Interview

『あの花』『ここさけ』を経て、岡田麿里はなぜファンタジー大作を描いたのか? 監督初挑戦で臨んだ『さよ朝』誕生秘話

『あの花』『ここさけ』を経て、岡田麿里はなぜファンタジー大作を描いたのか? 監督初挑戦で臨んだ『さよ朝』誕生秘話

心の膜を破り、新しい世界へと踏みだそうとする若者たちの姿を魅力的に描いた『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』と『心が叫びたがってるんだ。』は、アニメファンのみならず大きな反響を呼んだ作品だ。それらの原作・脚本を手がけた岡田麿里の名もまた、またたく間に広がっていった。彼女の作家性を遺憾なく発揮した作品が観たい、というニーズも高まる中、ついに自らの脚本で初めての監督を務めるというプロジェクトが発足。そして今回、満を持して記念すべき一篇『さよならの朝に約束の花をかざろう』を完成させた岡田麿里にインタビューを敢行。初監督作にかけた思いのほどを語ってもらった。

取材・文 / 平田真人 構成 / 柳 雄大

現実と地続きじゃない世界だからこそ、ふだん描けない微妙な感情も表現できた

『さよならの朝に約束の花をかざろう』(以下、『さよ朝』)には主人公のマキアを筆頭に3人の“母なる存在”が登場しますが、母性から生まれる愛情というものを描きたい、という思いが岡田さんの中にはあったのでしょうか?

P.A.WORKS(本作に携わったアニメーション制作会社)関連で言いますと、『花咲くいろは』(2011年)という作品がありまして、主人公の母親(=松前皐月)が波紋を呼ぶキャラクターだったりもするんですけど……母親という題材を描きたい、という思いは基本的に自分の中にずっとあるように思います。ただ、母親そのものよりも絶対的に守らなければならない存在がある人を描きたい、と言った方がいいかもしれないですね。その人を確実に守らなければいけない人間関係の最たるところが母と子なのかな、と思うからです。

マキア

そして、もう一つ……ずっと、関係値と役割の話を描きたいという思いもありました。というのは、自分の役割はこれだ、と思い込むことで生まれる“マイナスな状況”だったり、そう思い込むからこそ生まれる“尊いもの”がある、と考えているからなんですね。『さよ朝』の主人公・マキアで言うと、ずっとひとりぼっちだった彼女は、エリアルという守らなければならない存在が初めてできたことで、むしろ彼女自身が救われている部分があるんです。「この子を守りたい」と思うことで、自分の存在意義みたいなものが生まれている、と言いますか。そう考えると、どちらかというとエリアルに守られているというか、依存している状況がずっと続いていくわけです。

そういう言い方をしてしまうと、わりと身も蓋もないんですけれども、身も蓋もないことの美しさというものもあるじゃないですか(笑)。ファンタジーという現実と地続きじゃない世界だからこそ、ふだん描けない微妙な感情も表現できるのではないかなと思いまして、挑戦してみたという感じです。

身も蓋もないといって捨て置くのではなく、そこに愚直に挑戦されたというのも、岡田さんにとっては大きな決断だったのかな、と想像します。

エリアル

作品の制作中に1人の男性スタッフから、マキアとエリアルの関係性について疑問を呈されたんです。なぜマキアはエリアルを受け入れないのか、と。あの2人に対してそういう解釈をする見方もあるのだなとわかった時、変な話ですけど……「良かった~」と思いました。なぜなら、大切な存在をどうやって守るかは人それぞれに違いますし、守りたい理由もさまざまなんですよね。そういった多様性を、この1本の劇場用映画の中でどれだけ描いていけるかというのが、自分なりに思うところだったからなんです。

たとえば、1話あたりの尺が短いテレビシリーズの場合、キャラクターに対して「こういう人だと思ってほしい」というところを強めに描いていかないと、次の週まで持ち越すことになってしまうので、割とキャラクターの強度みたいなものを求められるんですね。その強度もちょっとデフォルメするというか、「この子は優しい子なんだ」と、わかりやすく見せる必要があって。でも、実際は人間の感情にはいくつものレイヤーがあって、そんなに単純なものじゃない。物語の途中で、エリアルはマキアに対して「自分のために必死になってくれる人を、母さんと呼んでいただけだ」と言いますけど、それは彼の中にあるいくつもの感情の一部でしかないわけです。そういう微細な心の揺れ動きと変化を、劇場版のサイズでじっくり描いてみたいと思ってもいたので、これもまた挑戦だったと言えるのかもしれません。

監督という立場で常に制作現場にいたからこそ、そういったスタッフの率直な感想や意見を聞くことができたのは、やはり新鮮な体験でしたか?

