黒選!メディアコンテンツ研究家・黒川文雄がテーマで選ぶ 3+1  vol. 30

Column

「記憶」に残る家庭用ゲーム機 その知られざるストーリー 3+1選

「記憶」に残る家庭用ゲーム機 その知られざるストーリー 3+1選

今から遡ること38年前、1980年初頭、第一次家庭用ゲーム機戦争が勃発しました。

1980年 ゲーム&ウォッチ(任天堂)
1981年 カセットビジョン(エポック社)
1982年 ぴゅう太(トミー)
1983年 光速船(バンダイ)
  アルカディア(バンダイ)
  TVボーイ(学習研究社)
  PV-1000(カシオ)
  ファミリーコンピュータ(任天堂)
  SG-1000(セガ)
  MSX(パナソニック・ソニー・他多数)

・・・皆さんはこれらの機器を見たことがありますか?

現在20代の皆さんにとって上記のラインナップを見ても「なんのことだろうか?」というリアクションになるかもしれません。筆者の記憶にあるのは、ゲーム&ウォッチ、カセットビジョン、ぴゅう太、そして実際に所有していたファミリーコンピュータとMSXくらいです。

当時は、おもちゃメーカーを中心に、数多くのゲーム機が製造・販売され、市場は家庭用ゲーム機のシェア争いで盛り上がりました。
この時、市場で圧倒的なシェアを占めたのが、任天堂の「ファミリーコンピュータ」(以下:ファミコン)でした。ファミコンの独壇場となったため、バンダイやエポック社はハード販売を諦めてファミコン向けソフト開発に乗り出すほかありませんでした。

そんな中で、最後までファミコンの牙城に挑んだのは、モデルチェンジを繰返したセガと、新規格を打ち出したMSXでした。
セガはSG-1000からSG-1000Ⅱ、そしてセガマークⅢ、さらにマスターシステムと次々とマイナーチェンジを繰返し、ついに16ビットCPU搭載のメガドライブまで投入して、北米では任天堂を凌駕する家庭用ゲーム機シェアを獲得しました。
一方のMSXは、MSX2からMSX2+へ、そして16ビットCPU搭載のMSX turboRまで投入しますが、約5万円以上する高価なハード・ソフトの両方をまとめる事やロイヤリティを受け取ることも出来ず、ソフトメーカーには自由な制作・販売体制の為、戦略的に年間を通じて強力な販売が出来ないまま、ホビーパソコンとして終焉を迎えました。
私の記憶が確かならば、購入したMSXに「ちゃっくんぽっぷ」というタイトーが開発したアクションゲームのロムカートリッジが同梱されていました。今となっては懐かしい思い出です。

そして、1990年頃、第二次ゲーム機戦争と呼ばれるような時代に突入します。

1993年 FM TOWNS マーティー(富士通)
  レーザーアクティブ(パイオニア)
  3DO REAL(パナソニック※日本では94年発売)
1994年 プレイディア(バンダイ)
  PC-FX(NEC-HE)
  セガサターン(セガ)
  プレイステーション(SCE)
1995年 バーチャルボーイ(任天堂)

この時注目された技術要素は「32ビットCPU」「マルチメディア」「動画圧縮」「CD-ROMによる大容量」といったものでした。

しかし、第二次ゲーム機戦争が生み出した新しい時代は長続きせず、予期しない方向へ向かうことになります。それは「3次元コンピュータグラフィックスでゲームを表現・開発する」という時代の到来でした。
そしてそれは「次世代ゲーム機」と称され、既存のゲームメーカーのみならず大手家電系をも巻き込んで大きなうねりとなって、ゲーム市場を大きく変革することになりました。

第一次ゲーム機戦争、第二次ゲーム機戦争、そして次世代ゲーム機戦争、と繰り返された家庭用ゲーム機の歴史は、競合し続けた各社の戦いの歴史です。
そんな歴史を振り返りながら、今回の黒選では、「記録」だけではなく「記憶」に残るゲーム機とその背景にあった物語を、ゲーム機の栄枯盛衰とともに振り返ります。
この中に皆さんの思い出のゲーム機はあるでしょうか?

では、どうぞ!

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