デヴィッド・ボウイニューアルバム『★』特集  vol. 0

Review

『レッツ・ダンス』以降の音楽変遷

『レッツ・ダンス』以降の音楽変遷

『迷走から成熟、そして再起へと移りゆく30年』

 70年代はほぼ1年に1枚の割合で傑作アルバムを連発していたデヴィッド・ボウイは、80年代に入ると俳優としての活動が増え、アルバム・リリースのペースは落ちていく。

 ’83年に3年ぶりの『レッツ・ダンス』を、シックのナイル・ロジャーズのプロデュースでリリース。それまでのヨーロッパ的な陰影に富んだ作風から一変し、アメリカ的なポップで明快でダンサブルな内容で全英1位、全米4位の大ヒットを記録した。同年には主演した大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』も公開され、ボウイは世界的なメジャー・ポップ・スターの座を確かなものとしている。

’85年には“ライヴ・エイド”に出演、ミック・ジャガーとのデュエットで「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のカヴァーを歌い、大ヒットさせている。

 しかしそれまでのアーティスティックな神秘性をかなぐり捨てた代償は大きく、以降は「ビギナーズ」(’86年)など単発的なヒットを除くと音楽的にも商業的にも迷走が続く。80年代末にはそれまでのポップ・ロック路線を払拭しシンプルなハード・ロックを目指してティン・マシーンという新バンドを結成、2枚のアルバムを出すが、これも思うような成果を残せなかった。

 ティン・マシーンを解散し、’93年になってソロ復帰第一弾として『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』を再びナイル・ロジャーズのプロデュースでリリース、ファンキーでダンサブルなサウンドで『レッツ・ダンス』の90年代版を狙い、翌年にはベルリン三部作のパートナーだったブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、まさに当時のごとき陰鬱なヨーロッパ的サウンドを目指した『アウトサイド』を立て続けに発表するが、完全復調には至らない。

 ところが’97年にリリースされた『アースリング』は、当時全盛だったドラムン・ベースやジャングルを節操なく取り入れ、齢50にして「次に何をやらかすかわからない予測不可能なボウイ」の復活を思わせる活気のあるアルバムとなった。

 一転して、リラックスしたナチュラルなバンド・サウンドと穏やかな歌いぶりが印象的な歌ものの傑作『アワーズ』(’99年)では年齢なりの成熟とメランコリーを感じさせた。

 21世紀に入り、3年ぶり25枚目のアルバム『ヒーザン』(’02年)と26枚目『リアリティ』(’03年)を立て続けにリリース。いずれも70年代の最重要パートナーだったトニー・ヴィスコンティをプロデュースに迎えた力作で、特に良い曲と円熟の歌、充実のバンド・サウンドが揃った後者は、ボウイ史上屈指の完成度だったツアーと併せ、何度目かの黄金期の到来を予感させた。

ところがそのツアーの真っ最中に動脈瘤による心臓の痛みを訴え緊急入院。この一件以来、ボウイは音楽活動への意欲を失ってしまったとされ、その後10年もの間ほとんど人前に出ることなく、実質的に引退状態であると伝えられていた。

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『ザ・ネクスト・デイ』
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
’13年発表

 ところが’13年1月8日、ボウイ66歳の誕生日に突如新曲の公開とニュー・アルバムのリリース予定を発表。3月にリリースされた10年ぶり通算27作目『ザ・ネクスト・デイ』は各メディアで「史上最高のカムバック・アルバム」と絶賛され、全英1位、全米2位と大ヒットを記録した。

 そして’16年、ボウイ69回目の誕生日に新作『★』がいよいよ発売。ソリッドでタイトなロック・アルバムだった前作に対して、カオティックでエクスペリメンタルなサウンドで脱ロックを意図した意欲作に仕上がった。結局前作ではツアーはおろかライヴの1本も行なわれなかったが、今作ではどうだろうか。

文/小野島大

※本記事は2015年12月に寄稿されました。

コラム:『Let’s Dance』の時代 ③はこちら

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