佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 37

Column

梶芽衣子の「媚びない、めげない、くじけない」という生き方

梶芽衣子の「媚びない、めげない、くじけない」という生き方

17歳で日活の女優としてデビューした梶芽衣子さんは、思ったことを正直に口にしてしまう真っ直ぐな性格で、生意気な女優としてまわりからは厳しい仕打ちにあっていたという。
しかし持ち前の負けん気と、「勉強と努力、忍耐しかない」という信念のもと、女優としての道を自力で切り拓いていく。
ようやくクールでいかした不良少女として華が開いたのは、1970年に日活ニューアクションの傑作「野良猫ロック・セックスハンター」に主演してからで、このシリーズは一部の熱狂的な映画ファンから絶賛された。

大学生だったぼくはその映画を何回も繰り返して観て、共演した藤竜也さんとともに、新時代のヒロインとヒーローが誕生したと思ったものだった。

その後は東映映画の「女囚701号 さそり」で、一言も口をきかない主人公というアイデアを考えて、映画が大ヒットしたおかげでスターになった。
だが必ずしも本意ではなかったということを、文藝春秋から出た自伝「真実 梶芽衣子」を読んで、あらためて知ることになった。

実はその頃には子供が欲しくて、結婚と引退を考えていたという。
予定外で不本意だったという歌手としての活動、それまでのイメージと異なるテレビドラマ「寺内貫太郎一家」への出演、勝新太郎や高倉健といった大物スターの共演、自ら企画した映画「曽根崎心中」の苦労と成功、そして「鬼龍院花子の生涯」を企画したにもかかわらず、卑劣な方法で企画ごと奪われたことへの失意と怒りなど、いずれも一気に読まずにはいられない内容であった。

そして本の帯に書いてあったコピーの通り、自らの意志で選んだ「媚びない めげない くじけない」という人生を、爽快にさえ感じたのだ。

ぼくが大学を卒業して音楽業界の片隅で働くようになり、梶芽衣子さんに会って取材したのは1974年の晩秋のことである。

梶芽衣子さんはその頃、大ヒットした東映映画の「さそり」シリーズを4作で自ら降りて、映画「ジーンズ・ブルース 明日なき無頼派」や「修羅雪姫 怨み恋歌」に主演する一方で、テレビの人気ドラマ「寺内貫太郎一家」に出演して新境地に挑んでいた。

ホリプロダクションの音楽出版部門として機能していた東京音楽出版のディレクター、すずきまさかつさんと初めてお会いしたのはその年の夏だったが、ぼくはまさかつさんと知り合ったことで、音楽づくりの現場の空気を学ばせていただいた。

それまでシングル盤やアルバムのレコードというものは、レコード会社の制作部にいるディレクターが主導権を持って作っていると思っていた。
しかし、まさかつさんの仕事を間近で見ていたことで、ホリプロに所属する和田アキ子や森昌子の新曲がプロダクション主導で、原盤制作という方法で作られていることがわかってきた。
まさかつさんの同僚だった川瀬泰雄さんはその当時、井上陽水と山口百恵のプロデュースに携わっていた。

そんなまさかつさんから、入魂の思いでプロデュースしていたというアルバムを秋になって、レコードになる前の段階で聴かせてもらった。
それが梶芽衣子さんのコンセプト・アルバムで、『去れよ、去れよ、悲しみの調べ』という長いタイトルがついていた。

そのアルバムのプロモーションで取材が実現したとき、ぼくは音楽業界誌にこんな文章を書いた。

そして、今新しい朝が始まる……芽衣子の華麗なる世界、そんなキャッチコピーがついたアルバムは、曲と曲との間にはモノローグ風の語りが入り、全編を通して完全に統一されたムードを持った構成になっている。
「さそり」シリーズの主題歌「怨み節」とはまったく異なるイメージで、大野克夫、かまやつひろし、下田逸郎、松任谷正隆などによる曲で構成された、お洒落で品の良い作品だった。
アウトサイダーの象徴的存在として梶芽衣子が注目を浴びる前、日活青春映画の脇役として息づいていた少女の太田雅子。そんな等身大だった少女が、素敵な大人になったことを感じさせるこのアルバムは、もはや歌謡曲とかポピュラーといった概念を超えている。(週刊「ミュージック・ラボ」1974年11月18日号)

梶芽衣子さんの自伝「真実」の最後には、彼女がふたたび音楽活動を始めていて、今度はロックに挑戦すると書いてあった。
そして音楽活動のパートナーは、赤ちゃんの時から知っていたギターのシンくんこと、まさかつさんの長男の鈴木慎一郎さんだという。

新しいアルバム『凜』のプロデュースも、ライブバンドも彼が仕切っているとわかった。
シンくんが作詞作曲した「凜」という曲について、梶芽衣子さんはこう述べている。

曲を聴いてみると、私がずっと信条としていた「媚びない、めげない、くじけない」をまさに表現したかのような内容です。彼はこんなふうに私のことをずっと見ていてくれたのかと思いました。

そこですぐに彼女のホームページ調べてみると、前の日にライブが行われたことを知った。
「間に合わなかった、残念」と思っていたら、その翌日にまさかつさんからフェイスブックで、こんなメッセージが届いた。


2018年3月15日 13:49

剛さん・・・すずき まさかつ@アートカフェフレンズ・・・です。
一昨夜、梶芽衣子さんは、新しいルイード経営のライブハウスでLIVEなさいました。(3月13日)ルイードの関連レーベルからCDをリリースしました。
全曲、我が息子が、作詞、作曲プロデュースしたのです。
43年前にホリプロで、私のプロデュースでリリースしたアルバムから実に半世紀近く・・・生まれたばかりの我が息子をよく、抱いてあやしてくれた芽衣子さん・・・その息子が、一昨夜もステージにのり、自分で集めたミュージシャンと共に、芽衣子さんの歌をバッキングしていました。
運命とは実に、面白いものです。


そう! 長く生きていると、こんなにも素敵な瞬間に出会うことができるのである。


著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか

著者:佐藤剛
出版社:文芸春秋

三島由紀夫、中村八大、寺山修司・・・・・・

時代を彩った多くの才能との邂逅、稀代の表現者となった美輪明宏の歌と音楽に迫る、傑作ノンフィクション!

「自分以外の人によって、己れの人生を克明に調べ上げ語られると、そこには又、異なる人物像が現出する。歴史に残る天才達によって彩色された果報な私の人生絵巻が、愛満載に描かれていて、今更ながら有難さが身に沁みる」――美輪明宏

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