Interview

現編集長が語る-知的欲求を刺激する雑誌『ムー』とはなにか?どこから来て、どこに向かうのか?

現編集長が語る-知的欲求を刺激する雑誌『ムー』とはなにか?どこから来て、どこに向かうのか?

1979年創刊からもうすぐ40年という長き歴史を誇る雑誌『ムー』。UFOや未確認生物、都市伝説など世界の謎と不思議を扱い、時代とともに様々な話題をふりまいてきた。
この革新的、且つ独創的な雑誌について、いま一度その歴史と編集方針について、現編集長:三上丈晴氏に訊いた。
少年のころ、クラスに何人かいた熱烈な『ムー』ファンを思い起こさずにはいられない三上氏の言葉には、人間の知的欲求を刺激する熱意が存在した。

取材・文 / 尾之上浩司(シミルボン編集部)

その時代の必然性から産まれた『ムー』の誕生

<書籍詳細(最新号)>
『ムー (2018年1月号)』/学研


まず、『ムー』という雑誌が誕生するまでの流れを教えていただきたいのですが。

弊社は、もともとは学習指導要領にのっとった出版をしていまして、そのなかにおいては『ムー』は肩身の狭い存在でしてね。かつては、《科学》と《学習》という学年誌をやっていましたが、その上の学年に《コース》という雑誌がありまして、中1コースから高3コースまで。

『ムー』編集長 三上丈晴氏

他社の学年誌と対置するような感じでしたね。

中学以上は旺文社さんですね。向こうは高校3年が『蛍雪時代』。旺文社の《時代》と学研の《コース》が2大学習誌としてあったんですね。教科書のアンチョコ(注・教科書内容を圧縮したテキスト)の部分が軸で、学年が上がると、それ以外のスポーツだとか芸能だとかの読み物の割合が多くなっていって、小学校よりも中学、中学よりも高校のほうが一般誌に近い内容になっていった。で、もともとは《コース》の編集部が始まりなんですね。3年分ある《コース》で、夏休みなどになると、読み物特集が組まれる――ミステリーゾーンとか、大予言特集とか――そうすると、人気がぼーんと上がる。
ちょうど1970年代の後半というのは雑誌ブームのときでしてね、創刊ラッシュで、弊社でも雑誌を創ろうということで、雨後の筍のように登場させた。カメラ雑誌の『CAPA』や、アイドル雑誌の『BOMB!』だとかが生まれていったんです。

どれも長寿雑誌になっていますね。

アンケートを取って、需要があるようなテーマがあれば、それを雑誌にしよう、と。そして1979年11月に『ムー』を創刊。当時は隔月誌でした。いまよりも版型がひとまわり大きくて、マンガ、芸能、小説といったフィクションが主体でした。どうしても学年誌出身なので、読者対象としているのが中高生。その世代に向けたエンターテイメント雑誌として、そういう要素があったんです。
隔月で始めて1年ほどたって、なかなか数字は伸びない。そこでリニューアルということになり、どうせマニア雑誌なのだから、思いっきり特化してしまおうということになりまして。小学生でも歳相応よりも上のレベルの記事を読みこなすように、中高生向けだけではなくて、一般の大人でも読めるものにしようとシフトしたんです。ノンフィクション主体で、芸能記事などは排除しようと。それで1980年11月に版型をいまのサイズに小さくして、よりマニア向けにしたところ、ぽーんと数字が出て、そこから順調に推移するようになったんです。

この時代、メディアでも、こういう素材の人気が高かったですよね。

矢追純一さんが《木曜スペシャル》などでUFOスペシャルをやっていましたね。ネッシーが話題になり、ユリ・ゲラーが来日していた。一方で心霊写真が流行って、学校の教室に一人ぐらい心霊写真集を持ち込んできて、休み時間、人だかりができていたとかね(笑)。

(笑)

