若手ライターが選ぶ!買ってでも聴くべき本当の名曲  vol. 12

Column

果たしてこれは音楽?ノイズ・ミュージック〈騒音芸術〉の世界へ誘うアルバム4選

果たしてこれは音楽?ノイズ・ミュージック〈騒音芸術〉の世界へ誘うアルバム4選

多種多様な配信サービスの乱立、ジャンルの限りない細分化、アナログレコードやハイレゾ音源といった「音質」にこだわる聴き方の広まり――
「どのように」音楽を聴くかということと「どんな」音楽を聴くかということが複雑に絡まりあう現代において、音楽作品を「買って聴く」ということはどのような体験なのか。

今回、エンタメステーションでは、新進気鋭の若手ライター12人に「買ってでも聴くべき本当の名曲」というテーマで作品のセレクトを依頼した。
最前線の音楽シーンを見つめる12人は、それぞれどのような切り口でこの課題に応えてくれたのか。ぜひ紹介されている音源を実際に「買って」「聴いて」その違いを楽しんでみてほしい。


ノイズ・ミュージック――果たしてこれは音楽なのか?

ノイズ・ミュージックと言われれば、あなたはどのようなイメージを抱くだろうか。おそらく多くの人々は、やかましく、耳をつん裂くようなノイズを「こんなもの音楽じゃない!」と一蹴するだろう。
正しい反応だ。これから〈騒音芸術〉の世界へと誘おうとしている、かくいうわたしもはじめてノイズ・ミュージックを聴いたときは戸惑いを隠せずにはいられなかった。「果たしてこれは音楽なのか?」と。

わたしたちの現代の生活では、あらゆるところにノイズが存在するが、工事現場の作業音、車や電車の走行音など、機械が発するノイズをいちいち音楽として聴くものはそうそういない。というより、むしろかえって煩わしく感じるのではないだろうか。
たとえば、学校やオフィスで勉強や仕事に打ち込んでいるときに、工事現場から発せられるノイズが大音量で聞こえてきたら集中力の妨げになりかねない。しかし、この「意識をずらす」作用こそ、ある種ノイズ・ミュージックの本質を表しているとも言えるのではないか。

ともあれ、〈騒音芸術〉の世界へと足を踏み入れてみよう。

都市の喧騒を表現する“奇怪な機械音”

Luigi Russolo/Antonio Russolo
『Awakening of a City』

1913年に新たな芸術の可能性を提示したノイズ・ミュージックの始祖であるイタリア未来派の画家・作曲家のルイジ・ルッソロは調律された楽音以外の日常的な機械の騒音をモティーフとした〈騒音芸術〉を掲げた。
自作の楽器であるイントナルモリ(=騒音調整機)を使用した『Awakening of a city』は、文字どおり都市の喧騒を表現するような奇怪な機械音だけで作曲された作品だ。現代の耳では、その即物的かつチープなノイズ音がキッチュなものに感じてしまうかもしれない。
だが、ルッソロのこの試みは、後世の音楽家や芸術家たちに多大なる影響を与えた。それだけではなく、ルッソロの〈騒音芸術〉によって顕わになったのはわたしたちが如何にテクノロジー(機械)に支配され、意識が麻痺しているか、である。
日常的な機械によるノイズを「作品」として聴くことによって、わたしたちは意識的にノイズに耳を傾ける。すると、ただ煩わしいだけだったノイズが、いかにテクノロジーがわたしたちの意識を支配しているのかを示唆してくれるものに変わるだろう。

日本発、「ノイズの帝王」の鮮烈なノイズ

Merzbow
『Door Open at 8am』

ここ日本においてもノイズ・ミュージックは独自の進化を遂げている。1980年代に「ジャパノイズ」と呼ばれる独創的なノイズ・ミュージシャンが次々と出現してきた。
なかでも「ノイズの帝王」の異名を持つメルツバウ(Merzbow)のノイズは鮮烈だ。ハーシュノイズと呼ばれる耳をつんざくようなノイズは極めて身体的な音響の洪水で、聴くものを覚醒させるような作用がある。
『Door Open at 8am』ではあらゆるノイズ音をコラージュしている。どこかスペーシーな雰囲気を感じさせ、クラウトロックやテクノに通ずるものも感じさせる。明瞭な展開やリズムを刻んでもいるので、ある種ダンス・ミュージックとしても聴けるこの作品は、メルツバウの作品のなかでは聴きやすい(?)部類に入る作品だ。

