【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 63

Column

尾崎豊 デビュー曲「15の夜」で格闘したのは“自由”という名の怪物。 

尾崎豊 デビュー曲「15の夜」で格闘したのは“自由”という名の怪物。 

Twitterを始めた頃、恥ずかしながら、フェイク・ニュースにひっかかった。千葉県の〇〇中学が、校内で尾崎豊の「15の夜」を口ずさむことを「校則で禁止した」というものだった。親切な方が、すぐ、「偽ですよ」と教えてくれたけど…。

信じてしまったのは、いかにも「ありそうな話だなぁ」と思ったからである。あの歌は、今もそれほどのインパクトを放ち続ける。例のバイクを盗むくだりは、歌のなかに3回も繰り返し出てくる。しかも、もっとも堂々と歌われるサビのなかに…。

そもそも十五歳といえば、かつての「3年B組金八先生」を観るまでもなく、情緒不安の極みといえる年頃である。とはいえ将棋の藤井聡太六段も同年齢であり、一概には言えないわけだが、もし「15の夜」の主人公の担任が金八先生だったら、どう諭したのだろうか、なんてことを夢想する。金八先生なら、歌詞にあるような[心を捨てろ]などとということは、きっと言わなかったハズだ。

1983年12月1日。尾崎豊は「15の夜」でデビューした。アルバム『十七歳の地図』も、併せて同日にリリ−スされる。この歌は、実話をもとに作られたことで知られている。『尾崎豊 覚え書き』(須藤晃・著)などを読めば、そのあたりが判る。でも、実話だからリアルかというと、歌作りっちゅうもんは、それほど甘くない。この歌を、もし史実にもとづき描くなら、年齢は15じゃなく、14のほうが正確らしい。でも“♪じゅうよん(し)のよる〜”より“♪じゅうごのよる〜”のほうが語呂がいいので、15になったそうである。つまり、史実より音楽的な意匠を重んじたわけである。

また、この歌はミドルティーンによるミドルティーンに向けたミドルティーンこそが嘘偽りなく聴ける作品であるけど、実はリリース直後より、幅広い層に対して訴求力を有するであろう可能性を秘めていた。

当時、レコード会社の人達は、「15の夜」のある部分を替え歌にしていた。どう替えたかというと、途中、語るように歌われる[学校や家には帰りたくない]のとこを、“職場や家には帰りたくない”と口ずさんでいたのである。けして茶化したわけじゃなく、この歌のなかにエージレスなテーマを見出したからこそ、そんなふうに親しんでいたわけなのだ。

僕はといえば、同時期に、大江千里・大澤誉志幸・小山卓治といった才能溢れる人達が続々デビュ−を飾っており、尾崎も含め、全員苗字の頭文字が一緒だったので、“Oの時代がやってくる!”という、そんな新人紹介の記事を書いた記憶がある。

改めて、今の耳で、じっくり「15の夜」を聴いてみよう。まず、心象と具象を、バランスよく散りばめている歌詞が素晴らしい。もちろん、具象が心象の比喩として機能したりもする。ムズカシイ言葉はいっさい出てこない。けど深い。

自販機の[百円玉で買えるぬくもり]とか、改めて聴いてみてもイイナと思う。缶コーヒーを手で包みこみ、それで暖をとる、というイメージは、この歌以前にもあったのかもしれないが、僕自身はここで強烈に印象づけられた気がする。

尾崎だと、つい歌詞の話になるが、それだけじゃない。「15の夜」は自由を求めた歌だけど、彼はそれを、歌詞だけではなく歌い方でも示そうとした。そもそも音楽の中で自由を表わすなら、歌そのものを自由にしてみせなければ本質的ではない。まさ自由。この歌の尾崎は自在だ。サビに向かっていく時、オケに対してガチッとギアが入る部分では、疾走感が生まれる。一方、束縛を逃れ浮遊するかのような部分もあって、対比が効いている。

何回聴いてもイイナと思うのは、さっきも登場した[とにかくもう 学校や家には帰りたくない]の部分だ。ここの辺りは音楽的にはワン・コードであって、なので自由が効くからか、尾崎は旋律というものを意識せず、[とにかくもう 学校や家には…]では、“ふと気がつくと呟いて、心情を吐露してました”という雰囲気を醸し出す。しかし[…帰りたくない]では、再びギアを入れ、声を張る。

これ、最初からこのように歌おうと、記譜しておいたものだったものではなく、その場で突然閃いた、という雰囲気なのだけど、実際、そんなところだったのだろう。何度繰り返し聴いてもゾクゾクする。彼が歌う、その場に立ち会ったわけじゃないのに、彼が閃いた、その瞬間へと回帰してく気分がする。最後まで聴くと、自由は簡単に手に入るものじゃないことに関して、落とし前をつけている。自由になったわけじゃなく、[自由になれた気がした]だけだったのが、「15の夜」という物語の結末である。

この歌の主人公がバイクで逃げ込もうとしたのは[暗い夜の帳り]の中だ。仲間と家出の計画を練ったのは練馬の向山公園で、当時、尾崎が通っていた中学の近所にあった。ファンには聖地のひとつとなっている。“暗い夜の帳り”という表現は、まさに郊外のこの公園だからこそ、目の前に広がった景色だろう。もし彼が中学から都会のど真ん中にある青山に通っていたなら、この表現はなかったはずである。

さすがに若いな、と、そう思う部分もある(中学の頃に着想した作品なのだから、若くないと困るけど)。それは[自分の存在が何なのかさえ]の“さえ”の部分である。“自分の存在”が“何なのか”は大命題だ。“さえ”なんてことで、片手間に片付くことではない。

文 / 小貫信昭

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