デヴィッド・ボウイニューアルバム『★』特集  vol. 0

Interview

ボウイの隣にいた男たち 細見吉郎(宝ホールディングス元会長)

ボウイの隣にいた男たち 細見吉郎(宝ホールディングス元会長)

グラム・ロックが下火になった後もデヴィッド・ボウイはカルト・ヒーローであり続けた。その半面、ヒットがない時代が続いたわけだが、そんなボウイに極東からCMの依頼が舞い込む。この出会いが映画『戦場のメリークリスマス』へとつながるのだった。

’79年(昭和54年)の年末、広告代理店である日放は、宝焼酎「純」のCMにデヴィッド・ボウイを起用する案を、宝酒造にプレゼンテーションした。『宝焼酎「純」白色革命ものがたり─お酒のジーンズをめざして─』(秋野癸巨矢著:非売品)に記された日放の伊藤明彦氏の言葉を以下に引用させていただく。 「 (前略)ロックをやっている連中はほかにもいっぱいいました。けれども、やはり“準になるな。純になれ”(註:当時の「純」のコピー)といって、これからの飲酒文化の中核に坐ろうとするものが、ただの風俗みたいな連中を出してきたってしょうがない。やはりアーティストとして非常に高い純粋性を持った人間を出してこなければ駄目だということで、デヴィッド・ボウイを選んだのです。だから彼以外のタレントは考えなかった」

70年代のボウイは、いわばカルトであり、彼が商業的な大成功を収めるのは’83年の『レッツ・ダンス』以降だから、それより3年以上も前のこのプレゼンテーションは大冒険だったと言っていい。しかし、この大冒険に乗っかった人物がいた。当時、宝酒造宣伝部次長兼課長で、後に同社会長職を経て’08年から’12年春まで京都市副市長を務めた細見吉郎氏である。今でこそ老いも若きも焼酎(あるいはチューハイ)の時代だが、昭和50年代の焼酎には、まだまだ“労働者の酒”というイメージが付きまとい敬遠されていた。そんなイメージを覆し、若者や女性に焼酎をアピールすることが、細見氏が自らに課した命題だった。

京都に例年になく遅い冬が訪れた12月中旬、約35年前に遡るCM撮影秘話を細見氏に伺った。

インタビュー・文/赤尾美香


日放の伊藤氏からプレゼンされた時、細見さんご自身はデヴィッド・ボウイのことをご存知でしたか?

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「クリスタル・ジャパン」封入のイメージ写真

当時私は42歳で、デヴィッド・ボウイなんて全然知らなくてね。プレゼンテーションの時、僕が「彼は、王、長嶋級か?」って聞いたら、日放側が「いや、ベーブ・ルース、タイ・カッブ級です」って言ってね。それなら、っていうので、よくわからずに採用したんです(笑)。ボウイは、非常に哲学的で、精神性の高い人だということも聞いて、ますます興味を持ちました。「純」の、“お酒のジーンズを目指して”というコンセプトにも合えばいいな、と。僕らが知らなくても、若い人たちが知っていればいいと思ったんです。キャッチフレーズは“時代が変わればロックも変わる”で、ピアノ編、牡丹編、庭編の3本を作りました。

CMの撮影は京都で行なわれていますが、最初から京都でする予定だったのですか?

京都での撮影は、ボウイ側からの希望でした。成田だったか羽田だったか忘れてしまいましたが、私は到着のお迎えにもいきました。でも、あまりクライアントとの接触を好まなくて、撮影時以外は自由にさせてくれということで、こちらが用意していたホテルにも泊まらず、自分たちで俵屋旅館(註:京都の老舗高級旅館。ボウイはこの旅館が大のお気に入り)を予約して。祇園で一席もうけるといっても、遠慮されてね。非常に繊細な人らしくて、私たちも「神経使うなぁ」って(苦笑)。だったら、そっとしておこう、と。日放のスタッフさんやスタイリストさんにお任せして、支払いは全部こっちでするから、好きなようにやってくれ、とお願いしました。

ボウイにしてみれば、最高のシチュエーションですね(笑)。

彼にとってCM出演は初めてのことで、私たちもそのことには感謝していたので、できるだけ心地良く過ごしてもらおうという思いでした。特にお酒のCMというのは、アメリカではイメージが良くないですから、みんな警戒するんですよ。ボウイの後に起用することになるシーナ・イーストンも、ボーイ・ジョージも、ジョン・トラボルタもそうでした。

でも、そんな時に「デヴィッド・ボウイが出演した」というのは、いい説得材料になったのでは?

そうです、そうです。「本当にボウイが出たのか!?」と、よく言われましたよ(笑)。

撮影自体は1日では終わっていないですよね。

2、3日かかりましたね。俵屋に1週間ほどいましたから。俵屋の請求があんなになるとは思いませんでした(笑)。撮影は、嵐山にある松尾大社というお酒の神様が祀ってある神社の近くの公園や正伝寺で行ないました。

撮影中に野次馬がいたことは、ありますか?

