャンプってのはどーなのよ? 一週間後の同時刻に、またお目にかかりましょう!

文 / 小貫信昭

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