黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 11

Interview

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(中)「ゲームから僕は逃げない」教育の道に進んだ経緯とは?

ゲームの神様・遠藤雅伸氏(中)「ゲームから僕は逃げない」教育の道に進んだ経緯とは?

故・宮路武さんとの出会いからモバイルへ

その時点ですでにそう思われていたんですか。

遠藤 あと、その時に一緒にやってた宮路武さん(注25)……もう亡くられましたけど、宮路さんが「遠藤さん、最近こういうのやろうとしてて面白そうなんですけど」って言ってきて「それ、面白いわ」「絶対にその時代が来る」ってなったんです。

注25:『グランディア』シリーズや『ガングリフォン』シリーズなどを手がけたゲームクリエイター。2011年に死去。

宮路武さん、遠藤さん

でも、その頃はハイグラフィックというか高精細の3Dの時代がまさに来ていましたよね。

遠藤 そっちもやってました。セガサターンで3Dのものを作ってます。『エアーズアドベンチャー』(注26)っていうんですけど、これが出たのがサターンがプレステに敗北したクリスマスで。

注26:1996年にゲームスタジオから発売されたRPG。キャラクターデザインを永野護氏、サウンドを三枝成彰氏が手がけた。

その頃、僕はもう(セガに)いませんね(笑)。2002年ぐらいに『動物番長』(注27)も作られていますよね。

遠藤 『動物番長』は『エアーズアドベンチャー』のあとです。当時、『番長』のプロジェクトがけっこう頓挫していて、動物が動くとこしかできてないので手伝ってくださいって頼まれたんです。で、マップの構成とかをやってほしいってことで、「マップの構成ってどうやってやるの?」って聞いたら「これが…こうなって」ってというところから…。

注27:他の動物を狩って「ヘンタイ(変身のこと)」を繰り返しながら百獣の王を目指すユニークなアクションゲーム。2002年に任天堂からゲームキューブ向けに発売された。

そこからやったんですか。伊藤ガビンさん(注28)とか松本弦人さん(注29)が参加されてましたよね。

遠藤 ええ、一緒にやってましたね。それで、マップを作ることになったわけですが、紙とかに書いて誰かに発注して作るっていうやり方を取らなくてよかったんですよ。最初から動物の動きを見て、ああこの動物だったらこういうのが必要だなって、そのまま直接ソフトイマージュ(注30)とかで。

注28:『パラッパラッパー』のシナリオなどを手がけたクリエイター、編集者。現在はマンガ読みものサイト「マンバ通信」の編集長などを務める。
注29:さまざまな広告、映像、デジタルメディアのアートディレクションを手がけたことで知られるグラフィックデザイナー。
注30:『ファイナルファンタジー』シリーズの開発にも使用されたハイエンドな3DCG制作ソフト。2014年をもって開発終了となった

作っちゃったんですか?

遠藤 そうですね。「こういう風になるんですけども3Dで」、「ああ、3Dですか。すみません、ツールの習熟に1週間ください。1週間あればどんなものでも作れます」って。で、通常だと5人ぐらい必要なんですけど、ひとりでやるからあっという間に片付くと。

すごいことをされていたんですね。

遠藤 『動物番長』のあとに『ケロケロキングDX』(注31)っていうのもやってるんですけど、そのときもなんだったろう……エイリアス(注32)じゃなかったなあ……ライトウェーブ(注33)か。ライトウェーブでマップを作ってましたね。そうすれば最初からゲームデザインされた、実装できる状態のマップになるので。

注31:ボールの代わりにカエルを飛ばして競うゴルフゲーム『ケロケロキング』のシリーズ第2作。2003年にバンダイからゲームキューブ向けに発売された。
注32:ハイエンドのCG制作ソフト。現在のソフト名は「Maya(マイヤ)」。
注33:ゲーム、アニメ、CMなどの制作に広く利用されている3DCG制作ソフト。

なんでもできるんですね。それにしてもモバイルのゲームとは正反対じゃないですか。それぞれで楽しまれていたわけですか?

