黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 11

Interview

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(上)『ゼビウス』の原点、ナムコ創業者中村雅哉氏との出会い

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(上)『ゼビウス』の原点、ナムコ創業者中村雅哉氏との出会い

毎週通った新宿のゲームセンター

そうか、ゲームは総合芸術ですもんね。ゲームのほうは、『スペースインベーダー』とかの洗礼を受けた世代と考えてよろしいですか?

遠藤 『インベーダー』は大学生のときでしたね。

やっぱり、かなりやり込まれましたか?

遠藤 やり込んでないです。ゲームはそんなに上手くないんで。

そうなんですか? でも、初めて見たときの衝撃みたいなものはあったと思うんですけど。

遠藤 『インベーダー』はそれほど衝撃ではなかったですね。オタクだったんで、テレビゲームは『インベーダー』の前からずっとやってたんです。

じゃあ『ブレイクアウト』(注5)とかが最初ですか。確か、アタリがお好きだったんですよね。

遠藤 いや、その前からです。『ブロッケード』(注6)とかもやってたし。

注5:いわゆる『ブロックくずし』のこと。アタリのオリジナル版は1976年に発売。
注6:『ブレイクアウト』と同年の1976年にアタリから発売されたライン引きゲームの元祖的存在。

それらのゲームにはどこで触れたんですか?

遠藤 フツーにゲームセンターで。大学のときは毎週新宿のゲームセンターに行ってましたから。

あの頃のゲームセンターって、ちょっと怖くなかったですか?

遠藤 そんなことはないですよ。24時間営業だったし(注7)、新宿は田舎なんかよりもずっと明るかったし。土曜日に新宿に行って徹夜で遊んで、次の日の朝帰ってくるみたいなことをずっとやってましたね。あの頃、新宿のゲーセンで知り合いになったヤツらはいっぱいいますよ。田尻智(注8)と知り合ったのも、その頃ですし。

注7:当時はまだゲームセンターの24時間営業が禁止されていなかった。ちなみに、1984年の風俗営業法改正(1985年より施行)によりゲームセンターの営業は午前0時までとなった。
注8:言わずと知れた『ポケットモンスター』シリーズの生みの親。現在は株式会社ゲームフリーク代表取締役を務める。

僕もゲーム喫茶で100円玉を積んで『インベーダー』をやった世代ですけど、やっぱりちょっと怖いというか、入るのに緊張感があったんですね。だから、『インベーダー』ブームが沈静化したというのもありましたが、なんとなくそのあと行かなくなっちゃって、ゲームから一度離れたんです。でも、遠藤さんはそこからさらにゲームに傾倒していった感じですか。

遠藤 いや、仕事を選ぶときゲームになっただけです。

ベトベトしているのがイヤで、ナムコに就職した

最初は研究職に進もうとか考えられていたんですか?

遠藤 研究職には、ものすごい誘われました。いろんな研究所から「ウチに来ないか」って言われてたんですけども、何かそういうのがイヤで。写真っていっても有機光半導体(注9)とかっていう物性の研究なんで、実験して性能を調べたりとか合成したりとか、けっこう地味でベトベトしてるんですよ。

注9:コピー機やレーザープリンターの感光体などに利用されている有機化合物。

ベトベトって(笑)。

遠藤 いやだって、薬品とかをこう……ベトベトしてるやつを練ったりとか、プラスチックの中に顔料を入れたりとか。手は汚くなるし爪も黒くなるしで、すげえカッコ悪いなって。

そうだったんですか。

遠藤 イヤじゃないけど、もっとパッとしたところでっていうか。なので、テレビの制作の方を目指してたんですけど全部落ちて。しょうがないんで、何か面白いことをやるかってことでバンダイに行ってみたんですけどけど、もう締め切ってますと。じゃあ、コンピューターかなってナムコに行ったんですね。

アタリジャパンに行こうとは思われなかったんですか?

遠藤 アタリジャパンの親会社がナムコなんで、ナムコに行ったんです。英語が話せたら多分アタリに行ってましたね。英語にはいまだに苦労してます。

アタマで考えた面白さではなく、実際にやってみること

その当時のナムコはどんな会社でしたか。

遠藤 日本のゲーム作りの黎明っていうか、本当に一番いいところを目の前で見ることができました。もちろん、技術オリエンテッドでもやるんですけど、コンセプト・ドリブンで作るっていうか、面白いほうを採用する。アタマで考えた面白さじゃなくて、やってみて面白ければそっち優先っていう。

先日、石村繁一(注10)(※)さんにお話をうかがう機会をいただきまして。『シュータウェイ』(注11)を作って、組織が徐々に大きくなっていく頃に遠藤さんとめぐりあったっていう話をされていたんですけど、その頃はまだ手作り・手探りでゲームを作っていた感じでしたか。

遠藤 いや、そこそこちゃんとしてましたよ。コツコツ半田付けとか、そういうのは研修でしかやりませんでした。石村さんがでっかいコンピューターを入れてくれて。ちゃんとコンソール型のヤツでキーボードとモニターとか、ロムを焼く装置とかもいろいろあったし。ハードディスクとかもあって、クリーンルームに入ってハードディスクをどうこうとか、そういう環境でやってましたね。

注10:開発一部長としてゲーム草創期のナムコを支える。のちにバンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)の社長も務めた。
注11:1977年にナムコが開発したクレイ射撃を題材としたガンシューティングゲーム。大型の画面やリアルなガンコンなどが人気となり、のちにリメイク版となる「シュータウェイII」も開発された。

ずいぶん先進的だったんですね。

遠藤 そうですね。一番お金をかけてる部署でやらせてもらってました。

でも、最初はデバッグが多かったっていう話ですが。

遠藤 だって、プログラムもなんにもできなかったですから。それで、最初はデバッグやテストプレイをやってたんですけど、しばらくして「やってみる?」って言われて、「じゃあ、やってみます」と。

ゲームプログラムを習得するのは簡単…

プログラムを習得するのって、すごい大変な感じがするんですけど。

遠藤 簡単ですよ。文章を書くのと変わらないです。頭の中で思っていることを記述するだけで、記述する形が日本語なのか、プログラムなのかってだけです。

すごい簡単に言うけど本当かなあ(笑)。

遠藤 いや、ホント簡単ですよ。昔のコンピューターなんか、できることが限られてましたから、簡単なことの組み合わせでやるしかなかったんです。

そういうものですかね。僕は3年ほど前にスマホのゲームアプリ制作のスクールに自費で1年通ったことがありまして。このコードを入れるとここにこう繋がって、こういう分岐になりますとか勉強したんですけど、それはコードがあるから分かるわけで、当時はないわけですよね。それを、ほぼゼロベースから勉強をされたわけですから、やっぱりすごいと思いますよ。あと、ナムコがすごくキャパが広いというか、初めての人によく任せましたね。

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