es執筆陣が独断で選ぶ2017年 BEST MUSIC  vol. 1

Column

2017年、「いい歌詞だなぁ~」と思った楽曲ベスト3

2017年、「いい歌詞だなぁ~」と思った楽曲ベスト3

オンガクはブンガクじゃないから歌詞だけでは語れない。以前から言われる、真っ当な意見だ。しかし歌が「真のポピュラリティ」を目指す時、「グッとくる歌詞」が不可欠なのも事実である。2017年も様々な作品を聴いた。そのなかから、パッと思い浮かべて潔く迷うことはせず、選んだのがこの3曲だった。エンタメステーションで原稿書かせて頂く機会が複数回あった人達は、あえて外した(理由は、その時と同じようなことを書きそうだから…)。

文 / 小貫信昭

「飛燕」/米津玄師『BOOTLEG』より

米津玄師という人には、かつて「ゴーゴー幽霊船」でビックリしたことがあった。そこには久々に「意味とノリ」が揃っていた。彼はある意味“J-POPのレオナルド・ダビンチ”的に多種多様な才能の持ち主だが、全般的に歌詞が弱い今の音楽シーンゆえ、彼のなかでも、その作詞部門がヤケに目立つ。この作品は最新アルバム『ブートレッグ』の1曲目を飾る、見事な完成度の1曲だ。

「飛燕」を聴くと、体内からエナジーが湧いてくる。しかも炭酸系の表面的な刺激じゃなく、有効成分が五体に効くのである。聞くところによれば、『風の谷のナウシカ』にインスパイア(映画版というより原作全巻に)された楽曲だそうだ。歌詞の[灰を前に嘆いていた]は、“火は一日で森を灰にするが水と風は〜”という、この物語のなかの爺の台詞にも重ならなくはない。

さらに[風]は、ナウシカと離れてイメージすれば、『スター・ウォーズ』における“フォース”のような意味合いにも受け取れる。もちろんメロディもアレンジも良質である。あとひとつ、夜の[底]に対して朝の[淵]という、この表現も実に正確である。それぞれの時間帯の特質を、端的に表現している。

「某東京」/ゲスの極み乙女。『達磨林檎』より

ゲスの極み乙女。の川谷絵音の作風に散見されるのは、特にサビに至るAメロBメロ部分において、いわゆるラップ的なカテゴリーとして解釈されるコトバの乗せ方を得意とすることであり、この作品も例外ではないのだが、韻という意味よりノリのための意匠に片寄ることなく、なにより言いたいことがハッキリ伝わってくるのがこの作品の魅力だろう。

何が伝わるのかというと、都会で居場所を見つけようとする若者の鬱積した気分だ。でも、時間を掛ければ徐々にではあるが姿を表わすチュッパチャプスの心棒のように、最後には「素直さ」へと着地するのが本作の魅力である。

都会での居場所というのは、ひと頃、よく歌われたテ−マだった。でも現在は、こと情報に関しては、地方と都市の格差がなくなった。でも、それでも埋められないものが“実感”で,この歌は、まさにそのあたりを描いている。

[おっさん]といった他者も登場する。フル・コーラス聞くと、最後には見事に伏線回収され、オチもついている。個人的に素晴らしいと思ったのは、[1K]の家賃が[6万4000円]という現実にも慣れてしまった主人公が、[東京]も[6畳の部屋]も“狭さ”ということでは[そんなに変わらない]と達観する部分だ。つまり人間、可能性というコトバの段階でなら、それは雲海のごとく広がる希望だけど、より具体化し、数多の選択肢となって突きつけられたなら、もう選べないわけだ。なので都市も自分の狭い部屋も、さほど変わらぬ“狭さ”なのである。ライヴでのこの曲の川谷のカツゼツも好きだ。

「あなた」/宇多田ヒカル

最後は宇多田ヒカルの新曲を。特に僕は、「これはこういう歌だ!」と決めつけようというわけじゃないけど、ここでは便宜上、大切な大切なあなたのことを、こんなにこんなに想っているという、“心の丈”を描くことに特化している歌詞…、と、そう受取りつつ、紹介したい。でも、いかにしてそれを伝えるか、コトバに意匠をこらすか、といったあたりは、ソングライターとしての腕の見せ所でもあるわけだ。

しかし“大切な”とか“こんなに”とかってものは、押し付けるだけじゃダメだ。暑苦しいのみである。身振り手振りを大袈裟にすればいいわけでも、ひたすらキラーワードを連呼すればいいってわけでもない。さて宇多田ヒカルは、どう表現したのだろう。

まず、スタンダールが『恋愛論』のなかで用いて有名になった愛の“結晶作用”に関しては、[ただの数字]が特別なものになると言い、また、[肌の匂い]も変わってしまうと、そんな巧みな表現でオリジナリティを獲得している。さらに具体的に解説はしないが、各人、様々なイメージを受け取れる歌詞である。

単語的には[アクティヴィスト]と[天上天下]に注目だろう。前者は“〜の足音”とあるので、主義主張にのっとり積極的に行動を起こす人間のことだろうし、バイリンガルである宇多田が、敢えてカタカナ言葉を使うのは、おそらく日本語には該当するニュアンスの単語が見当たらないからではなかろうか。なお後者は、お釈迦様に関連する仏教用語だ。

また、完成度の高いコトバのなかに[神様お願い]という、一瞬、理知的であることを放棄したかのようなユルいフレーズをぶち込んでくるのも彼女ならではだろう。個人的には、こうした彼女のユーモア感覚が大好物なのである。

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