黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 13

Interview

ゲームディレクター須田剛一氏(下)起業の試練を越えたグラスホッパーが今描く未来

ゲームディレクター須田剛一氏(下)起業の試練を越えたグラスホッパーが今描く未来

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

須田剛一の人生と彼が生み出す作品は、彼の人生を集約している。幼き日の母との想い出、ゲームやプロレス、音楽との出会い、長野から東京へ、様々な業種を経てゲーム業界へたどり着き、多くの人の助けのもと起業する。自身の目的と自分が持っている何かを作品として放出するために流転を重ね、今に至る。

それは須田剛一曰く、ゲームの神様とプロレスの神様に導かれたのだと…。起業から20年、インタビュー終盤に「死ぬまでこの仕事をしていたい」と言った須田の笑顔は喜びに溢れていた。

今回の「エンタメ異人伝」は、須田剛一を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。誰よりも多くの時間を自らの情熱の昇華に注ぎ続ける男の人生を垣間見てほしい・・・。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの最終回です。第1回(上)第2回(中)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄


神の領域と、27thクラブ

あれはある種、何かを達成したことによる本人の達成感による「死」ということでいいんですか?

須田 僕は神の領域だと思うんですよ。ちょうど27歳でたくさんのカリスマが死んでるじゃないですか。27thクラブ(注24)っていうんでしたっけ? ジャニス(・ジョプリン)もうそうだし、イアン・カーティスもそうだし、ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)もそうですが、彼らは自分の音楽性も含めてなんですけども、ある領域まで突破したと思うんですよ。神を超えた音楽を作った人たちは、神のまま音楽を作ることが多分できなかったんじゃないかって。

それで、『ファイプロ』作ってるとき僕が26歳で、27歳のカート・コバーン(注25)が自殺したんですよね。自分がその神の領域にいっているかといったら、いってないんですけど、自分も翌年27になるだけに、カートの死の意味合いは、乗っかってきたものはすごく重かったですね。

注24:27歳で不慮の死を遂げた世界的ミュージシャンやアーティストが多いことから、このように呼ばれるようになった。
注25:アメリカのロックバンド「ニルヴァーナ」のボーカル兼ギター。セカンドアルバム『Nevermind』と収録曲の『Smells Like Teen Spirit』が驚異的なヒットを記録するなどカリスマ的人気を誇ったが1994年に自殺した。

じゃあ、それをある意味、自分自身の分身であるゲームになぞらえたと。そう思えばいいんでしょうか。

須田 そうですね。

なるほど。でも、それは確かにファンには伝わりにくいですね。

須田 伝わりづらかったでしょうね。

でも、そこまで任せてくれたヒューマンですけど、あと2作品ぐらい手がけたあとお辞めになるじゃないですか。それはなぜですか?

須田 『トワイライトシンドローム』シリーズ(注26)と『ムーンライトシンドローム』(注27)のあとですね。やっぱオリジナルを作りたかったんですよ。『トワイライト』は引き継ぎの仕事でしたが、『ムーンライト』では、それを反映して自分の感覚を出せていたと思います。でも、やっぱり自分でゼロからイチを作る仕事をしてない。自分にとっては本当の代表作じゃないんで、それを早く作りたかったんですよね。もちろん、ヒューマンでやりたかったんですけど『ムーンライト』を作ってるときですかね。会社がちょっと不安定な状態になって、ウワサでもうヤバいよっていう。

注26:高校生の女の子が心霊現象の謎を解き明かしていく、オカルトを題材とした横スクロール型のアドベンチャー。現在まで『探索篇』『究明編』『再会』『禁じられた都市伝説』の4作が発売されている。
注27:『トワイライト』シリーズに連なるホラーアドベンチャー。1997年にヒューマンからプレイステーション向けに発売された。

グラスホッパー・マニファクチュア創業の背景

1998年3月30日の創立記念日 三軒茶屋ビル前にて

確かに、そういう話題でましたよね。

須田 で、そのときに元ヒューマンでアスキーのプロデューサーになってた田村(裕志)さん(注28)に声をかけてもらっていたんです。「来ない、ウチに」みたいな。

注28:アスキーでは須田氏の『シルバー事件』のほか『火星物語』や『moon』などの開発に参加。現在はトライエース所属で『ファンタシースター ノヴァ』ではディレクター兼プロデューサーを務めた。

ということはアスキーからお金を出してもらったわけですか。

須田 そうですね。ちょうど専務の廣瀬(禎彦)さん(注29)が起業サポートしてたんです。いろんなスタジオに力貸してあげて、新しいブランドやレーベルを作っていこうみたいな感じで動いていて、そこに僕らがうまいこと乗っかってグラスホッパー・マニファクチュアができ上がったんです。

注29:日本アイ・ビー・エムを経てアスキーの専務取締役に就任。その後もセガ・エンタープライゼス、アットネットホーム、コロムビアミュージックエンタテインメントで役員を務めるなど実業界で活躍した。

「マニファクチュア」って家内制手工業ですね。何かイギリスの産業革命っぽいんですけど。そこには何か須田さんの思いがあったんでしょうか。

須田 ちょっとありました。グラスホッパーやるときに自分たちはパブリッシャーにはならないだろう、作る側だろうということで。あと、長い会社名がいいなあと思って。ギャガ・コミュニケーションズとか。

僕、ギャガも受けたことがあるんです

2014年6月26日 黒川塾 19 日活千葉氏 映画評論家高橋ヨシキ氏と

僕がいたところですよ(笑)。たしかに、ギャガ・コミュニケーションズも長いですよね。

須田 僕、ギャガも受けたことがあるんですよ。社長面接までいったんですけどダメでした。

そうだったんですか、あらら。

須田 当時、ヒューマンの社長が脱税して騒ぎになりまして。それで、面接の時に「なんでヒューマン辞めるの」って聞かれて、「社長が脱税したので嫌になりました」って言ったら「それは君とは関係ないよね」って怒り始めちゃって。当時の社長さんはなんていう方でしたっけ。

藤村(哲哉)さんですね。

ギャガ創業者 藤村哲哉氏が苦難を乗り越えて培ったビジネススキル(上)

ギャガ創業者 藤村哲哉氏が苦難を乗り越えて培ったビジネススキル(上)

2017.03.20

須田 そう、その藤村さんが「君は社長じゃないから、それをとやかく言える立場じゃないでしょ」って説教されちゃったんですよ。「いや、でも脱税は会社にとっていいことじゃないと思いますよ」って言っても「それはキミが決めることじゃないよね」って。

そういう話になっちゃったんだ(笑)。すみません、脱線してしまいました。ええっと、ギャガみたいな長い名前にしたかったと。

須田 そうです。資生堂コスメティックとか、長い名前がなんかよかったんで、ああいう感じにしようと思って。

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