そうですね、私はこれまで脚本のみ手がけてきたので、制作のスタート地点にしか関わっていなかったんです。脚本を書いたら現場に渡して、あとは監督さんや作画のスタッフさんと打ち合わせをするという感じだったので……。でも、会社に席を置いていろいろな人たちと1カットずつつくっていくと、いろいろな人の意見が聞けるんですよね。(制作期間の)2年くらいずっと、「このキャラクターは、この場面でどう思っていたんですか?」といったようなことを、よく聞かれました。でも、それはスタッフのみなさんが作品のことを考えてつくってくださっているからであって……なおかつ、おのおの違うキャラクターの気分であるというのが、すごくうれしかったです。

ふだん、脚本を書くときは「こういう人っているよなぁ。こういう人は、こう思う時って、こういう感情の段階なのかな」と思ったりしながら1人で作業しているんですけど、「このキャラクターの心情や感情がわからない」という人に対して、「こうだから、こうで、こうなんです」って説明することが、いかに大変かを思い知りました(笑)。シナリオライターとしては、本を読んで判断してもらえばいいやという考え方なんですけど、監督も務めるとなると口頭でスタッフさんに説明する必要性にも迫られるわけで……。確かに難しくて大変なんですけど、同時にすごく面白いなと感じましたし、その経験を踏まえて、より脚本のことを考えるようにもなりました。

声の演技と作画とがお互いに影響し合ってできた作品づくり

監督としてご自身の生み出したキャラクターたちを動かす際には、どのようなことに気を配っていたのでしょう?

ちょっと自分の話とはズレてしまうんですが、やっぱりアニメって作画スタッフさんと声優さんが一つになって、キャラクターに芝居をさせる表現なんだという思いを深めました。今回の制作過程にこれがあって本当によかったと思ったんですけど、“読み合わせ”というのをさせていただいたんですよ。

本来、声優さんがオーディションで決まると、アフレコの時に一発勝負というパターンがほとんどなので、そこに対する恐怖や不安もあると思うんですけど、そこでの瞬発力と日々積み重ねられてきた作画が合致することで、化学反応が起こることが往々にしてあるんです。けれども、今回はアフレコの1年以上前だったかな? とにかくかなり早い段階で声優さんたちに“読み合わせ”をしてもらって、その演技を聞いた上で、作画スタッフがキャラクターたちを描いていったんです。なので、お互いに影響し合うというのかな……声が画に影響を与えた部分が多分にあるし、声優さんたちも読み合わせの時点で描き上がっていた画を見て考えてくださったりもして。そういうキャッチボールみたいなことをさせていただいたことが、奏功したなという思いがあります。

そういったプロセスを踏むというのは、アニメーションの制作現場においては珍しいことですよね?

アフレコの前にリハーサルはしますけど、当日なので、声優さんがじっくり役のことを考える時間があるとは言い難いのが現状なんです。特にテレビシリーズの場合は。それと、あらかじめ尺が決まっているので、実写のようにトライ&エラーで「ここはちょっと長めにしよう」といった現場での対応ができないんですね。そういう難しさがアニメにはあるんですけど、今回は声優さんの演技を聞いてから作画に入っていったので、作品に対しては相乗効果を生んだと思います。もっとも、作画の時間が豊富にあったわけではないので、スタッフはかなり大変な状況でしたけど……。

そんな中うれしかったのは、読み合わせの後に声優さん自身も1年の間……マキアの役を演じられた石見(舞菜香)さん、当時はまだ新人さんだったんですけど、ずっとマキアのことを考えていてくださったんですよ。2017年が明ける瞬間、『さよ朝』の台本を読んで年を越しましたと、1年前のお正月にお会いした時、話してくださって。「え、まだアフレコの本番まで相当……9カ月とか10カ月はあるのに、すごいなぁ」と思ったんですけど、実際にアフレコをしてもらって、石見さんの美しい思いがマキアの声にはにじみ出ているなと感じました。真面目さゆえの不器用さ、不器用さゆえの美しさが石見さんならではの声の性格となって、マキアに命を吹き込んでくれたと思っています。

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