黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 12

Interview

ゲームクリエイター松山洋氏(上)情熱の原点は「週刊少年ジャンプ」

ゲームクリエイター松山洋氏(上)情熱の原点は「週刊少年ジャンプ」

エレベーターのトビラが開いた瞬間に「ドクン」って聞こえた

松山 当時読んでいた人は覚えていると思うんですけども、第1部、第2部のときってタイトルの上にですね、「ロマンホラー!深紅の秘伝説」って書かれてたんです。これがスタンド編になってから消えたんですよ!『ジョジョ』は第2部で「エイジャの赤石」っていうのがキーアイテムとして出てくるんですが、「やっぱり連載の当初から、第1部をやってるときから『深紅』の『紅』は『エイジャの赤石』を指してたんですか?」っていう話を私は担当さんに聞きたいわけです。聞きたいんですけども「言ってる意味が分からない」って(笑)。

それは分からないでしょ。10歳くらい下だったら、そこまでリアルに覚えていないと思いますよ。

松山 そうなんですよね。でも、私は「少年ジャンプ」に憧れて大人になったから。今から17年前の話ですけど、初めて『NARUTO -ナルト-』(※)(岸本斉史氏原作の『NARUTO -ナルト-』)の仕事をするっていうのが決まって、「少年ジャンプ」の編集部に立ったときはもうね…「第3編集部」っていうのが「ジャンプ」を作っているところで、旧集英社のビルだったんですけど、エレベーターがチンッていってトビラが開いて、下りた瞬間に体の中ではっきり「ドクン」って聞こえたんですよ!

アハハハハハ、ホント? すごいですね。

松山 ホントに「ドクン」ってなるんだなって。ああ~一生懸命「ジャンプ」を読んできてよかったと。お前は10年後にココに立つことになるんだぞっていうのを、少年ヒロシに教えてやりたかったわあ~って当時は思いましたね。

でも、分かる気がします。僕は映画が好きで映画のスターとか、ヒロインとか、ストーリーとかで育ったわけですよ。それで、映画の宣伝マンになって「ロードショー」とか「キネマ旬報」(どちらも有名な映画専門誌)の編集部に行ったときに「オレ、ここまで来たぜ」と思いましたよ。映画の評論を書いている人とかに会うと「この人に会えた」とか。

松山 なりますよね。私もなったんですよ、「少年ジャンプ」が好きすぎて。毎号毎号買ってましたから。私が子供のときって170円だったんですよ。今より安かったんですけど、170円とはいえ毎週出る「ジャンプ」を子どもが買えるわけないじゃないですか。だから、ローテーションで買ってたんですよ、友達4人とか5人で。

今でいう「シェアってた」、わけですね。

松山 そうです、そうです。みんなで買って回して読んでたんです。そうすれば月170円でいいんですよ。しかも、バックナンバーはウチに置かせてもらってたんです。みんな読み終わったら「これ、どうする?」ってなるんですけど、捨てられなかったんですよ。だから、もう家に何年分も「ジャンプ」が置いてあって、それを繰り返し繰り返し読んでる子どもだったんです。

それで、巻末の作家コメントまでも読むようになって、荒木先生は今週何を見て、なんてコメントされてるんだろうとか、鳥山先生はこんなこと言ってるとかっていう。さらに、その下にですね、編集部だよりみたいな形で編集者が毎週ローテーションで4人ぐらいがコメントを書いてるんですよ。そこで、編集担当の名前を覚えたんですよ。

すっげえ~~。

松山 それ読んでいると「あれ、この人異動になったなあ」とか「偉くなってる」とか、だんだん分かるようになってきて。そういうイヤな子どもだったんですね。だから、17年前に初めて「少年ジャンプ」の編集部に行ったとき、『NARUTO -ナルト-』の仕事で来たんだから『NARUTO -ナルト-』の編集担当とだけ会えばいいのに「あ、この人だ~」「アレ立ち上げた人や~」って。分かるから初めて会った気がしないわけですよ。