そのような状況で、こういう雑誌が少なかったという背景もあって。そういう流れの受け皿に『ムー』がなったんです。それから38年。「なんとかやってきたなあ!」と(笑)。
だいぶ大人向けには変わってはきましたが、どうしても作りが学年誌なんです。たとえば読者投稿の部分などは学年誌の香りが残っています。

立ち上げの頃から、あまり変わっていないということですよね。

どちらかというと“保守”というか、こういう不思議現象などのテーマを扱うのは実は非常に難しい。作り手が茶化したら思い切りシラケてしまう。そのあたりは、読者がすごく敏感に感じ取ります。かといって、作り手が思い切りはまって記事を作ると、読者は“引く”。
だから色んな競合誌が出てきては消えていったのも、この距離感のつかみかたを失敗したのではないかと思います。

20代のときに買っていた分なんですが(と80年代の号をおもむろに取り出す)。比較すると、本質はあまり変わっていないのがわかります。構成も記事も。

デザイナーの作り方も、写真を軸にした新聞や事典などに近いですよね。こういうところで、誌面的な印象として信頼感を出していこうとしていたんです。

80年代の『ムー』を手に取る三上氏。誌面には「ムー民」の文字。

三上さんは最初から『ムー』に配属されたのですか?

最初は『歴史群像』というムックの編集部に配属されました。意外に知られていませんが、『歴史群像』は、もともと歴史群像の別冊として創刊されたんですよ。同じ《高校コース》出身の編集部が作っていました。そこの半年後に新たな雑誌創刊の話がもちあがり、内部での人事異動に合わせて『ムー』編集部に転属となりました。あれから、もう四半世紀が過ぎましたね。

もともと、そちらの素養のある方が選ばれて、かと思っていました。

基本的に、普通のサラリーマンですよ(笑)。

当時は、どういう体制で編集されていたのですか?

今と変わらず、4、5人ですね。ただ、フリーの編集の方々が実際には記事を集めてきて、社員編集はその記事の窓口という立場ですね。

まずはネタと。そこは作り方が変わっていないのでしょうね。

毎日、UFOが飛んでいるわけでもないので(笑)。みなさんは、うちの編集部を“怪しい人間の集まり”と思いがちだけれど、基本は雑誌というのは、どこまでも媒体なんですよ。あくまでも“研究家やライターの原稿を載せる”、そこは一貫しています。『正論』や『諸君!』のようなオピニオン雑誌ではないので。

特集記事とかは、どのようにして決めていらっしゃるのですか?

どうしても雑誌なので、そのときに流行っているものを入れていく。ネタがあれば使います。何かネタないですか?(笑)
基本的には、研究家の方の提案に基づいて。バランスを取りながら決めています。

季節感などは考えますか?

年末は、翌年一年を通しての予言めいたことを入れたりもします。月刊誌ですから、付録もふくめて、それなりの配慮はしています。

読者からの要望などはありますか?

来ますが、決まりきったものが多いですね。だいたい、ネタの種類はそんなにない!(笑) 同じネタだけど、料理の仕方が違うだけです。

科学雑誌的な創りの記事も目立つようになってきていますが。

理屈も必要ではあるけれど、さっきも言ったように、作り手側があまり入り込んでもまずいし、茶化すのもまずい。そんな距離感のなかで、懐疑的なスタンスを取って展開していく。
たとえば何か超常現象があったとして、まずは、一般常識の観点から考えられる仮説をすべて検証し、それでも説明がつかない部分をはっきりさせた上で、大胆な仮説をもちだしてくる。その仮説も、100%正しいというわけではないけれど、独自性が記事のオリジナリティとなって読者に訴えかけるのです。

反響の大きいコーナーは? 実用的なページとかになりますか?

実用スペシャルのテーマに関しては、かつては超能力開発や密教呪術などが人気でしたが、最近は、修行系といいますか、難しいことを要求するような企画は敬遠される傾向にありますね。

編集長ご自身が気になっているテーマは、どのへんでしょうか?

ムーが扱っているテーマはUFOや超能力、古代文明、秘密結社にしても、みな通底しているんですよね。包括的に、それが興味深いところじゃないでしょうか。

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