黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 11

Interview

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(上)『ゼビウス』の原点、ナムコ創業者中村雅哉氏との出会い

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(上)『ゼビウス』の原点、ナムコ創業者中村雅哉氏との出会い

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

『ゼビウス』がもたらしたゲーム性と、そこに秘められたゲームの物語性は、ゲーム黎明期にもたらされたエポックメイキングなコンテンツだったと言えるだろう。それは現代のゲーム用語になぞらえれば、「ナラティブ」というワードに該当するものだ。

稀代の創業者である中村雅哉氏と、彼の創業したナムコの成長期に数多くのコンテンツを開発して世に問い、多くのゲームプレイヤーたちに夢と希望を与えてきた。現在は、東京工芸大学芸術学部の教授として後進の育成を行いながら自身のビジョンを信じて突き進んでいる。その人物、遠藤雅伸の姿は時代を映す鑑である。

今回の「エンタメ異人伝」は、遠藤雅伸の作品を形成するもの、彼を動かすモチベーション、そして日本のゲームの未来に迫るものである。

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

東急文化会館のプリンアラモード

遠藤さんは東京のご出身ですよね、確か渋谷の方でしたね?

遠藤 そうですね。

僕は遠藤さんとは年齢がひとつ違いでして。同世代だけに、同じように感じてきたものがいろいろあると思うんですが、その頃の渋谷で、ご自身の幼少期の原風景みたいなもの、何か記憶されているものはありますか。

遠藤 今はなくなってしまった東急文化会館(注1)ですね。

注1:渋谷駅東口にあった複合商業施設。大型プラネタリウムや映画館などが人気を集め、長く渋谷のシンボルとして愛されたが2003年に閉館となった。

やっぱり映画を見に行ったとか? それともプラネタリウムですか?

遠藤 映画とかプラネタリウムとかよりも、なんだろう……食堂があったじゃないですか。あそこでプリンアラモードとかを食うわけですよ。

分かります! そういうのにハマった年代というか世代ですよね。

遠藤 そうです、そうです。プリンアラモードとか、なんとかサンデーとか、なんたらカフェとか。伯母がよく連れて行ってくれたんですよ。伯母がふたりいるんですが、どちらも子供がいなかったこともあって、すごくかわいがってくれたんです。

じゃあ、その伯母さまたちから好きなものを買ってもらうとか?

遠藤 そういう感じでしたね。

文化的なものに目覚めたのも、その頃になるんでしょうか。たとえば映画をたくさんご覧になったとか。僕は浅草の方に住んでいたんですが、当時は六区(ロック)街に映画館がいっぱいあって。父が映画好きだったので、3本立てとか2本立ての映画をいっぱい観れたんです。遠藤さんも周囲にそういう文化的な環境があったんでしょうか。

遠藤 父方は絵描きとか多かったし、母方のじいさんは僕が生まれたときには死んでたんですけども活弁(注2)をやっていたそうです。ただ、そういうのはあんまり関係なかった気がしますね。

注2:活動弁士のこと。サイレント(無声映画)の時代は活動弁士が人物のセリフや映画の内容などを語りで説明していた。

渋谷・石神井・横浜の記憶を重ねて

お父様が出版関係のお仕事をされていたとも聞いてたので、そういう影響が幼少期からあったのかなと推察していたんですが。

遠藤 母親がいろいろやらせてくれたというのはあります。幼稚園の時から大学を卒業するまでクラシックピアノを習ってましたから。

ということは、それなりに裕福で環境も良かったということですよね。

遠藤 普通です。いわゆる中産階級ですね。ピアノも母親がやらせたいからって、やっとの思いで買ったみたいです。

そのあとも何か所か引っ越しをされたんですよね。

遠藤 そうですね。石神井から横浜の青葉台に引っ越して、それから習志野に移って、それでまた渋谷に戻ってきたんです。

それは、やはりお父様のお仕事の関係で?

遠藤 いや、家族が増えて手狭になってきたんで都落ちしていった感じです(笑)。別に仕事も変わってないですし。

でも、渋谷と石神井だと環境はまったく違いますよね。

遠藤 そうですね。石神井は昔のちょっとはずれたところの町って感じでした。そのあと横浜の青葉台に行きましたけど、あそこは完全な新興住宅地で。まだ、雑木林とかが残っていて基地とか作って遊んだりできるような環境でしたね。

まだ、町角に土管とかがあった頃ですか。

遠藤 そうです。

僕も記憶があります。あの土管はどこにいったんだろうとか、そんなこと思ってましたね(笑)。習志野はどうでしたか?

めぐりめぐって戻ってきた東京工芸大学と、あの「予言の書」

遠藤 習志野に越した時はもう高校生とかだったんで、とくに思い入れはないですね。大学が近かったっていうくらいです。千葉大の写真工学科だったんで。写真をやっている大学はふたつしかなくて、千葉大はそのうちのひとつだったんです。

ちなみに、もうひとつはどこだったんですか?

遠藤 東京工芸大学の前身である東京写真大学です。

なんだか、めぐりめぐって戻ってきた感がありますね。

遠藤 そうそう。だから、当たり前ですけど、この大学(東京工芸大)にもいっぱい同窓生がいるんですよ。なので、写真学会とかによく誘われるんですが、「いや、もう写真はやってないし」って。ただ、写真学会にはいろいろ書いたりしてますね。

すごい運命を感じますね。少し話が戻りますが、中学・高校くらいの頃に影響されたものはありますか? 僕や遠藤さんは『ノストラダムスの大予言』(注3)とか『日本沈没』(注4)とかに影響を受けて、自分たちの人生がどうなるんだろうかって悩んだ世代かなと思うんですけど。

遠藤 僕はノストラダムスは全然悩んでないです。あの四行詩には「マルスはその前後の期間」っていう風に書かれているんですよ。前後の期間の「後」ってなんですか?

注3:ノストラダムスの予言について紹介した1973年刊行の五島勉の著書。1999年7月に人類が滅亡するという解釈がされていたことにより一大ベストセラーとなり、その後の日本にさまざまな社会的影響を与えた。
注4:天災による日本の崩壊を描いた、1973年刊行の小松左京原作のSF小説。空前のベストセラーとなり2度にわたって映画化。テレビドラマや漫画作品にもなった。

そうか、「後」はないはずですよね(笑)。

遠藤 そうなんです。ちゃんと読み込めば、別にそこで(人類が)終わりって詩じゃないんです。

全然、そんなこと思わなかったです。

遠藤 それは原文で読まないからですよ。

原文で読んだんですか!?

遠藤 読みました、怖かったですから(笑)。

あの頃に原文で読むってすごいことですね。僕なんかはこれがあったんで、どうせ死ぬんだみたいに思ってました。アニメの方はどうでしたか? 僕は高校生ぐらいのときに『宇宙戦艦ヤマト』とか観たんですが。

遠藤 アニメには影響されたと思いますね。というかコンテンツ全般です。高校のときは演劇もやってましたし、映画を撮ってたみたいというのもあったんで。

アニメも観て演劇もやられて写真もって、よくそこまで幅広くできましたよね。

遠藤 音楽もいろいろやってました。全部趣味の範囲でしたけどね。ただ、そのおかげでひとりでゲームを作れるっていう。

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