黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 13

Interview

ゲームディレクター須田剛一氏(上)名ゲームシナリオライターの原点

ゲームディレクター須田剛一氏(上)名ゲームシナリオライターの原点

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

須田剛一の人生と彼が生み出す作品は、彼の人生を集約している。幼き日の母との想い出、ゲームやプロレス、音楽との出会い、長野から東京へ、様々な業種を経てゲーム業界へたどり着き、多くの人の助けのもと起業する。自身の目的と自分が持っている何かを作品として放出するために流転を重ね、今に至る。

それは須田剛一曰く、ゲームの神様とプロレスの神様に導かれたのだと…。起業から20年、インタビュー終盤に「死ぬまでこの仕事をしていたい」と言った須田の笑顔は喜びに溢れていた。

今回の「エンタメ異人伝」は、須田剛一を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。誰よりも多くの時間を自らの情熱の昇華に注ぎ続ける男の人生を垣間見てほしい・・・。

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

僕は父親の記憶がないんです。

まず、幼少期のお話から聞かせてください。ご出身は長野ということですが、長野のどちらですか?

須田 厳密に言うと上田です。僕は上田で生まれたんですよ。でも、すぐに松本に移ったので上田には1年いなかったと思います。松本には3歳ぐらいまでいたのかなあ。なので、松本の記憶はうっすらあります。そのあとは長野市ですね。

松本の記憶はどんなものがありますか。

須田 美ヶ原温泉に父親方のおばあちゃんの家があって、その近くに住んでいたんです。おばあちゃん子だったので、よく遊びに行っていた記憶があります。で、美ヶ原にはたくさんホテルがあるんですが、そのホテルの大浴場にいつも母親と行っていたのかな。そういう記憶がうっすらあるんですよ。

それは家にお風呂がないとかじゃなくて?

須田 じゃないです。入浴料払えば入れるんですよ。銭湯と同じような感じで、せっかくだから温泉に、みたいな。それが僕の一番遠い記憶ですね。多分2歳か3歳だと思います。

ちなみに、ご実家は何をされていたんですか?

須田 おばあちゃんがお店をやっていたと思うんですよ。で、多分母親がそのお店も手伝いながらって感じで。

なるほど。上田でお生まれになって松本、長野市と移られてきたわけですよね。それはお父様のお仕事の関係ですか?

須田 ええっとね・・・、僕は父親の記憶がないんです。途中でいなくなったんですよ。多分、松本時代です。

小学2年で「須田剛一」に

それは離婚ではなくて?

須田 離婚です。僕が小学2年のときに名字が小林から須田になったんです。

もともと小林さんだったんですか。

須田 はい、小林でした。なので、父親のことはまったく記憶にないです。写真を見たことはあるんですけどね。

その……理由については、聞いていたんですか?

須田 「あんたのお父さんは登山が大好きで、ガケから落ちたんだよ。それで行方不明に…」みたいな。父親は登山好きだったんですよ。母親も一緒に登山をやっていて、それもあったんでしょうね。実際は違う理由だったのですが。

じゃあ、真実を聞いたときは、けっこう驚かれたんじゃないですか。

須田 う~ん、それを聞いたところで別に……これは僕の場合なんですけど、最初から父親がいなかったのでコンプレックスがないんですよ。母ひとり子ひとりで、ずっと育ったので…… だから、父親がいなくなったとか、父親が欲しいとかいう感覚が一切なかったんです。父親への憧れもなければ、思い入れも特に何もないので、あまりなんとも思わなかったっていう。

そうですか……。

須田 はい。ただ、「小林」よりも「須田」のほうが名字的には、はまったといいますか(笑)。

僕も「須田」のほうがしっくりきますよ。マッチするのはやっぱり「須田」ですよね。何か、宿命づけられている感じがします。

須田 ありがとうございます(笑)。

子供の危機管理なんてほぼゼロの時代

すみません、なんか無理矢理で。でも、その頃って感受性を司る一番大事な時期ですよね。遊びとかに関して、これはやっちゃダメとか、あれはやっちゃダメみたいなことはなかったんですか。

須田 いや、なかったと思いますね。かなり放任主義で育てられました。

じゃあ、もう何をやってもいいみたいな感じで?

須田 そうですね。田舎なので遊ぶところはいくらでもあるじゃないですか。目の前が田んぼだったり野原だったりするので、もう駆けずり回っていました。それに、今ほど子供に対する危機感がなかったといいますか、子供の危機管理なんてほぼゼロの時代だったじゃないですか。確か保育園への通学とかも子供たちだけで行っていましたし。

で、通学途中に僕がいなくなったことがあったらしいです。

須田さんが?

須田 はい。途中で勝手にルート外れていなくなったんです。プールか何かに落ちたんじゃないかってことで大騒ぎになって、みんなでプールを竹の棒で探ってたんですって。

それは大騒ぎになりますよね。結局、どこに行っていたんですか?

須田 おばあちゃんちに行ってたんです。
家の場所も記憶してたんですね。で、保育園に行かないで、おばあちゃんとこで遊んでたらしいっていうのを母に昔よく聞かされました。

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