横川良明の演劇コラム「本日は休演日」  vol. 1

Column

4人の男子学生が溺れたシェイクスピアという名の劇薬

4人の男子学生が溺れたシェイクスピアという名の劇薬
今月の1本『Shakespeare’s R&J~シェイクスピアのロミオとジュリエット~』

演劇は、その瞬間その場所でしか見られないもの。その一回性こそ演劇の醍醐味ではありますが、もう二度と帰ってこないものだからこそ、いつまでもその面白さを語りたくなるものですよね。ここでは、ライター・横川良明がふれた作品の中から、その月のベストオブベストをチョイス。独断と偏見に基づき、作品の魅力を解説します。 今月は、2月8日に千穐楽を迎えた『Shakespeare’s R&J~シェイクスピアのロミオとジュリエット~』をピックアップ。観客を虜にした、男4人の“禁じられた遊び”について語り尽くします。

文 / 横川良明

虚構か、現実か。抑圧の昼と、解放の夜

舞台となるのは、とある全寮制男子校の寄宿舎。そこは厳格なカソリック校で、学生たちは厳しい規律の下、模範的な毎日を送っている。年頃の男子にとっては、あまりに刺激に欠ける日々。表面上は優等生を装っていても、心はいつも退屈を持て余している。そんな彼らの好奇のはけ口――それが禁書であるシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を読みふけることだった。

敬虔なカソリックにとって、婚姻関係を持たない異性に情欲を抱くことはタブー。男子校で寮生活を送っている彼らにとっては、恋愛やセックスなど別世界の話なのだろう。しかし、禁じられれば禁じられるほど欲しくなるのが人間の性(さが)。夜な夜な自室を抜け出して、今夜も彼らは手を伸ばす、禁断の『ロミオとジュリエット』という名の果実に。

この作品の構造を簡単に説明すると、単に4人の男子学生(矢崎広、柳下大、小川ゲン、佐野岳)が戯曲を片手に『ロミオとジュリエット』を演じる。それだけだ。オリジナルの会話は一切なし。それどころか彼らには名前さえ与えられていない。その唇からこぼれるすべての言葉は、『ロミオとジュリエット』をベースに、シェイクスピア作品の台詞のみで構成されている。

言わば、ただの劇中劇だ。実際、4人の男子学生も最初は“ごっこ遊び”でしかなかった。艶っぽい台詞には年頃の男子らしく色めきだち、女役をあてがわれればふざけたように科(しな)を作る。そう、あくまでこれはただの“遊び”だったのだ。

だが、やがて4人の男子学生は戯曲の魔力にからめ取られていく。ロミオを演じた学生1(矢崎広)と、ジュリエットを演じた学生2(柳下大)の視線は、いつしか本当に恋に堕ちた人間のそれになる。放心したように虚空を見つめる矢崎広のアーモンドのような瞳。恋しい人のぬくもりを求めて震える柳下の肉感的な唇。常軌を逸し始めるふたりから放たれるスキャンダラスな空気が劇場全体に充満していく。

シェイクスピアの台詞が、学生たちの心に取り憑いたのだろうか。ついに矢崎と柳下は実際に唇を重ねる。その瞬間の危うさと初々しさよ。頭は、どこかまだ理性を残しているように見える。だから、ゆっくりと近づくその身体が小さく反発している。でも、心はもう恋の支配から抗えない。狂おしいほどに、ただ欲しくて欲しくてたまらないのだ。

男優同士のキスシーンだけあって、観客も一層見てはいけないものを覗き見しているような感覚に陥る。だけど、彼らが唇を重ねた瞬間、その神聖さに倫理の楔が弾け飛ぶ。主にマキューシオを演じた学生3(小川ゲン)も、主にティボルトを演じた学生4(佐野岳)も、男同士のラブシーンを最初は罰ゲームのように眺め、野次馬のように囃し立てていた。けれど、友人ふたりの本気のくちづけを間近で目撃し、彼らもシェイクスピアの手の中に堕ちる。現実と虚構の境目で翻弄されていた4人の男子学生は、ついに戯曲の大波に呑みこまれ、物語の世界に溺れ、悲劇の結末までを演じていく。

彼らは、作品の中で一言として自分の言葉は話していない。発するのは、すべてシェイクスピアの台詞の引用だ。けれど、なぜだろう。まるで毛穴からどくどくと溢れ出すように彼らの感情が迸る。4人の男子学生の性格も関係性もまるで説明されていないのに、シェイクスピアの台詞から、それらが透けて見えるようなのだ。

きっと禁欲的に生きる彼らは、恋なんて知らない。その唇はまだ愛の言葉を囁いたこともなければ、異性の温もりにふれたことだってないだろう。そんな彼らだからこそ冒されてしまった、恋という名の熱病に。そして知ってしまった、人を愛するということの高鳴りと悲しみを。

恋の女神に魅入られた矢崎広の熱演が光る

松岡和子の翻訳したシェイクスピアの台詞は詩的で、その宝石のような言葉を口にしていれば、虚構の世界に心奪われてしまうのも無理はないと同情したくなるほど美しい。田中麻衣子の演出は精密で、それでいてその画づくりはとても大胆だ。特にクライマックスの演出は劇的で、狂気と倒錯の一夜を鮮烈に飾り立てる。

そして、演じる俳優がいい。矢崎広はどこでこんな官能的な表情を身につけてきたのだろうか。恋の女神に魅入られた顔つきは、少年のように青く、それでいて男性の色香もにじむ。覚えたての恋に惑うリリカルな少年性をここまで清らかに体現できるなんて罪づくりにも程がある。もともと矢崎自身、とても品があって、知性的だ。その聡明さが、抑圧的なカソリック校の生徒にぴたりとハマっている。だから、彼が規律という名の十字架から解き放たれ、初めて知った感情に発熱してくさまに観る者も興奮を覚えるのだ。

対する柳下大も魅力的だ。どんどん恋に傾倒していく矢崎に対し、柳下はどこかその恐怖に抵抗しているような立ち位置。その不安定さが、乙女の劣情を醸し出す。彼が蹂躙される一幕は痛々しく、思春期特有の暴力性と、禁書に魅入られた異常性が垣間見えた。ふたりを取り巻く友人役の小川ゲンと佐野岳も冷やかしの観衆から悲劇の看取り役へと移り変わる過程を鮮明に演じている。

結末はどこか切なく、物悲しい。でもだからこそ、演劇というものは、とりもなおさず夏の夜の夢のようなものだと思った。幕が下りてしまえば、もう跡形も残らない。誰もが現実の世界へと帰っていく。けれど、その中の何人かは不思議な別世界に引きこまれたまま戻る術も知らず途方に暮れる。舞台上にひとり残された学生1は、そんな哀れな迷い子だったのかもしれない。

舞台「『Shakespeare’s R&J』~シェイクスピアのロミオとジュリエット~」

東京公演:2018年1月19日(金)~2月4日(日)@シアタートラム
兵庫公演:2018年2月7日(水)・8日(木)@兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

原作:ウィリアム・シェイクスピア
脚色:ジョー・カラルコ
翻訳:松岡和子
演出:田中麻衣子
出演:矢崎広、柳下大、小川ゲン、佐野岳
オフィシャルサイト


著者プロフィール:横川良明(よこがわ・よしあき)

演劇ライター。2.5次元から小劇場まで愛する舞台のためなら東奔西走する日々。特に青春モノに弱い。お芝居に真摯な俳優は大体推し。

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