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小早川俊輔、佐伯亮、木ノ本嶺浩らが体現する坂口安吾の『白痴』。「悔い改めろ」──この言葉が放たれたとき、客席にいるあなたの物語も始まっている

小早川俊輔、佐伯亮、木ノ本嶺浩らが体現する坂口安吾の『白痴』。「悔い改めろ」──この言葉が放たれたとき、客席にいるあなたの物語も始まっている

会心の意欲作が誕生した──日本の文学史において異彩を放つ坂口安吾の『白痴』が舞台化。3月28日(水)、いよいよ初日の幕が開いた。現代の日本の若者にとって決して“とっつきやすい”とは言いがたい題材。だが本作はそれを、現代文化のシンボル・渋谷に集った私たちにとっての“続編”の物語として見事に立ち上げた。通俗にまみれた街で情熱の火をくすぶらせ、自尊心ばかりを肥大化させる主人公・伊沢(小早川俊輔)の姿は、私たちの映し鏡なのかもしれない。そんな示唆と企みに満ちた本作の一端をレポートする。

取材・文・撮影 / 横川良明

本当に俗悪なのは豚か、それとも人間か

舞台となるのは、かつて戦火の渦中にあったこの国。刻一刻と敗戦の色が濃くなるなか、売春婦と老婆が暮らすその街はますます荒廃し、人々の心は欲望と堕落に冒され、醜くただれていた。そんな腐敗の街で、知性も理性も持たない豚のように生きる人々を胸の内で唾棄し、自分だけは気高き芸術の道を貫かんと息巻く男がいた。それが、映画演出家見習いの伊沢だ。

伊沢には、高邁な理想があった。今や映画会社は、記録としての価値しかない戦争映画を量産するだけ。この現状を打ち破り、独創性に満ちた芸術映画を撮って、世の中を正しい方向へ導きたい。伊沢は、そう情熱に燃えていた。しかし、名もなき映画青年の声に耳を傾ける者など誰もいない。そして伊沢もまた、生活の保障を捨ててまで理想を貫く勇気はない。ただ、自分はほかの人間とは違うのだという、尊大な、そしてひどくありふれた自己愛を肥ゆらせるだけだ。

そんな伊沢の目の前に現れたのが、白痴の女・サヨ(熊手萌)だった。彼にとっては豚同然の人間もどきが跋扈するこの街で、純潔なサヨだけがただひとりの“人間”だった。高尚な精神と世間への憤懣だけをよすがに生きる伊沢は、サヨに自らの理想を見た。そしてその出会いは、やがて彼自身の浅薄さと俗悪さを暴き立てていく……。

文学作品らしい格調高き流麗なセリフで綴られるのは、普遍的な若者の苦悩と自己陶酔だ。自分を認めない社会を批判し、周囲を俗物視することで、なんとか自分の価値をとどめようとする心理は、時代が変われど今も変わらない。きっと観客の多くが、伊沢を見ながら、自分の中に飼い太らせている“伊沢なるもの”を発見することだろう。

だから、決してポップでもキャッチーでもないはずなのに、伊沢のセリフがするすると心に染む。気づけば、何十年も前に書かれた難解な文芸作品という印象は取り払われ、客席と舞台の間に透明な橋が架けられている。そして、その地続きの世界で、観客は伊沢と共鳴するのだ。これは、私の物語だと。

何度かインタビューをしているが、演出のほさかようは、非常に俳優の真価を信じるタイプの演出家だと思う。彼は、真っ向から俳優と向かい合う。そして、どんな高い壁も必ず俳優自身が乗り越えてくれると確信している。だからだろう。本作においても、俳優の技量に重点を置いて、『白痴』の世界を築き上げた。見せ場は、獰猛で濃密な俳優同士の格闘。それを際立たせる陰影に富んだライティングが効果的だ。サヨ以外の女役をすべて男優が演じるという意表を突いたキャスティングも、サヨの持つ不可侵性、神聖性をよりくっきりと浮き立たせた。

俳優・小早川俊輔にとって記念碑となる作品が生まれた

何より本作最大のトピックスとして挙げたいのが、俳優・小早川俊輔の“大器感”だ。ミュージカル『テニスの王子様』の宍戸 亮 役、そして『プリンス・オブ・ストライド』の諏訪怜治 役と、2.5次元作品で一躍注目度を増した新星だが、前述の2作品と本作ではまた毛色が異なる。当初、このキャスティングを聞いたときは驚きでさえあったし、当の本人も先日のインタビューで「こういう作品にこれまで出演したことがなかったので、よく僕に任せてくださったなと思います」と率直に感想を述べている。だが、さらにキャリアを遡れば、『飛龍伝』で本多劇場、『毛皮のマリー LA MARIE-VISON』で新国立劇場の板を踏むなど、小早川の芝居に対する情熱は骨太。本人にとっても熱望してやまなかった本格ストレートプレイだ。その念願の舞台で、小早川は渾身の演技を見せている。