そりゃそうですよね。毎週読んでるわけですから。

松山 そうなんですよ。なので、いろんな編集者の方に最初ちょっと怖がられて。「アナタ、なんなんですか?」「なんでボクを知ってんの?」みたいな。それで、「ジャンプの巻末にコメント書いてたじゃないですか」って言って、いろいろと仲良くなっていって。

すっごいですねえ。それだけの熱量が子供の頃から変わらず今もあるわけですからね。

松山 マンガだけは変わらないですね。今も毎週月曜日が楽しみで生きてます。

「少年ジャンプ」との出会いは病院の待合室

そもそも「ジャンプ」に出会うきっかけはなんだったんですか?

松山 ぼんやりとしか覚えてないんですけど、母親と病院に行ったんですね。おそらく母親が病気だったんでしょう。母親が診察を受けている間、ここで待ってなさいっていうことで、子どもたちの待合室みたいなところに放り込まれたんだと思います。で、そこで待っていたんですけど、周りには同じような子どもたちがいっぱいいるわけじゃないですか。それで、当時の私はまだ5歳とか6歳で、当たり前ですけど『ドラえもん』から入って、愛読書は「コロコロコミック」だったんですよ。でも、「コロコロ」ってギャグマンガが多かったじゃないですか、『金メダルマン』(注4)とか『かっとばせ!キヨハラくん』(注5)とか。

注4:元金メダリストの主人公がさまざまな仕事にチャレンジするギャグマンガ。連載中は『金メダル先生』『金メダル刑事』『金メダル暴走族』などタイトルがコロコロ変わっていた。
注5:キヨハラやクワタなど、実在のプロ野球選手たちをモデルにしたキャラクターたちが繰り広げるドタバタを描いた野球ギャグマンガ。

「コロコロ」も普通に読まれていたんですか。

松山 読んでました。だって、周りの子どもたちはみんなそれでしたから。ただ、その病院の待合室の向こう側であきらかに私よりも体の大きい、小学校高学年ぐらいのお兄ちゃんたちが何人かで集まって、「コロコロ」よりもずっとデカい雑誌を囲んで見てるわけです。で、ページをめくりながら「ウォ~ッ!」とか言っているわけですよ。「何を見てんだ、あれは」と。

明らかに「コロコロ」じゃないし、「コロコロ」のほうが面白いのに何を読んでるんだろうって思ってたら、そのお兄ちゃんたちがいなくなったんですね。それで、いなくなった場所に、その雑誌だけが残されてて。多分、病院でご自由にご覧くださいってことで置いてあったんだと思うんですけど、やっぱ気になるじゃないですか。

なりますよね。

松山 で、そこに行ってそっと取って。それが「ジャンプ」との最初の出会いだったんです。だったんですけど、何を見てあの子どもたちが喜んでたのか分かんなくて。だって『ドーベルマン刑事』(注6)とかが載ってた時代ですよ。本宮ひろ志さん(注7)や平松伸二さん(注8)の頃ですよ。なので、5歳、6歳にはちょっと劇画がえぐいんです。あの頃の「ジャンプ」って平気で人のアタマを拳銃で撃ち抜いていたし。

注6:武論尊氏原作・平松伸二氏作画のバイオレンスアクション。「ドーベルマン」とあだ名される型破りな刑事が44マグナム弾を使用する大型銃・ニュースーパーブラックホークを武器に外道たちと戦う。
注7:数々のヒット作を手がけた漫画界の大御所。デビュー作の『男一匹ガキ大将』はサンデーやマガジンより後発だったジャンプが人気マンガ雑誌になる原動力になった。
注8:70年代から80年代にかけて週刊少年ジャンプで活躍した人気漫画家。代表作は『ブラック・エンジェルズ』、『マーダーライセンス牙』など。現在、自身のマンガ家生活を振り返った『そしてボクは外道マンになる』を連載中。

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