黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 10

Interview

ゲームデザイナー上田文人氏(上)『ICO』『ワンダと巨像』『人喰いの大鷲トリコ』独自の世界観を持つ作品創りの原点とは?

ゲームデザイナー上田文人氏(上)『ICO』『ワンダと巨像』『人喰いの大鷲トリコ』独自の世界観を持つ作品創りの原点とは?

インベーダーゲームが家にあったのを覚えています

とはいえ、大学時代や青年時代は得るものがすごく多かった時期だったでしょうね。AMIGA(アミーガ)(注3)を買われたのはその頃ですか?

上田 そうですね、技術一辺倒ではなくて今のゲームデザインに繋がるコンセプトを考えたりや企画提案することはその時得た経験が大きいと思います。ただ、AMIGAを買ったのは大学を卒業してからですね。僕が大学生の頃はまだコンピューター自体がさほど普及していなくて。唯一、学校にあったのもモノクロのマッキントッシュで、授業で選択すれば週に1時間使えますとか、そのくらいでしたね。

注3:1985年に発売されたコモドールのパーソナルコンピューター。強力なグラフィック機能が欧米で人気を呼び、映像や音楽編集などに広く利用された。ゲーム機としても人気が高く、『レミングス』などが話題を集めた。

ゲームと出会ったのはその頃ですか?

上田 もっと前です。任天堂のファミリーコンピューターが出たのが中学生のときですから。

そうでしたか。ゲームとの最初の出会いはいつ頃になりますか。

上田 実家が喫茶店で、当時の喫茶店ってゲーム機を置いてたんですね。インベーダーゲームが流行ったとき(注4)、店にあったのを覚えています。ただ、家にあるからといって好き勝手に遊べるわけではなかったです。やってみたのも1回だけで、確かあんまりいい点数を取れなかったんですね。それで、アーケードゲーム、特にシューティングゲームに対する苦手意識みたいなものが芽生えてしまいまして。

注4:いわゆるインベーダーブームが起こったのは1978年で上田氏が7~8歳くらいの頃。

ああ~、そうだったんですか。

上田 あと、あまり見返りがないものに、お金を使うってことに抵抗があったというか。近くにドライブインがあって、そこにアーゲードゲームがたくさんあったんですけど、そういったものはやらずにクレーンゲームばっかりやってました。何か景品が出てきたりするのであればやってみようと思うんですね。なので、当時流行っていたアーケードゲームは実はあんまりやってないです。自分の中で遊んだ記憶があるのは任天堂の『パンチアウト!!』(注5)やATARIの『STAR WARS』くらいです。

注5:ボクシングのチャンピオンを目指して、タイプの異なるさまざまなボクサーたちと戦うボクシングゲーム。アーケード版は主人公がワイヤーフレーム表示だった。

僕はセガが大好きで…

家庭用ゲームにどっぷり向かい合った時期っていうのはあったんですか?

上田 これもいろんなところで言っているんですけど、僕はセガが大好きで。初めて買った家庭用ゲーム機はセガ・マークⅢ(注6)だったと思います。『スペースハリアー』(注7)がやりたかったんですよね。

注6:1985年にセガが発売した家庭用ゲームハード。セガの人気アーケードゲームが多数移植され、多くのセガマニアを生み出した。
注7:1985年に発売されたセガのシューティングゲーム。疑似3D的な画面構成や操作に連動して稼働する体感型の筐体などが人気を博した。

それはうれしいですねえ。ありがとうございます。

上田 当然、そのあとにファミコンだったり、ディスクシステムだったりを買って、いろんなゲームを遊んでいったんですけど『パンチアウト!!』や『スペースハリアー』は単に面白いゲームというよりは、そこに奥行きのある世界があって、そういうゲームを好んでやっていましたね。

その当時の年齢でゲームがかもし出す世界観なりに感情を持つっていうのは、ずいぶん大人びている気がします。10代前半だと何かを壊すゲームとか、何かを達成する喜びみたいなものを優先しがちじゃないですか。

上田 振り返ってみると、世界観というような言葉に置き換えられるんでしょうけどね。当時は先ほども言ったクレーンゲームじゃないですけど、自分のお金を投資する対象として、それに見合った体験ができるのかどうかを気にしていました。『パンチアウト!!』はワイヤーフレームで今の3Dゲームの主観視点に近くて、シミュレーター的な印象がありましたから。『スペースハリアー』も同じで、そこにある世界に触れてみたい、体験してみたいということから、お金を入れてもいいんじゃないかっていう風に感じてたのかなあと思います。アーケードゲームに関してはそういう視点で見てましたね。

家庭用ゲームで何か当時印象に残っているものはありますか?

上田 ディスクシステムが好きでしたね。何が好きかって言われると説明が難しいんですけど、ロムカセットの変化しない固い世界よりは書き換えができたりとかセーブ領域がたくさんあったりとか、そういうところにロマンを感じてたのかなあと思います。ディスクシステムのゲームでは『ゼルダの伝説』はもちろんとして、『スマッシュピンポン』(注8)が好きでしたね。コナミの『ピンポン』を任天堂さんが権利を買って出してたゲームだったと思うんですけど。

注8:コナミの『ピンポン』の移植版で1987年にディスクシステム向けに発売された。フォアとバックなど多彩な打ち分けが可能で本格的な卓球を楽しめる。

ソニーが主催するアートコンペで入賞

大学卒業後はどうされたのでしょうか。やはりデザイン系の会社に就職されたとか?

上田 大学を卒業したあとすぐには就職せずに、個人で美術の活動をしていました。

就職はしなかったんですね。

上田 そうなんです。当時の美術系の学科ってごく一部がゲーム会社に就職して、あとは美術の先生になるっていうのがパターンで、それ以外はあんまり進路がなかったように記憶してます。こんなこと言ったら学校に怒られるかなあ(笑)。

就職しなかったことに対して焦りはなかったんですか?

上田 自分的にはあんまり焦りはなかったですね。いくつかアルバイトをしながら美術の活動をしてました。そうしたときにソニーが主宰するアートコンペで入賞したんです。それまでの人生の中で玄人にきちんと評価されたっていうのは、それが初めてだった気がしますね。

明和電機(注9)さんとか新規性の高いアートが多く輩出したコンテストですよね。そのときはどういうものをお出しになったんですか?

上田 動物がテーマになってる作品でしたね。美術作品って、かけたお金以上の価値を作り出す、っていうのが基本なんですけど、僕らが作ったのは制作費よりも断然安く見えるような表現で。田舎の軒先にある、ニワトリを飼っているような古びた汚い小屋っていうんですかね、そういうものを作ったんです。わざと汚したりとか、錆びさせたりとか、あえてボロボロの材料を使ったりとかして。それで、その中に機械仕掛けのいろいろな仕組みを入れて、センサーだったり外から操作したりすることによって、その中にさも動物がいるような気配を醸し出す、みたいな作品でしたね。

注9:土佐信道、土佐正道兄弟を中核とする中小電機メーカーを模した現代芸術ユニット。

はあ~~~(感心)。

上田 なぜ、そういう表現を選んだかっていうと、小難しい美術表現じゃなくて、誰もが興味を持ってくれるものにしたかったんです。そういうものってなんだろうって考えたときに、ペットショップや動物園で、大人から子供まで動物に釘付けになっているのをよく見るじゃないですか。それで、僕は動物に詳しいということもあって……まあ、さっき言った話に近いんですけど。

その作品は写真とか残っているんですか?

上田 残ってますね。

ソニーのコンペ みなとみらいに展示された時の作品

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