Interview

破壊と再生──LAMP IN TERRENが咲かす今に迫る。フロントマン松本大が語る「花と詩人」&定期公演ワンマンライブ 「SEARCH」

破壊と再生──LAMP IN TERRENが咲かす今に迫る。フロントマン松本大が語る「花と詩人」&定期公演ワンマンライブ 「SEARCH」

LAMP IN TERRENの定期公演ワンマンライブ 「SEARCH」がいよいよ1月26日に渋谷Star loungeにてスタートする。昨年の4月には4人体制となって初となる通算3枚目のアルバム『fantasia』をリリース。映画『何者』や劇場版アニメ『亜人 第二部-衝突-』の主題歌を含む「バンドにとって集大成と言える一枚」(松本 大/vocal & guitar)を持って5月からは全国9箇所でのワンマンツアーを周り、夏フェスを経て、秋には対バンツアーを開催。ライヴ三昧だった2017年を経て、なぜ定期公演を行うことになったのか。1月19日に配信限定でリリースされたばかりの新曲「花と詩人」を入り口に、新たな試みに立ち向かう松本 大の現在の心境を訊いた。

取材・文 / 永堀アツオ 撮影 / 中原幸

自分でいることの美学の追求。そこから再生が始まった

数多くのステージに立った2017年はバンドにとってどんな一年でしたか?

破壊と再生みたいな一年でしたね。赤裸々に話すのはあんまり良くないんだろうなと思いつつも……僕はそれに対して、たしかにつらかったけど、ネガティブなことを思っていないので、ポジティブなものとして話しますが、自分が死んだなって思ったんですよね。『fantasia』というアルバムを作って。

“破壊”というのはアルバムを作ったあとのことなんですか? バンドとしての新たな幕開けを感じさせるアルバムでしたし、メディアでも絶賛されていましたよね。

「すごく開けた」って言われたし、「いいメロディ」だとか「バンドサウンドも面白い」「いいアルバムだね」と言われたんですけど、もうこういう曲作りは絶対にしたくないっていうふうに思ったというか。なんだろうな……ある意味、自分の理想を遂行しようとしてきた何年間かの集大成ではあるし、同時に、僕が今ひとりの人間としてちゃんと話ができるきっかっけにもなった、自分以外の誰でもない松本 大としてミュージシャンをやれるかどうかっていうきっかけのアルバムではありました。あのアルバムで技術的には上がっただろうし、精神的には自分が見たくなかったものを全部見せられたような感覚だったんです。でも、いい機会でした。

「自分が死んだ」と感じたというのは?

足りないものが露呈しすぎたというか、見えすぎたというか。思うように結果が出なかったっていうのもあると思うんですけど、自分に何が足りないんだろうなっていうことを考え始めたんですよね。どうしても僕は「こういうことを言われたいんじゃないか?」とか「こういうことを言ったほうがいいんじゃないか?」っていう想いで曲を書いていたところがあって。自分の気づきをダイレクトにメッセージにはしてこなかったので、そういうこともやってみたいなと思えるようになったんです。でも、そこに必要不可欠なのは、ちゃんと自分自身でいることであって。ひとりの人間になれるかどうか、みたいな。すごく初歩的な話なのかもしれないんですけど、一番難しいことでもあって。どうすれば世の中に必要とされるかを考えるという、めちゃめちゃヘンな時間を過ごしていましたね。

これまでの自分を壊して、作り直す作業をしたんですか?

そうですね。自分じゃない誰かになるのは違うんだろうなと思いました。それはそれで楽しかったし、一生懸命だったことに変わりはないんですけど、歪んできちゃうんですよね、自分が。それは健全じゃないし、想いも乗っからないんだろうなと思って。今でもやれると言えばやれるんですけど、消耗が激しかったし、逃げな気もしたので、自分でいることの美学を追求してみようかなと思ったんです。そこから再生が始まりました。

再生の過程で自分を見つめ直して、どんなことに気づきました?