伊沢は、劇中、何度も表情を変える。前半、街の人々に翻弄される伊沢は、善良ないち市民という印象。突如現れたサヨを前にしても自制的だし、映画に懸ける情熱も一途そのものだ。そんな好青年像を、小早川は持ち前の品の良さで体現する。

それが、物語が進むにつれ、一枚、また一枚と皮を剥いでいくように、本性が晒し出されていく。焦燥、怨嗟、狂躁、憔悴。伊沢をものにするには、日常的にはなかなかストレートに発することのない悪感情とも向き合わざるを得ない。24歳、主演舞台は初めてという若い俳優が手綱を握るには、相当の苦難が伴う役どころだ。

その難役に対し、小早川は賢しらに掌握しようとするのではなく、いい意味で丸裸でぶつかっているように見えた。激流のごとく溢れ出す早口のセリフは、相当な台詞術が必要だ。本能のまままくし立てても、俳優の独りよがりな演技に終わるし、かと言って理性的にコントロールしすぎては観客に感情が伝わらない。小早川は時にセリフの力に呑まれそうになりながら、それでも懸命にもがき、抗い、奮い立つことで、伊沢の覚醒とそれによる変貌を強烈に印象づけた。この茫洋たる『白痴』に立ち向かう小早川と、ままならぬ理想と現実の中でもがく伊沢が、自然とシンクロする。だから観客は、彼からもう目が離せない。

初めてサヨを抱くシーンは、衝撃だ。性急にシャツを脱ぎ捨てる伊沢。薄明かりに、ほど良く筋肉のついた肉体が照らされる。均整の取れた顔立ちが欲望で歪むさまは、実に淫靡で背徳的だ。どんな高潔なことを口にしていても、快楽の前では、人間も豚も同じ。むしろあれこれ芸術論を並べているよりも、堕ちていくその姿のほうがよほど芸術的に見えるのだから皮肉だ。

終盤、とある小早川のシーンで、取材陣のシャッターを切る音が止まった。もちろん示し合わせたわけではない。きっと誰もシャッターを切れなかったのだ。小早川がつくり出した静謐と緊迫の空気を、シャッター音で壊すことがためらわれて、しばしカメラを下ろした。それほど彼はシブゲキの空間を支配したのだ。

恐らく初日から回を重ねるごとに、どんどん小早川の伊沢は進化していくだろう。いい意味で、まだ発展途上。そして、これからの可能性は未知数。もしかしたら数年後には小早川俊輔という名はもっと人口に膾炙することになるのではないか。そう予感させる熱演だった。

ほかにも良い俳優はたくさんいるが、あとひとりだけ挙げるとすれば、社長 役の加藤 啓だろう。拙者ムニエルの看板俳優としてキャリアを積み、引く手数多の実力者が、こうして若手中心の舞台でしっかりと脇を固めてくれていることに安心を覚える。伊沢と社長の対決シーンは、どれも見応え抜群。ぜひ楽しみにして欲しい。

舞台『白痴』は4月1日(日)までCBGKシブゲキ!!にて上演中。人間とは何か。人間らしさとは何なのか。その問いかけが胸に突き刺さる本作。劇場を出て、渋谷の雑踏を歩けば、しきりに都会の喧噪が耳に入る。けれど、それは本当に人の話し声なのか。あるいは豚の鳴き声なのか。スクランブル交差点の往来を眺めながら、そんなことを考えていた。

舞台『白痴』

2018年3月28日(水)~4月1日(日)CBGKシブゲキ!!

STORY
時代は過去。舞台はこの国。戦争が起きている。安アパートが林立し、半分以上は軍需工場の寮となっているが、そのほとんどの部屋には妾と淫売が暮らしており、近所の商店街は荒れ、商品もない百貨店、毎晩開かれる賭場、安酒が消費される国民酒場、それらが雑多にひしめき合っている。そんな小さな町で、若手映画演出家である〈伊沢〉は〈仕立て屋〉が持つ寮の一室に住んでいる。隣家には、町でも有名な資産家ながらも〈気違い〉の一家が住んでいた。
ある日、気違いの妻である白痴の女〈サヨ〉が、伊沢の部屋の押し入れに逃げ込んできたかのように隠れていた。その日から2人の秘密の同居生活が始まる──。

原作:坂口安吾
脚本・演出:ほさかよう

出演:
伊沢 役:小早川俊輔
仕立て屋 役:佐伯亮
少尉 役:中村龍介
家鴨 役:碕理人
煙草屋 役:二瓶拓也
母親 役:谷戸亮太
サヨ 役:熊手萌
社長 役:加藤啓
気違い 役:木ノ本嶺浩

オフィシャルサイト

原作本 『白痴』

『白痴』

著者:坂口安吾
出版社:オリオンブックス