黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 11

Interview

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(中)「ゲームから僕は逃げない」教育の道に進んだ経緯とは?

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(中)「ゲームから僕は逃げない」教育の道に進んだ経緯とは?

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

『ゼビウス』がもたらしたゲーム性と、そこに秘められたゲームの物語性は、ゲーム黎明期にもたらされたエポックメイキングなコンテンツだったと言えるだろう。それは現代のゲーム用語になぞらえれば、「ナラティブ」というワードに該当するものだ。

稀代の創業者である中村雅哉氏と、彼の創業したナムコの成長期に数多くのコンテンツを開発して世に問い、多くのゲームプレイヤーたちに夢と希望を与えてきた。現在は、東京工芸大学芸術学部の教授として後進の育成を行いながら自身のビジョンを信じて突き進んでいる。その人物、遠藤雅伸の姿は時代を映す鑑である。

今回の「エンタメ異人伝」は、遠藤雅伸の作品を形成するもの、彼を動かすモチベーション、そして日本のゲームの未来に迫るものである。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの第2回です。第1回(上)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

ゲームチューニングに結論はあるのか?

ゲームはチューニング次第で良くもなれば悪くもなるっていうことを書かれているものも読んだんですが、その部分について聞かせてください。アーケードゲームは上手い人だと、ずっとやり続けちゃうっていうのがあって、チューニングの部分で悩まれてきたと思うんですけど、そのあたりのご自身なりの結論っていうのはあるんでしょうか。

遠藤 今のですか?

今です。

遠藤 今はもうすごく大変な話になってますよ。『ゼビウス』のときにすでに実装してあったんですけども(注19)、ダイナミック・ディフィカルティ・アジャストメントっていうコンピューターが自動的に難易度を調整する機能があるんですね。それで、論文でも書いたんですけど、難易度っていうのは適正の範囲に合わせるのがいいっていうのがあるんです。ただ、問題は適正の範囲を超えて難しいものが、かえって面白いときがあって。

注19:『ゼビウス』にはプレイヤーの上手さに応じて敵の強さが変わる簡単なAIが組み込まれていた。

まさに『ドルアーガの塔』がそうだったと思うんですけど。

遠藤 いや、『ドルアーガ』は明らかに異常に難易度が高いというか、殺しにいく難易度ですからね。みんな早く止めてくれっていう難易度で、そういうものへのアプローチだったんですけれども、今言っているのはそういうことではないです。今、研究しているのは難しいのを楽しくやって、納得したところでゲームオーバーになるっていうような形です。時間の切り売りをやるための難易度ではない難易度っていう考え方。そのあたりを今は研究しています。

ある意味、もうずっとテーマになっている感じですか。

遠藤 難易度をどう調整するかっていうのは、いろんなゲームで試してますけども、こういうのもありうるねっていうのをどんどん。まあ、いろいろやってます。

でも、チューニングっていうのは理論立てて説明するのが難しいんじゃないですか? たとえばジャンルにもよるし。

遠藤 それはもう何人もテスターを使って、何度もテストプレイするしかないんで。今はそのやり方が普通ですね。昔は「こんなんじゃないかな?」って自分でやってみて、「ああ、いいかも」っていうことで出しちゃってましたけどね。でも、面白さって奥深いです、そういう意味では。

ナムコを辞めた理由は…

パリにて 2010年

お話をうかがっているとナムコのキャパの広さをあらためて感じるんですが、そのナムコをなぜお辞めになったんでしょうか。

遠藤 いや、とくに辞めてるわけでもないんで。ただ、なんだろう……ゲームは工業製品として作るべきなのか、それとも総合芸術の作品として作るべきなのかっていう部分の差はありましたね。閉鎖的に工業製品として作るんじゃなくて、もうちょっと広くオープンに構えて、作品としていろんなものを取り込んでいきたいっていう。それで、一番最初のガンダムゲーム(注20)ができるわけです。あれはナムコを辞めたから作れたんですよ。

注20:1986年に発売された『機動戦士Zガンダム ホットスクランブル』のこと。「ガンダム」を題材にした最初のファミコンゲームで遠藤氏がゲームデザインを手がけた。

それは何かコマーシャリズムにのっとったようなものを手掛けてみたいというのもあったんですか?

遠藤 いや、「ガンダムを作りたい」が一番デカかった(笑)。

『ケルナグール』のルーツは

なるほど。僕が気になっているのは『ケルナグール』(注21)で、あれがのちの『鉄拳』に繋がったのかななんて勝手に思ってるんですが。

遠藤 対戦格闘ですね。

注21:1989年にナムコから発売された格闘ゲーム。好きな拳士を選んでプレイヤー同士で対戦する「対戦モード」とオリジナルの拳士を育てていく「クエストモード」を楽しめるようになっていた。

ええ。当時としてはとても斬新な気がするんですけど、あれは何か発想の元があったんでしょうか。

遠藤 あれはですねえ、PCエンジン(注22)の『THE 功夫(ザ クンフー)』(注23)っていうクソゲーがあって。PCエンジンはデカいキャラが出せるんで、そのゲームも自分のキャラがすごくデカいんです。で、向こうからなんかモノが飛んできて、ソイツを叩き落としていくんですけども、自分が大きいから当たりやすいんですよ。自分が小さければ当たんないのに、なんでこんなにデカいんだって。飛んでくるものもセコいもんばっかで、これゲームとしておかしいだろうと。それでコントローラーをバフーンと投げてたんですけど、一緒にいた社員の人に「そりゃ遠藤さん、自分で作るっきゃないっすよ」って言われて「なるほど」と。

注22:1987年にNECから発売された家庭用ゲーム機。ファミリーコンピューターの対抗馬として人気を誇った。
注23:拳法家である主人公を操って、さまざまな格闘家と戦う横スクロール型のアクションゲーム。1987年にハドソンから発売された。

「ナムコの取締役にならないか」と中村社長は言ってくれたが

そういうことだったんですか。では、辞められた後もナムコがファーストプライオリティで、じゃあこれ出しませんかっていう関係が続いたわけですか。

遠藤 そうです、そうです。

でも、それはいい関係ですよね。

遠藤 それも中村のおやっさんのおかげです。「遠藤の好きなようにやらせてやれ」って言ってくれたんで。辞めるときに「ナムコの取締役にならないか」とも言ってくれて。当時20数歳の僕は取締役ってなんだか分からなくて、「あ、面倒くさいんでいいです」って断っちゃったんですけどね(笑)。

それはすごいことじゃないですか。きっと、中村さん流の慰留だったんでしょうね。その後、ご自身で作っていく中で大変さはなかったですか?

遠藤 全然ないですね(キッパリ)。

それはやっぱり遠藤さんを信じて、みなさんオファーをしてくれたと。

遠藤 そうですね。みんな協力してくれてたんで。

わりと早い段階からモバイルにシフトされましたよね。いわゆる一般的なゲーム会社さんが、まだモバイルゲームをちょっとバカにしていた頃だったと思うんですが、なぜモバイルだったんでしょうか。

遠藤 Java(注24)が最初に乗ったとき「すっげえ」ってなったんです。携帯でプログラムが走るようになるんだって。で、プログラムが走るようになったら何に使うのって、そりゃゲームしかないじゃん、いずれゲームだよねと。

注24:プログラミング言語のひとつ。OSに依存しないことからどんな環境でもソフトを動かすことが可能で、いわゆるガラケー向けアプリケーションの作成にも利用された。

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