Interview

病が変えた夫婦の形とは? 鈴木大介の感動作『されど愛しきお妻様「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』

病が変えた夫婦の形とは? 鈴木大介の感動作『されど愛しきお妻様「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』

昔、金八先生が3年B組の生徒に向かって説いていた「人という字は〜」のような講釈を、現実世界で面と向かってされたら、なに不自由なく健常な日々を謳歌する人の多くは、きっと「いきなりこの人、なに言っちゃってんの?」と眉をひそめることだろう。

このほど上梓されたルポライター・鈴木大介氏による『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』(講談社)は、ヘタをすると「なに言っちゃってんの」案件にもなりかねない、そんな「人と人とが支えあうことを大切さ」を、金八的な説教くささを抜きに、ストンと胸に落としてくれる1冊だ。

不定形発達、いわゆる「発達障害」を抱えた妻に代わって家事も仕事も一手に引きうけつつ、15年間、小言を言い続けてきた夫が、「後天的な不定形発達」とも言われる高次脳機能障害を抱えたことで、妻の不自由を理解し、家庭環境の抜本的な改善にも成功する――。

自身が脳梗塞を発症したことによって、思わぬ“副作用”を得ることとなった著者の鈴木氏に、本書執筆に至るまでの想いと、病をきっかけに深まった“お妻様”との関係性について聞いてきた。

取材・文 / 鈴木長月

「障害」という言葉の裏側には、
膨大な苦しさ、不自由さが広がっている

テーマが重たいだけに若干身構えたところもありましたが、読んでみると、「そうだったのか!」という新鮮な発見と同時に、同じ既婚男性として身につまされる描写も実に多くて……(苦笑)。なにより、躊躇なく現実を受容していく奥さまの強さに心を打たれました。

突然降りかかってきた障害に戸惑っている僕を尻目に「ついにあたしの時代が来た」なんて言いやがりましたからね(笑)。ただまぁ、彼女からしたら、30年以上にわたって自分なりの方法で障害と折りあいをつけてきたところに、僕がいきなり入ってきたようなもの。仲間ができたというよりは、後輩ができたっていう感覚に近かったんだと思います。実際、僕に対する指示もさすがに的確で、それにはすごく助けられましたしね。

「ゆっくり、ひとつずつ」。自分がパニックになっているときに、動じず、そう言ってくれる相手がいるというのは心強いですよね。

それはもう、ホント、それこそ耳タコぐらいに言われましたけど、いきなり自分が当事者になってみると、ゆっくりも、ひとつずつも、なかなかできるもんじゃなくてね。「遂行障害」の症状が強く出ていた最初の頃なんかは、たとえば、こうやって喫茶店で取材をして、「じゃあ、3分後にお店を出ましょう」って言われても、筆記具をしまって、身支度をして、お財布を出して……っていう作業の組みたてが頭のなかでできないから、ただただフリーズするほかない。「注意障害」のせいで、床に置いてあったコップの上に座っちゃうっていう経験をしたときも、けっこう衝撃でしたよね。そこに座らないで済んでいたのは、見ていないようでちゃんと見てる、無意識の注意力が働いていたおかげなんだって。

用語や症例を知識として知っているのと、それを当事者として経験するのはまったくの別次元だった、と。

知識が役に立たないわけではないんです。でも知識と実体験のズレを埋めていく作業は、すごく時間がかかりましたね。「遂行障害」にせよ、「注意障害」や「情緒障害」にせよ、漢字にしたらたかだか4文字でしかない。でもその言葉の裏側には、当事者が言語化できていない膨大な苦しさ、不自由さが広がっているわけです。最大の誤認は、その障害に耐えがたいほどの「苦しさ」がともなうことを知らなかった点。僕自身、これまでそういう不自由さを抱えた人たちのことは何度も取材していたにもかかわらず、本来的な意味ではそのことに思い至ってさえいなかった。いろんなことをいまさら新発見と言うか、それはそれは素晴らしい知ったかぶりの人生を送ってきたんだな、と痛感させられましたよね。

取材はもうできない。それが僕の結論

だとすると、奥さまが発達障害だったことで、ご自身が負った障害との共通項に気がついたというわけでは、必ずしもないと?

