【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 56

Column

中島みゆき ポップな名作『寒水魚』鑑賞法 思わず感涙したのはあの曲でした

中島みゆき ポップな名作『寒水魚』鑑賞法  思わず感涙したのはあの曲でした

名作アルバムが多い中島みゆきだが、なかでも世情の移り変わりを越え、エバーグリーンなものとして推薦したいのが『寒水魚』である。楽曲はもちろん、サウンド・アプローチも普遍的で色褪せていない。ジャケットも素敵だ(LPレコードだと、なお宜しい)。海面(湖面?)から照り返す柔らかな光に浮かぶ、彼女の表情が素敵なのだ。淡水魚や海水魚と同様、“寒水魚”も水質を選び生息するなら、敢て温もりを排す、その訳が知りたくなる。全9曲である。アルバムの曲数として、ちょっと少ない気もするけど、これぞまさに、究極の9曲! なのである。

今回、アルバムを通して聴くのは久しぶりだったが、改めて、実にアルバムらしいアルバムと感じた。どこが“らしい”かというと、まずは全体が“一曲のように聞える”ところである。

我々がアルバムに求めるのは、これからの数十分間、“一定の気分に浸れる”ということである。脳には音楽を認知するふたつの神経系があり、聴覚系と報酬系である…、みたいなことを、ハイパー・ソニック・エフェクト研究だったか、そんなので読み囓ったことがあったけど、アルバムを聴き終えてジワワ〜ンという、満足の余韻を得るのは後者の働きであり、そのためにも“一定の気分に浸れる”こと、つまり全体が“一曲のように聞える”ことが重要だ。そのあたりは、9曲中6曲をアレンジしている青木望の手堅くも刺激的な音作り、また、全体的にバラード・テンポを多用し、敢て繋げたとおぼしき曲順が効いている。

もちろん“一曲”というのは言葉のアヤである。“一曲”は確固たる“各曲”であり、個性豊かな名曲揃いだ。冒頭、いきなり刺激的なのが、誰もが知ってる大ヒット曲、「悪女」の別バージョン。後藤次利がリ・アレンジし、重心が低い、タメの効いたロック・サウンドになっている。シングルのほうは船山基紀のアレンジで、こちらはフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを木と紙で出来た日本家屋的なヌケ感へと移行したような雰囲気だった。この原曲からしてアレンジは独特であり、それがもうひとつ、別の独特へと変わったのだ。

当時、話題となったのは歌詞中の台詞である“『行かないで』”の部分で、シングルでは心の呟きのようなウィスパーで歌われているが、アルバムでは他の歌詞と同等に、やや吐き捨てられるトーンで歌唱されている。

“行かないで”といえば、ジャック・ブレルが書いたシャンソンのスタンダード(「Ne Me Quitte Pas」)でもあって、彼女はこの台詞を、そこにも重ねていたのだろう。でもシングルでは“願い”として聞えたものが、アルバムでは、もはや諦めのように響くあたり、バージョンを変えることで、歌の立ち位置そのものを変えることに成功している。どっちが好き?と言われたら、どっちも好きだ。

このアルバムがリリースされた時、中島みゆきは30歳くらいだったが、続く「傾斜」では、“老い”について考察している。さらに、この歌の重要なファクターは“重力”だろう。地球上に生まれ歳を取り、腰が曲がるのも“重力”の仕業だし、歌詞の冒頭で示される“傾斜10度の坂道”が難儀なのもそのためだ。ともかくこの歌、始まるやいなや、えっちらおっちら、自分も一緒に坂道を登っていくような気分にさせられる。歌の臨場感、というヤツである。やがて、来し方を回想するようなパートへ移り、上昇と下降が目まぐるしくなり、しかし結局、“傾斜”は[けわしくなるばかり]と断じられる。

ところが…、ところがである。サビになると一転、それまで躰を襲っていた“重力”から、突如解放されるようにふわっと浮き上がる気分になる。曲調も明るくなり、中島みゆきの声も弾み出す。[としをとるのはステキなことです]。聞えてくるのはそんな歌詞。最後は街頭の演説の語尾のような口調で、この意見に対する同意が求められる。
 
皆さんがアルバムのハイライトとして挙げるのは、ラストに収められた「歌姫」だろう。「悪女」から聴き始め、歌を通じて様々を疑似体験し、でもそのすべてが収斂してスケール大きく羽ばたくかのようなのが「歌姫」だ。アルバムを聴いてきて、この歌のイントロとなると、そろそろこのアルバムも終わってしまうのかと、寂寞たる思いに駆られもする。最後の曲のイントロが聞えた瞬間、胸にそんな感情が去来するというのも、これまた実にでそう感じるのも、実にアルバムらしいアルバムの特徴のひとつだろう。

今回「歌姫」を聴いてみたら、思ったより中島みゆきは、冷静に歌唱していた。もっと感極まって歌っていた記憶があった。違った。おそらく僕は、この歌に映る“自分自身”を記憶していたのだろう。歌は鏡のようなものと、そう言うけど、感極まっていたのはつまり、あの当時の自分だったのだ。

無防備にも感涙してしまったのは「時刻表」だった。[君のため息]と僕のそれとが電車のなかで混ざり[淋しさが伝染する]の下りは、特に…。

文 / 小貫信昭

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