またメルツバウもテクノロジーに対して批評的な視座を持って音楽制作に取り組んでいる。ルッソロ同様に自作の楽器を制作し、ノイズ・ミュージックを始めたが、90年代の終わりから2000年代の半ばまではラップトップやコンピュータを使用していた。
今ではコンピュータを使ったエレクトロニカやテクノ作品の制作は当たり前のものとなっているが、メルツバウは使用する機材がラップトップに移行してもそうした音楽性に移行することなく、ラップトップでノイズを発するという、彼の本質ともいえるサウンドを鳴らし続けていた(なお、現在は再びアナログ機材メインに戻っている)。

〈データ〉の洪水に飲まれていくような作品

ryoji ikeda
『supercodex』

90年代後半になると、周波数や超音波を使い、数学や物理学を応用した音楽・視覚芸術制作を行う美術家・電子音楽家の池田亮司が登場した。池田はデビュー当時から一貫して、音の物理特性や人間の知覚をテーマにして作品を制作し続けている。そのコンピュータを使用した極めてマテリアスティックな音の扱い方は、「テクノイズ」と呼ばれる新たなノイズ・ミュージックを生み出した。
「音のデータ」と「データの音」のあいだを探求した「dataシリーズ」の完結編である『supercodex』では、データから生み出されるサイン・ウェーヴやパルス音、グリッチノイズなどを非常に緻密かつ複雑に構築している。最初は難解な印象を受けるかもしれない。しかし、卓越した音の持続・切断の操作により反復的なリズムが奏でられているので、一度没入してしまえば、〈データ〉による崇高な時間感覚を体験出来るだろう。
情報化が臨界に達しつつある現代において〈データ〉などわたしたちにとっては単なる数字の並びにしかないのかもしれないが、池田の音楽が魅力的なのは、どこまでも広がっていく数多の〈データ〉の洪水に飲まれていくような感覚にあるのかもしれない。

エモーショナルな表現を備えたノイズバンド

ENDON
『Through The Mirror』

さて、では現在のノイズ・ミュージックはどのような展開をみせているのだろうか。ここまではテクノロジーを扱ったアーティストを紹介してきたが、ハードコア畑から出てきた新世代のノイズ・バンドもいる。その名はエンドン――2006年に結成された5人組のバンドだ。これまで2枚のフルアルバムとリミックスアルバムなどをリリースしている。
わたしは彼らがまだアルバムを出す前のライヴを6年前に初めて見たが、まだまだ荒削りな部分は目立ちつつも、大音量で鳴らされたノイズの嵐に圧倒され、身の危険さえも感じた。

2014年にボリス(Boris)のAtsuo氏のプロデュースによる初のフルアルバムがリリースされたが、特に驚愕を禁じえなかったのは2017年に発表されたセカンドアルバム『Through the mirror』だ。研ぎ澄まされた音像と随所メロディアスで印象的なギターフレーズ。ハードコア譲りのスピードでめぐるましく展開されつつも、緩急のつけ方は非常に計算されている。
わたしが驚愕したのは――語弊を恐れずに言えば――飛躍的な作曲能力の向上だった。数々の楽曲は、洗練されて非常にわかりやすく、感情にさえ訴えかけるものだった。
6年前に彼らのライヴを観たときはここまで「化ける」とは思ってもみなかった。メタルやハードコアから実験的なノイズ・ミュージックに移行するアーティストはいるが、ここまでエモーショナルな表現を備えたノイズバンドは類をみない。


わたしたちの日常にあらゆるノイズが潜んでいる。テクノロジーと情報化の発展により、ノイズは除去され、様々な事柄が整合の取れた均一な世界となりつつある。
そのような現代において、ノイズ・ミュージックとは“豊かな雑音”に満たされた日常の存在に改めて気づかせてくれるものなのかもしれない。

執筆者プロフィール:佐久間 義貴(さくま・よしたか)

1988年福島県生まれ。批評誌『ヱクリヲ』編集長。音楽・音響論。視-聴覚芸術論。主な論考に「反響・パースペクティヴ・深さ――振動するジャームッシュの風景」(『ヱクリヲ6』所収。ヱクリヲ編集部、2017年)、「亡霊たちの唱歌――神代映画の〈声〉を聴く」(『ヱクリヲ5』所収。ヱクリヲ編集部、2017年)など。

ヱクリヲとは: 批評家・佐々木敦の主宰する「映画美学校 批評家養成ギブス第三期」のメンバーを中心として、2014年11月に結成。映画・音楽・文学・美術といった領野を貫通する批評活動を展開している。現在は全国の若手研究者や「ゲンロン 批評再生塾」塾生とも協働し、おもに20代の書き手を中心に雑誌やweb上で活動している。今年の11月には最新号『ヱクリヲ7』(「音楽批評のオルタナティヴ」「僕たちのジャンプ」特集)を上梓、全国書店やディスクユニオン等約120店舗で発売中。

 

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