【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 57

Column

中島みゆき 「ファイト!」という歌のなかで出会う「あたし」と「私」に隠された秘密

中島みゆき 「ファイト!」という歌のなかで出会う「あたし」と「私」に隠された秘密

さて今週は、1983年3月にリリースされた『予感』を軸に書いていこう。で、80年代がリアルタイムじゃない方達に、もしこのアルバムを紹介するならば、惹句はおそらくこうだろう。

「あの名曲、『ファイト!』が入ってます」

あんな名曲が入っているなら、他にもスゴい曲がたくさん聴けるのだろうと、ついアルバムを耳元に置こうとしたアナタ…。そんなアナタが頬ずりしたいほど好きだ。

さて「ファイト!」だが、歌詞の冒頭が[中卒やからね]の手紙を受取り、その文字をみつめる人物の描写ゆえ、当時、彼女がDJを務めていた「オールナイト・ニッポン」にきた手紙をヒントに書かれたもの…、みたいな風説があった。

ただ、僕が中島みゆきにインタビューした際には、「番組に来たものは番組のものだし、歌になんて一切つかってない」と否定している。でもそう思ったヒトが多かったのは、それほど歌にリアリティがあったからなのだ。なのでこの風説も、ソングライターにとって、ひとつの“勲章”かもしれない。

この作品が世の中に出たのは、前述の通り、83年である。その後、生命保険会社のCMに使われ、「空と君のあいだに」とともに、94年5月に再リリースされている。リバイバルの機会に恵まれた楽曲は、スタンダード化することが多いが、まさにこの曲もそうである。

多くの人達がカバーしている作品としても知られる。

特徴的なのは、吉田拓郎のような彼女の先輩ソングライターも、槇原敬之のような彼女の後輩ソングライターも、この作品には一目置いて、敬意を表しつつ歌っている事実だ。敬意か否かをどう判断するかというと、そもそもカバーというのは、原曲を“素材”として料理することも多い。しかし「ファイト!」に関しては、歌の世界観そのものに、みなさん心酔しながら歌ってる。自分流に料理する暇もなく、歌に睨まれ、引き込まれている(いわゆる字余り調のコトバの詰め込み方なので、歌詞を消化することに専念しつつ歌唱しなければならないことが、つまりは“歌に睨まれ、引き込まれ”る要因とも言えるのだが)。

この歌を聴く場合、ポイントとなるのは「あたし」という主語と「私」という主語が登場するところだ。それぞれが被害者意識と加害者意識の化身として歌のなかで別々に機能している。まず「あたし」。冒頭の[中卒やからね]が、この人称の主である。歌の中盤の[東京ゆき]、[切符]のあたりも「あたし」であり、この主人公は故郷にいて、ムラ社会的因習の呪縛に苛まれ、悶々としている。

次に、もうひとつの人称の主である「私」だ。「私」は[電車の駅]で社会悪を[目撃]しておきながら、告発しない。見てみないふりをする。こちらは大都市の傍観者効果の呪縛に苛まれているわけである。「あたし」と「私」の関係性は、とくに描かれていない。いや、描きようがないのだろう。

さてサビだ。[闘う君]と[闘わない奴等]という対比が出てくる。もちろん、いま現在、アナタが何かに対して“闘う君くん”であるならば、“ファイト!”という掛け声を、ありがたく胸に受止めるのだろう。

しかし、圏外に居るハズの“闘わない奴等くん”も、なんかこの歌は“身につまされる”わけである。

なぜかというと、ここで被害者意識と加害者意識の化身である「あたし」と「私」が出会うからだ。そして僕は思うのだ。中島みゆきが“ファイト!”というコトバを本当に届けたかったのは、むしろ圏外の“闘わない奴等くん”なのではなかろうか、と…。なぜなら被害者意識より、加害者意識のほうがタチが悪いからだ。

「ファイト!」に行数を費やしたが、『予感』は名曲揃いなので、あと2曲だけ、紹介する。まずは「この世に二人だけ」。佐良直美の大ヒット曲に「世界は二人のために」というのがあるのだが(1967年のリリース)、この歌の表面に石けん液を塗り、紙を添え歌詞の意味を反転させると「この夜に二人だけ」になる。もしも人類の生存が「この世に二人だけ」になっちゃっても、[あなたは 私を選ばない]と歌っている。ガ〜ン、である。いったいどういうことなのかと興味もったヒトは、ぜひ聴いて欲しい。

「ばいばいどくおぶざべい」というのも注目して欲しい。彼女が“職場”で出会った男性アーティストやミュージシャンがモチーフと思われる作品であり、肩肘張ってるオトコどもに、“もっと柔らかく生きてみれば?”とやんわり助言するかのような部分もある歌だ。普段はみゆきサンを素通りしそうな音楽ファン、例えば渋谷系とか、そのあたりの概念に心地よさを感じている人達も注目して欲しい。なんと、この曲でベースを弾いているのは、細野晴臣だからである。

ちなみに“どくおぶざべい”というのは、忌野清志郎がもっとも憧れたR&Bシンガー、オーティス・レディングの代表曲「(Sittin’ on) The Dock of the Bay)」(邦題は「ドック・オブ・ベイ」「ドック・オブ・ザ・ベイ」の二種類の表記がある)に由来する。その曲名の単語を溶かして棒状にしたような風情である。他にもこの歌には“らいかろうりんすとうん”というのも出てきて、こちらはボブ・ディランの代表曲「 Like a Rolling Stone」が、こちらも“棒状”となってる。なんでそんなことしたの? そう思ったヒトはぜひ聴いて欲しい。

文 / 小貫信昭

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