そのへんはけっこう直感的で、取材対象との符合を先に感じて、「あれ、俺これ知ってる」、「これも前に見たことあるな」って思ってたところに、妻からも「あたしと同じになったんだね」って言葉をもらって……。そこでようやく取材対象と妻とが、実は同じフィールドにいたんだってことにあらためて気づかされたって感じですね。しかも、この本を書くにあたって妻にいろいろ話を聞いたら、過去に取材してきたどんな人より、よっぽど妻のほうが記憶の時系列なんかが混乱していて、取材困難な相手だったっていう(笑)。

とはいえ、作中の後半で描かれていた鈴木さんご自身が、言語化できない奥さまの感情に思い至るシーンは感動的ですらありました。

感情のコントロールができなくて、言葉より先に気持ちがあふれて、無意味なジェスチュアで身体がジタバタしちゃう……みたいな「情緒の脱抑制」の症状は、僕自身にもあったんですけど、あとあと聞いたら、妻の場合は感情が言葉にならないときに手が出てしまってたらしいんですよね。ガッと怒るけど、それに対して相手を説き伏せる言葉もないし、言い返せもしないから、まずは手が出る。それがハタチぐらいまで続いたと。

ハタチ……。そんなにですか。

その後はさすがに我慢するようにはなったみたいですけど、それほどサイズの大きな感情が言語化できないまま蓄積していくなんて、考えただけでも大変な苦しさですよね。しかも妻の場合は、こうした怒りのような感情を自力で気分転換することができないから、マイナスの気持ちにずっと頭を支配されて、平気で3、4日は寝こんでしまう。さらに悪いことに、記憶の時系列が整理されていない彼女は、ずっと昔に抱いた感情でさえ、昨日の出来事のように克明に思い出せてしまうんです。病後の僕も同じようなマイナス感情の「拘泥」に散々苦しめられたので、あらためて彼女のそんな心の機微にまったく気づけていなかったことに反省しましたね。

表面的には、ただただ粗暴な女の子。そこにだけいくら目を凝らしても、実際の不自由さや苦しみは見えてきませんよね。

そうなんです。いざ自分がなってみたら、自分で自分の感情のサイズをコントロールできないって、本当に苦しい。一度怒ったら、たとえ自分が悪くても決して謝らずに、2、3日はふくれっ面のまま口も利かない……みたいな「わがままな妻」が、その裏側で苦しみ悶えてたなんて、思いも寄らなかったですからね。そう考えると、これまでの取材で接したメンタルを病んだ人たちに対しても、僕は本質的な理解をできていなかったし、ずいぶん残酷な取材をしてきたなって。僕の取材の多くは、思い出したくない過去を語ってもらうことでしたから。

なるほど。本質を見誤っていた可能性もあると。しかしこればっかりは一朝一夕で理解できる問題でもないだけに、難しいですね。ルポライターという職業はそもそも、人に言いづらいことを赤裸々に話してもらってナンボの仕事でもありますし。

言ってみれば、相手の内臓を無理やり引っぱりだすような仕事。内臓を見てからでないと書けない仕事ですからね。なのに、「あとは自分でしまえるでしょ」と思っていた内臓、つまり、つらい記憶や感情が、実は本人が自力じゃしまえないってことに気づいてしまった。よく言われる「フラッシュバック」って、非当事者的には記憶が映像のように甦る……ぐらいの認識でしょうけど、当事者的にはヒドい目に遭った記憶や苦しい感情が、その被害を受けたときのサイズとリアルさで思い出されてしまうことなんですね。そして、一度思い出したら、自分ではその記憶を封じこめられずに何日にもわたって七転八倒することになるんです。そういう当事者感覚を僕自身がもってしまった以上、その手の記憶をもつ子たちの取材はもうできないなって。遅きに失した感もあるけど、それが僕の結論でもあるんです。

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