遠藤 モバイルのゲームも、それこそ2週間で作ろうぜって言って、できるんですから面白いかったですよ。面白さの程度でいうと、クロスワードパズルみたいな感じです。「こういうゲーム作ろうぜ」、「容量もないんで、ちょっとドット打っちゃうね」みたいな感じで。曲とかも自分で作ってましたからね。

ハア~~……いやあ、なんかすごいですね。最後のゲーム職人みたいなイメージで見ちゃうんですけど。

遠藤 最後の職人は多分イノケン(飯野賢治)(注34)ですよ。イノケンが死んだときに僕は先生になろうって決めたんで。日本のゲームのために、僕にしかできないことをやっておかないとって。

注34:いち早くフル3Dを導入した『Dの食卓』や音を頼りに姿の見えない敵を倒していく『エネミー・ゼロ』などの個性的なゲームを開発し、90年代のゲーム業界をリードしたクリエイター。メディアへの露出が多く、歯に衣着せぬ言動でも注目を集めた。2013年に死去。

「やる気ねえんなら止めちゃえよ!」

遠藤さん 2012年 初詣

もうちょっと具体的にうかがってもいいでしょうか。

遠藤 ええっとね、岡本吉起さん(注35)がカプコンを辞めたあとヒューマンの学園長かなんかになったじゃない。そのときに「岡本さん大変そうじゃん、なんか手伝うことあったら手伝うよ」って言ったらね、「岡本が学園長になったから遠藤さんみたいな人が来てくれたっていうことで先生をやってくださいよ」って頼まれちゃって。それで、専門学校の先生をちょっとやったんですよね。

注35:コナミ、カプコンで数々のヒット作を手がけたゲームクリエイター。ミクシィと組んだ「モンスターストライク」にも企画立案から関わり、アーケード、コンシューマー、スマートフォンの3つのフォーマットで大成功をおさめた。

ええ、ええ。

遠藤 でも、当時は先生なんて似合ってもないし、学生にも期待なんかしてなかったんで。「ゲーム会社に入りたい」みたいな感じで来る学生にいっぺんゲームを作らせて、「オメーらが通用する世界じゃねえよ」って希望を絶ってもいいですかって言ったら、学校の方はそれでかまわないと。それで、3カ月の短期講座でゲーム業界就職講座みたいなのをやったんです。で、夜間に週2回やったんですけど、「やる気ねえんなら止めちゃえよ!」、「止めません!」みたいな感じで、毎回、毎回、生徒が泣くわで大変な騒ぎに。

そのとき遠藤さんはどういうことを伝えられたんですか?

遠藤 要するに、作らないとダメだと。「こんなのがやりたいんですけども」とかフワっと思ってたってゲームなんか出来てくるわけねえよって。「どうやって?」じゃねえよ、やりたいんならオメーが作れよ、プログラムが必要だったら覚えろよって。そんなの誰でもできて当たり前ですから。

まあ、そうやってきたわけですもんね。

遠藤 ただ、それが普通一般の専門学校に来るような学生には、まずできないっていうのも分かってるんで。だったらあきらめたほうがいいと。ところが、その夜間講座が信じられないことに、ものすごいゲーム業界就職率が高かったんですよ。3分の1か半分ぐらい業界に就職したんで、どうやって教えてるんだって聞かれたんですけど、できるまでやらせてるだけだと。とりあえずゲームを作れ、自分で作れって言って作らせただけ。

なるほど~。

遠藤 その頃にクールジャパンの走りというか、東京大学でゲームのプログラムをやるっていう話が持ち上がって。コンテンツ制作のプロデューサーを育成するためのカリキュラムを作りたいっていうんだけど、教育の現場にはそんなことをできる人はいない。それで、野田聖子さん(注36)に呼ばれて、カレーをごちそうになりながら「遠藤さん、よろしくお願いしますね」って言われて「分かりました、やりますよ」と。

注36:自民党所属の衆議院議員。総務大臣、女性活躍担当大臣、内閣府特命担当大臣などを歴任。

以前から野田さんとは面識があったんですか?

遠藤 いや、全然。野田聖子さんとはそのあと何回かコンテンツ関係で会いましたけど、そのときは面識はなかったですね。それで、東大生にゲームを教えることになったんですけど、そのときはどうやって教えればいいか、まだ分かってなかったんです。でも、学生たちが優秀だったおかげで「ああ、こうやればいいんだ」っていう。

逆に教わった感じですか。

遠藤 そうですね。一番教えなきゃいけないものはなんなのかっていうのを教わりましたね。

< 1 2 3 >
vol.10
vol.11
vol.12