黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 14

Column

ゲームクリエイター小口久雄氏が語るエンタメ論(上)原点は「自由にやって」「喜んでもらう」こと

ゲームクリエイター小口久雄氏が語るエンタメ論(上)原点は「自由にやって」「喜んでもらう」こと

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

株式会社セガゲームス、かつて私が在籍した当時は、株式会社セガ・エンタープライゼスと呼ばれていた。
1951年、二人の外国人、R・レメーヤー、R・スチュアートにより「レメーヤー&スチュアート」として創業、1954年 には後のセガに継承される社名「サービスゲームズ」に変更され、国産初のジュークボックス事業に乗り出した。
この時の「サービスゲームズ(SERVICE GAMES)の頭文字をとって「SEGA」となり、1964年には 「ローゼン・エンタープライゼス」と合併し、私が慣れ親しんだ「株式会社セガ・エンタープライゼス」が誕生した。
株式会社セガ・エンタープライゼスはエレメカと呼ばれたゲームセンター向けのゲーム開発に乗り出した。

1978年導入のタイトーの『スペースインベーダー』の大ヒットを追うようにして、各社がビデオゲーム開発と導入への血道を上げるなか、セガは1985年の『ハングオン』のヒットを境に大型の体感ゲームというジャンルを確立する。有名なところではAM2研、体感ゲーム『スペースハリアー』『アウトラン』『アフターバーナー』などを立て続けにヒットを記録する。

そして、それらの体感ゲームとは異なる新たなゲームやエンタテインメントを提供し続けた人物が小口久雄であり、小口久雄が率いた第3AM研究開発である。
今回のインタビューは、セガ本体を離れて以来、取材関連に関してはほとんど受けてこなかった小口氏のセガでのクリエイティブを支えたルーツ、そして激動のセガを支えた社長時代、今まであまり語られることのなかったクリエイター、プロデューサーとしての活動、そして、現・セガサミークリエイション株式会社 代表取締役としての小口久雄を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

取材関連はやめてくれって言っていたんだよ

小口 今日のテーマは「生涯現役」だから。

こだわってますね(笑)。(昔の写真を見ながら)これ小口さんですか? こんなにやせてました?

小口 やせてたんだよ。見てくれクロちゃん(※)、僕の赤ちゃんの頃の顔を。

(※セガ時代からの著者の呼び名)

あ、かわいいですねえ~。

小口 かわいいだろ。でも、オッサンにかわいいって言われてもな。

かわいいのが、こうなるのか(笑)。いやあ、人に歴史ありですね。

小口 面倒くさいから、取材関連はやめてって、ずっと言ってたんだよな。

ありがとうございます、今日はよろしくお願いします。長野県岡谷市のご出身と聞いていますけども、幼少期の頃に影響を受けたものはありますか?

小口 振り返ると、子供の頃からゲームばっかりしてた。いわゆるデパートの上のゲームセンターとか。あと、僕が小学校ぐらいの頃に第1次ボーリングブームがあって、ウチのオヤジとオフクロもやってたんだけど、それに僕も毎回ついていってたのを覚えてる。ボーリング場にゲームが併設されてるんだよ。それで、親がボーリングをしている間、ずうっとゲームをやってた。当時はまだビデオゲームなんてなかったけどね。

その頃って、どんなゲームをやられていました?

小口 セガでいったら魚雷戦のゲームとか、分かる?

『ペリスコープ』(注1)ですよね。

注1:潜水艦の潜望鏡をのぞきながら魚雷を発射し、航行する敵の戦艦を撃沈していくゲーム。発売されたのは1966年で現存する筐体はないと言われている。

当時はクレーンゲームの景品にタバコとか入っていたんだよ

小口 そう、『ペリスコープ』。それと、いわゆるクレーンゲーム。下向きのヤツね(注2)。当時って1ゲーム10円、20円で、小学生だから親からお小遣いを200円とかもらうじゃない。で、親がボーリングしたりデパートで買い物したりしている間、その決まった小遣いで遊ばないといけないわけ。

注2:初期のクレーンゲームはアイスクリームの冷蔵ボックスのような形をしていて、景品を上から見下ろしながらプレイするようになっていた。

うん、そうでしょうね。

小口 それで、当時はクレーンゲームの景品にタバコとか入っていたんだよ。朝日とかエコーとかね。確か、朝日が40円ぐらいだったんだけど、それを取るとゲームセンターの管理人のおじさんが30円とかで買い取ってくれるんだよ。それを使って、また遊ぶっていう。

そんなシステムがあったんだ。すごいことやっていましたね。

小口 その当時はまだそういうことにうるさくなかったから。しかも、朝日はパッケージにセロファンが付いてないから取りやすかったんだよ。

そうか、滑らないんだ。

小口 そう。それを知ってからは朝日ばっかり狙ってた。あと、昔のアーケードゲームってリプレイできただろ(注3)。しかも、1回までとかなかったんで、永久リプレイっていうか、上手かったら何度でも遊べるんだよ。それで、ずうっとやってた記憶がある。まあ、長く遊んでいたいからね。小遣いなくなったら親のところ戻らなきゃなんないし。

注3:当時のエレメカ(いわゆるアーケードゲーム)には一定以上のスコアを出したり、特定の条件をクリアしたりすると再度プレイできるようになるものがけっこうあった。

じゃあ、そこでひとりで遊んでた感じですか。ゲームの世界に浸ったのが、同年代の子供より早い感じですよね。

小口 あんなにゲームセンターに行っていたのは同級生ではいないんじゃない? 普通はゲームセンターなんて行っちゃダメって親が言うし。でも、ウチはけっこう放任主義っていうか、親が割とそういう育て方をしていたんで、それが今に繋がっているのかもしれない。

ちなみに、ご実家は何をされていたんでしょうか。差し支えなければ教えてもらえますか?

小口 サラリーマン。

サラリーマンだったんですか。でも、ずいぶん自由に育ちましたね。

小口 そうだね、自由だったね。今でも部下には仕事を強制しないやり方をしているけど、それは自分がそういう育てられ方をしたからかな。仕事だからできる限り本人の好きにやってもらった方がいいと僕は思っているわけよ。なので、やりたいことを聞いてインプットして、その人に合うような仕事をやらせるようにしてる。クロちゃんはよく知ってるよな。

1 2 3 >
vol.13
vol.14
vol.15