【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 58

Column

中島みゆきのユ-モア感覚について、ちょっと考えてみた 

中島みゆきのユ-モア感覚について、ちょっと考えてみた 

さて今週は、ぐっと力が抜けます。中島みゆきのユーモア感覚が好き、という話である。彼女の作品リストに“純然たるコミック・ソング”が存在するわけではないが、“そこはかとない”なら“そこかしこ”に忍ばせつつ、音楽制作をしてきたのではと思う。もちろん現在も。最新アルバム『相聞』の「移動性低気圧」とか、タイトルからしてそれを感じるし…。

実は、1988年4月に発売された『FM STATION』という雑誌で、僕は彼女に、こんな質問をしている。

「音楽にとってユーモアって必要だと思いますか? たとえばコミック・ソングって興味ないんですか?」

彼女の答はこうだった。

「書いたことがないとはいいません(笑)。でも、なかなかその時作ってるアルバムのカラーに入りきれませんから世に出ない(笑)」

このあと、それでも“世に出た”と思われる作品名へ話が及んでいったのだが、すると彼女は…。

「『キツネ狩りの歌』なんかはそんな匂いも込めて作ったとこありますよ」

そう話してくれたのだった。ただ、誤解しないで欲しい。「キツネ狩りの歌」がコミック・ソングである、というわけじゃない。歌のなかに人間が織り成す悲喜劇を捉えようとした時、“そんな匂い”を意識する瞬間もあるんですよ、ということなのだろう。

もちろん、“アルバムのカラーに入りきれませんから…”という発言にこだわるなら、中島みゆきがコミカルな傾向の未発表作品だけを集めたオリジナル・アルバムを出す日は来るのだろうか、なんてことも考える。しかし、それはないだろう。僕自身もきっと、これからもこの件に関しては、“そこはかとない”“そんな匂い”のものを期待していきたいと思う。そもそもワッハッハより、ニヤリのほうが心に届く質量が大きかったりもする。そう。それがユーモアというものでもある。

ここからは、80年代のアルバム・タイトルには様々にユーモアがあった、というお話。いや、こう書いておいて、この時期、タイトルに婚礼〜出産をイメージさせるものが目に付いた事実を“ユーモア”と片付けること自体、語弊があるのかもしれない。でもこの話、続ける。

特に『御色なおし』(85年)。これがセルフカバー・アルバムのタイトルだったのは、実にふるっていた。ファンの皆様はご存知の通り、79年の『おかえりなさい』に続くものであり、さらに『回帰熱』(89年)へとつながる。ちなみに“おかえりなさい”は、他人様のところでご厄介になっていた自分の子供(=作品)に対するウェルカムバックと受け取れる。では“御色なおし”の場合はどうなのだろう…。

もともとこの言葉。和装の結婚式で、新婦が神聖さを象徴する白無垢から、“相手の家に染まる”という意味合いもこめて色打掛に着替えることを意味していた。ただこの場合、他のアーティストさんへ提供した段階というのが、つまり“相手の家に染まる”ための“色打掛”であり、それがさらにお召し替えされたから“御色なおし”、というタイトルなのだろう。では“白無垢”とどこに存在するかというと、それ以前、“デモ・テープ”の段階がそれにあたると想われる。ご本人にこのアルバム・タイトルの件を訊ねたことがあったが、そのとき彼女は、「“高島田”なんてタイトルだったら可笑しいでしょうねぇ(笑)」と言っていた。

『おかえりなさい』『御色なおし』『回帰熱』を改めて聴くと、もちろん、中島みゆきのソングライターとしての馬力を感じる。また、曲のオリジナリティを担う、楽曲アレンジに対する彼女の興味が“見えやすい”のもこうしたアルバムの特徴だ。もちろん、プレタポルテもオートクチュールも分け隔て無く着こなす、そんな歌い手としての存在感もひしひし伝わる。

最後にコンサ−トのMCにおけるユーモア感覚を、当コラムらしく80年代から繙くことにする。あれは86年12月のこと。彼女は両国国技館でコンサートを開いた。国技館なので、「枡席」というのがある。お相撲の時は、ここに4枚の座布団がひかれ、定員は4名。でも、けっこうキツキツ。なのでこの日は、定員3名だった。ライブが始まり、途中のMCで、彼女が「枡席」にも触れた。そして、こんなことを言ったのだ(うろ覚えなので、コトバは正確じゃないです、たぶん)。

「カップルと赤の他人では具合わるいので、枡席はすべて、個人で応募してくださった方達にお座り頂いてます!」

そして場内が、「枡席」まで明るくなった。正直、僕は心の底からウケたのだった。また、彼女がメイン・ステージではなく、上階から登場する、という演出もあり、短い間奏のあいだ、階段を駆け上がらなければならなかった。その時の様子も、たしかMCで語っていた。

「ハァハァいいながら、やっと所定の位置につき、前を見たら『救心』の広告があった」

これも枡席の座布団すべて渡したくなるほどウケた。国技館という場所の、ちょっとアウェイな感じも組み込んだ、そんなユーモアなのだった。

このライブが行われてから、既に30年以上も過ぎている。でもこのMCは、非常によく覚えているのである。当日の演奏や歌はどうなんだと言われると……、う〜ん……。いや、ウソウソ。ライブ盤にもなっているし、この時のスペシャルなセットリストに興味ある方は、ぜひぜひアルバム『歌暦』を。

文 / 小貫信昭

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