あまりなかったね。やはり30代以上の人間はボウイのこと知らない人が多かったし。日本に到着する時もお迎えにいくのに、ファンが押しかけたら大変だからと、ガードマンを数人用意していたんですけど、あれ? っていうくらいに人が少なくて(苦笑)。ガードマンも拍子抜け、なんてこともありましたね。

来日公演と違って、CM撮影の情報はファンにはなかなか届きませんし。

私たちも、周囲の人間にボウイが来日することは公言するな、と口止めしていましたからね。それで東京に1泊してから京都に来たわけです。

CMで使用された楽曲「クリスタル・ジャパン」も、ボウイ自身が書いています。

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デヴィッド・ボウイ 「クリスタル・ジャパン」 ’80年発表

私たちとしては、歌入りのものを期待していました。ところが、でき上がってきた曲はインストゥルメンタルで。でも、文句も言えないですよ(苦笑)。代理店には言いましたけどね。ボウイは、とても思いを込めて書いてくれた曲だと言ってくれていました。雅楽を意識したような曲でしたね。静かなトーンで。CMの中で“クリスタル、純ロック、ジャパン”と言う彼の声もまたいいんですよ。

ボウイのCMかポスターを観て大島渚監督が『戦場のメリークリスマス』に起用したんです

撮影時のボウイの様子を教えてください。

寡黙でしたね。おとなしい人でね。構ったらいけないような。だから私たちは10mくらい引いて見守っていましたよ。自分自身のミステリアスなイメージを保っていたい人なんだろう、と思っていました。あと、「アーティストとして、音楽のみならず何にしても、新しいものを発信していきたい」と話していたことは、よく覚えています。CMの背景やセットに関しては、できるだけ余計なものは排除してシンプルに、ということを言ってました。私たちとしてはあっち(ボウイ)のほうがすごいんだから、年寄りは口出ししないで、お任せしようというスタンスでしたね(笑)。

ということは、ボウイがプロデューサー的な役割も果たしていた、ということですね。

そうですね。直接僕らにアイデアを伝えてくることはなかったけれど、周囲にいたスタッフから「ボウイがあんなこと言っていた」と伝え聞くんです。それにしても、私も長いことCM制作に関わってきましたけれど、あんなに神秘的な人はいませんでしたね。だから記憶も鮮明に残っているんだと思います。

CMの反響はどうでしたか?

CM完成後は、予想もしていなかったんですけれど、町中のポスターは全部はがされて、電車の中刷りまでとられました。それで初めて、ボウイが本当にすごい人であることを実感しました。就職にも影響がありましたよ。学生が企業を選ぶのに、CMで起用した有名人を志望動機にするということも知りました。ジョン・トラボルタの時も同じことがあり優秀な人材を得ましたが、昨今の学生は随分底が浅いなぁ、とも思いましたけれど(苦笑)。

学生にしてみれば、デヴィッド・ボウイやジョン・トラボルタをCMに起用する会社なら、きっと新しくて面白いことができるだろう、ということでしょう。

彼らに払う出演料がある会社なら、そうそう簡単にはつぶれない、と思ったかもしれませんけど(笑)。

なるほど(笑)。

話はそれますが、面白い話があってね。実は、「タカラ can チューハイ」発売時にマイケル・ジャクソンをCMに起用するという話もあったんです。さすがに私もマイケルは知っていまして「本当か? イケるのか?」と。それで交渉していったら順調に進んでいきましてね。でも、彼はお酒が飲めないから、薄いのを作れってことになり、商品見本でアルコール度数2%くらいのものを送ったんです。けれど、マイケル、それを一口飲んで……ダメだ、やっぱりお酒は飲めない! ということになりまして。彼、サルを飼っていたでしょ?

はい。チンパンジーのバブルス君ですね。

それそれ、そのサルにも飲ませられない!! ってことになったらしくて、話はなくなりました(笑)。そして、マイケルの代わりに浮上したのがジョン・トラボルタ(註:’84年に出演)だったわけですよ。でも、こうして海外の有名人を起用する先鞭をつけたのは、間違いなくデヴィッド・ボウイですからね。当初は海外の有名人が日本の、ましてや宝焼酎のCMに出るわけがないから、そっくりさんだ、なんて言われて悔しい思いをしたこともありました。そうそう、あのCMかポスターをご覧になってボウイを知ったのが大島渚監督で、監督の事務所から会社に連絡があったことも、よく覚えています。それでボウイが映画『戦場のメリークリスマス』に出演することになったんですよ。

シーナ・イーストンやボーイ・ジョージのCMにも、思い出はありますか?

ボーイ・ジョージの、“東方に宝あり”というキャッチフレーズのCMはすばらしかったと思います。西遊記をモチーフにしたもので、彼が三蔵法師の格好をして。けれど、オンエア開始から2カ月で、彼が麻薬で逮捕されまして(苦笑)。ボーイ・ジョージの部分だけを差し替えするわけですが、CGが出始めた頃で。代理店があのCMを試験台にしていろいろと試していましたね。マドンナの時は、残念ながらマドンナらしくないCMだったんです。せっかく高い出演料を払って出てもらったのに、マドンナだってわかる人がほとんどいなくてね(苦笑)。

※本インタビューは2015年12月に行われました。

細見吉郎

’36年、兵庫県生まれ。‘59年、宝酒造株式会社に入社。宣伝課に配属後は石原裕次郎を起用した「松竹梅」、デヴィッド・ボウイ出演の「純」のCMなどを手がける。宝ホールディングス会長を退任後に京都市副市長に就任、現在はNPO芝生スクール京都の理事長として、京都の小中学校に芝生の校庭を広げる運動に携わっている。

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