黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 12

Interview

ゲームクリエイター松山洋氏(下)アナタの作品で救われる人がどこかにいる

ゲームクリエイター松山洋氏(下)アナタの作品で救われる人がどこかにいる

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

松山洋の人生と彼が生み出す作品は、良い意味で「特殊」だ。今回のインタビューを読んでいただければ、私の言った「特殊」という意味はきっとご理解いただけるだろう…。ただ、読み進めていく途中では、彼の姿は単にエンタテインメントへの想いが熱く、濃く、深い人、としか映らないかもしれない。いや、それでは困るのである・・・待ってほしい、全てを読み終わるまでのしばしの時間、この「エンタメ異人伝」にお付き合いいただきたい。

松山洋にとって、エンタテインメントは単なる「娯楽」ではない。それは彼に言わせれば人を救う薬、そう、「娯楽」の「楽」に「草冠」が必要なものだ。エンタテインメントは人々を救うもの…そんな純粋な気持ちはどこから生まれるのか…今回の「エンタメ異人伝」は、松山洋を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの最終回です。第1回(上)第2回(中)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

ゲーム業界の歴史の浅さにビックリした

松山 『迷宮組曲』は今ではありえないですけど、セーブ機能が付いていないゲームだったんです。クリアするには一発で最終面までいかなきゃいけなかったんですけど、それをクリアできるほどハマってたんですよ。でも、実際に歴史をひも解いてみると『迷宮組曲』はそんなにヒットしてなくて、世の中的には全然なわけです。

そこで自分のクラスで流行っていたものがすべてじゃないんだなっていうことに気づいたわけです。これは答え合わせをちゃんとしないと、と思って、日本のゲーム業界やアメリカのコンピューターゲームの歴史、アタリショック(注36)や『PONG(ポン)』(注37)までさかのぼって、ひととおり業界の歴史をおさらいしてみたんですね。で、わかったことはこの業界はビックリするほど歴史が浅いっていうこと。

注36:80年代にアタリ社が質の低いゲームを乱発したことにより、北米の家庭用ゲーム業界が崩壊したとされる事件。
注37:ネットを挟んでラケットを上下に動かしてボールを打ち合う。1972年にアタリが開発したテレビゲームの元祖的存在。

確かにそうです。

松山 ファミコン誕生からたかだか10数年しか経ってなかったんですよ、今だって30数年ですけど「短いな~!」って。で、それ以前のコンピューターゲームの歴史なんてないようなもんなんです。アタリショックがあったとはいえ、それもファミコンほどじゃない。本当の意味でのゲームのブームっていうのはファミコンからなんだっていうことが分かったわけです。

で、私もずっと任天堂の天下が続くと思ってたんですが、あるとき「少年ジャンプ」の巻頭ポスターに「『ファイナルファンタジー』最新作、『FF7』はプレイステーション」って書いてあって、カメラがズームでそのまんまミッドガルに突入するカットが、クラウドのイラストと一緒に載ってたんですね。その「ジャンプ」を見た瞬間に、これからはプレステなんだって確信したんです。

すげえ~(感心)。

松山 なので、ビデオゲームっていうのは歴史が浅い。そして速度が速い。ずっとこのまんま変わらないって思ってたものが変わると。プレイステーションの時代がくるなんて、当時は誰も思わなかったじゃないですか。

ゲームの中で映画ができるってことじゃないですか

当時はそうでしたね。

松山 そのあともいろいろ転換期があって、PlayStation®2の頃は思いもしなかったですけど、今となってはオンラインに繋がることが当たり前でしょ?2Dのドットから3Dになった転換期、3Dにオンラインが加わった新しい転換期、そして今のスマホ。こうやって大きい転換期があるってことは、今から始めてもみんな一線横並びなんですよ。だったら今からやっても追いつけるし、追い抜けるなって。当時はプレイステーションが始まったばっかで、みんな同じように3Dを勉強し始めたところだったんで、だったらやっていけるなと。

もうひとつ、私は子供のときからマンガ、アニメ、映画、バラエティ番組が好きで、あれもやりたい、これもやりたいと思ってたんですが、プレイステーション以降のゲーム機って、私にとっては総合エンタテインメントに見えたんですね。これだったら自分がやりたいって思ってたことが全部できると。カメラが3D空間の中に入って回るって、映画じゃん、これって。自分でセットと役者とカメラを作れるって、これもうゲームの中で映画ができるってことじゃないですか。

そうです、はい。

松山 なんでも全部できるじゃんって。じゃあ、もうオレ一生これでいいやって、その時に思ったんです。それで、友人に返事して「一生懸命やろうぜ、世界中驚かせようぜ」と。「みんな横並びやから努力で逆転できるよ、努力だけは誰にも負けないから一緒にやろう」って言ったんです。で、コンピューターを触ったことがない私と残りの9人が元タイトーのメンバー、みんなゲーム経験者ですよ。それで、10人で会社を立ち上げたのが1996年の2月の出来事ですね。

情熱と体力だけはあったので、ないお金を埋めることができた

でも、よくやってこれましたよね。なんでかっていうと、たとえばさっき言った『トバルNo.1』のドリームファクトリーも『ブシドーブレード』を作ったライトウェイトもスクウェアのお金が入ってますけど、松山さんたちは完全なインディペンデントでしょ?

松山 まあ、当時私は25歳で同級生もそうでしたし、他のみんなも20代中盤で若かったですから。情熱と体力だけはあったので、ないお金を埋めることができたんですよ。実際に会社を立ち上げてから、企画作って契約して仕事がスタートするまで半年間無給でしたから。しかも、そのときの私の預金は15万円です。6カ月15万円で人って生きていけるんだなって思いましたよ。

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