佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 33

Column

日本で最初の女性シンガーソングライター、加藤登紀子50年目の挑戦「TOKIKO'S HISTORY」

日本で最初の女性シンガーソングライター、加藤登紀子50年目の挑戦「TOKIKO'S HISTORY」

加藤登紀子さんは1943年12月27日、現在の中国東北部にあった満州国のハルビンで生まれた。
そして終戦後しばらくしてから、母と子どもの4人で命からがら日本に引き揚げてきた。
ロシア文化の影響下にあった国際都市ハルビンで生まれ育っただけでなく、帰国してからも登紀子さんは亡命ロシア人の歌を聴いて育った。

そして東京大学に在学中だった1965年にシャンソンコンクールで優勝したことで、翌66年にレコード歌手としてデビューした。
今年でプロ・デビューから53年目を迎えるが、今もなお新しい挑戦を続けている。

昨年は時空を超えて燦然と輝いている二人の偉大な歌手をテーマにして、『「人生の始まりと終わり」ひばりとピアフ~』 と題した新しいスタイルのコンサート行った。

光があれば必ず影がある――。

「エディット・ピアフも美空ひばりさんも、最初から花道を歩いてきたスターのように見えますが、ふたりとも実人生はスムーズではありませんでした。悪戦苦闘の歴史があったのです」

そう語る登紀子さんは見過ごされがちな影に目を向けることで、自らの歌を通して光の大切さを歌い継いで伝えてきた。

今年は歌手としての生き方に大きな影響を与えたアメリカのフォークソング「花はどこへ行った」をテーマにすることで、自分自身の生きてきた半世紀の歩みを、世界の歌とともにふりかえるコンサートを開催する。

アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーが作詞作曲した「花はどこへ行った」は、ロシアの作家であるミハイル・ショーロホフの小説「静かなドン」に載っていたコサックの子守唄の歌詞がヒントになって誕生したという。
その後、1960年代になってキングストン・トリオやピーター・ポール&マリーのカヴァーがヒットし、ベトナム反戦運動という時代背景もあって、世界中に反戦歌として広まった。

登紀子さんは1966年に交通事故で亡くなった子どもを歌った「赤い風船」で、日本レコード大賞の新人賞に選ばれた。
それがなぜか、ロシアの匂いのするリズムだった。

日本でも学生運動が盛り上がっていた1968年、同志社大学の学生で「反帝学連」副委員長だった藤本敏夫さんからコンサートへの出演依頼を受けて、「歌を政治に利用されるのは嫌」と断ったことをきっかけに交際をスタートさせる。
藤本さんとはそれから5年後に結婚することになるのだが、交際を始めてまもなく逮捕されて勾留の身となってしまう。

その時期に藤本さんのことを思って、覚えたてのギター弾いて作ったのが「ひとり寝の子守唄」だった。
それは子守唄であることを通じて、「花はどこへ行った」ともロシアともつながっていた。

こうして日本で最初の女性シンガー・ソングライターが誕生したわけだが、当時はまだ、シンガー・ソングライターという言葉が日本に入ってきていなかった。
高石友也や岡林信康といった「自作自演」のフォークシンガーや、ザ・フォーク・クルセダーズが若者から強い支持を得ていた時代の話である。

「ひとり寝の子守唄」を初めて人前で歌ったのは、1969年5月29日、大坂厚生年金会館で開催された「メッセージ・コンサート」だった。
出演は高石友也、ジャックス、五つの赤い風船、加藤登紀子。

そのコンサートで演奏を受け持ったのが日本のロック史に名を残す伝説のバンド、ジャックスであった。
また「オリジナルで全部やったら」と励ましてくれたのは、フォークシンガーの高石友也だという。
その時のことを登紀子さんはこう振り返っている。

私は一方で、演歌歌手の間でシャンソンやってたから聴衆は面くらったようだったけど、「ひとり寝の子守唄」で私も聴衆も「ウッ」ってくるものがあったんですね。すごい反響で、みんなに励まされて、オリジナルをメインでやろうっていう出発点になったんです。

1969年の秋に発売された「「ひとり寝の子守唄」は大ヒットし、登紀子さんはシャンソン界でもないし芸能界でもない、新たな音楽シーンを切り拓いていくことで、その後に続く女性シンガー・ソングライターの先駆者となった。

藤本さんとの獄中結婚を経て、登紀子さんは3人の子どもを産んで育てながら、歌手として、シンガー・ソングライターとして活躍してきた。
さらには作曲家としても、石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」(作詞・なかにし礼)や、中森明菜の「難破船」などを手がけている。

歌は誰にでも作れる。
楽器が弾けなくても作れる。
だがそうやって自分で歌を作ったからといって、すべての人がシンガーソングライターと呼ばれるわけではない。

シンガーソングライターとは基本的にプロとして通用する歌手であり、しかも作曲家としても認められていなければならない。

そうしたことを自然体でやってきた登紀子さんは国境もジャンルも超えて、今でもメッセージを込めた歌を観客に届けている。
そして曲によってはエレキギターを弾きながら、全身で歌っているのだ。
もはや生きる伝説といっても、けっして過言ではないと思う。

-花はどこへ行った-加藤登紀子コンサート

加藤登紀子さん楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)。

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