自分が今まで「これはやらないほうがいいんじゃないか?」って開けなかった扉がすごく面白い宝物で埋め尽くされていたっていう感じがありました。開ける扉、開ける扉にいろんな発見があって面白かったです。自分が突っぱねてきたものは「これか!」と思いながら。ギターを置いてハンドマイクで歌うことにはじまり、ライヴ中に客席に降りて歌うことも昔は考えられなかったので。自由でいることの本質だったり、自由であるがゆえに生まれてくるメッセージがどういうものなのかっていうことに一個一個向き合って。再生の期間は有意義ではありました。

もう少し具体的に聞いてもいいですか? 自分じゃない誰かになるのではなく、より自分らしくいるということでしょうか。

その瞬間に思っていることを、必要以上に置いていくほうがいいなと思ったんです。思い出すのが簡単なくらい、その瞬間瞬間に思っていることを150パーセントくらいで置いていく。それは狙っていないものなので、あとから見ると恥ずかしいものになるかもしれないけど、その輝きは強い気がするし、そのほうが面白いだろうなと思っています。

『fantasia』の時点でも、背伸びしたり、カッコつけたり、フィルターをかけるのを止めたとおっしゃっていましたよね?

そうですね。ただ、『fantasia』の曲は未来で歌っても恥ずかしくないんですよ。でも、「花と詩人」は10年後、めっちゃ恥ずかしいと思います(笑)。

あはは。より素の自分自身をさらけ出せるようになったってことですかね。

「花と詩人」は24歳最後の曲だったんですけど、自分の中の音楽をもう一回考え直す、いいきっかけだったなと思います。書き始めは、自分の部屋にある観葉植物がきっかけで。そこにあって、それが当たり前の状況になっている部屋のことを言いたかったというか、自分が生活している部屋があって、その部屋なしではもう自分ではないという状況がすごく面白いなと思って。それって、関わっている人もそうだし、自分が好きな人もそうだし、ファンもそうだしっていうことにも繋がるんじゃないかなと思ったので。自分の生活の中にいる好きな人やファン、身の回りにあるものが、どれだけ今の自分を形成するのに必要なものかというのを考えながら曲を作っていきました。

じゃあ、原題は“観葉植物と松本 大”なんですね。

それでもいいくらいです(笑)。“詩人”という言葉に関しては、独特のワードをいつも探すんですけど、結局「愛してる」にしか辿り着けない人のことを皮肉っぽくいうなら、詩人だなと思ったので。歌詞としては、詩人感のない、ありふれた言葉責めなんですけど。

君と出会えた喜びを歌う、まっすぐなラブバラードになってますよね。

そうですね。自分のためでしかないけど、綺麗に花が咲いている様子を見たくて水をあげたり、喜んでいる姿が見たくて言葉をかけたいって思う。その言葉は……24歳の自分の総括みたいな感じなんですけど、伝えたいことは自分らしくあったほうがいい、ほかの誰とも違うほうがいいと思って、特殊な言葉を探し続けるけど、結局はそのどれもうまく伝わらなくて。この曲で言ってしまうと、「好きだ」っていうことを伝えるには「愛してる」っていう言葉が一番わかりやすい言葉というか。そういう、なんてことないありふれた言葉から自分は逃げられないんだなと思いながら、でも、言うしかないんだよなってことを考えながら書いてました。

歌の言葉として、寓話的や抽象的にするのではなくて。

はい。だから、『fantasia』とはテイストが結構違うと思います。最近は自分が持っているものだったり、自分が思い描く状況をより伝わるような歌詞にできればと思っていて。この曲も気持ち優先で書いているし、思っていることを最初から最後まで書いたっていう感じですね。僕にとっては、大名曲を作る兆しでした。

そうは言っても、やはり松本さんらしい言い回しはそこかしこに現れていると思います。ファンや大切な人を花、音楽や愛を水に例えているところもそうですし。

ただ、地に足を着けて言葉を考えられている気がしていて。『fantasia』を作ったときは、全曲ファンタジーだなって思いながらやっていたんですけど、「花と詩人」は現実の話をしている。それが「全然違うことをやってるわ」「面白いな」って思いながらの作業でした。

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