Interview

postman 愛知発・ローティーンで結成したバンドは、20歳を前に完成させた初の全国流通盤で何を歌うのか?

postman 愛知発・ローティーンで結成したバンドは、20歳を前に完成させた初の全国流通盤で何を歌うのか?

名古屋を拠点に活動を展開している4人組だ。初めての全国流通盤となる7曲入りミニアルバム『干天の慈雨』は、センシティブな歌詞世界とボーカルの声の魅力を押し出すことにフォーカスした曲作りという、バンドの個性をしっかりとアピールする仕上がり。この作品で全国に打って出るんだという意欲を感じさせる内容だ。
ここでは、バンド結成からこの新作完成までの道のりを、ボーカル&ギターの寺本颯輝にじっくり語ってもらった。

取材・文 / 兼田達矢 撮影 / 鈴木圭

小学校の5年でギターを始めて、6年のときにはもうミュージシャンになりたいと思ってたんです。

資料によるとメンバー3人が今年20歳になるそうですが、それで結成2010年ということは、小学生のときに結成したということですか。

小学6年ですね。

それは、やっぱり「バンドやろうよ」ということで始めたんですか。

そうですね。僕が小5くらいからギターを触り始めたんですけど、ギターとベースは同じ少年野球チームに入ってて、その練習の後いっしょに遊んだりするときに、僕が音楽を聴かせたりしてたんです。二人はバンドの音楽を聴き始めるのはそれが最初だったんですけど、その流れで「バンドやらん?」「いいよ」みたいなノリで…。それで、ドラムも少年野球のチームの仲間を誘って、バンドの形になったのが小6のときです。

野球も同じだと思いますが、技術的なことも含め、みんながある程度うまくないと面白くないから、長く続かないと思うんです。ところが、そうやって始めて、そのまま現在に至ったということは、小6で始めたときからかなりうまくやれたということですか。

僕は、親の影響で小学校の1年か2年で音楽を聴き始めて、それで5年でギターを始めて、6年のときにはもうミュージシャンになりたいと思ってたんです。その熱量が他のメンバーにもどんどん伝染していって…。最初はもちろん曲なんて全然できなくて、中2くらいで初めてコピーをやって…。

ということは、「バンドをやろう」ということで始めて、コピーにたどり着くまでに2年くらいかかったということですか。

そうです。各々、技術もまだ足りてなかったし…。コピーを始めたのは中1ですね。それで、2年のときに文化祭に出て、そこで初めて人前で演奏しました。

寺本颯輝(Vo&Gt)

野球で培われたものかもしれないですけど、地道な練習を積み重ねられる人が集まってるんですね(笑)。

そうかもしれないですね(笑)。

オリジナルを作り始めるのはいつ頃ですか。

4人で作るようになるのはもっと後ですけど、僕が作り始めたのは中学2年の頃だったと思います。それで、3年の終わりに1曲だけオリジナルが完成して、高1で初めてライブハウスに出ました。そのライブハウスでやったときはオリジナルが3曲で、あと何曲かコピーをやったんですけど、その頃からミュージシャンになるんだという気持ちの部分でドラムだけちょっとズレ始めて、それでいまのドラムに代わるんです。

そこで新しく入ったいわたさんは、どういうところがいいなと思って誘ったんですか。

新しいドラムを探すときは、正直、誰でもいいという感じでした(笑)。いわたは同じ中学のひとつ歳上で、僕らが中2で文化祭に出たとき、中3で出てたんです。それで、ドラムを探すことになって、地元でドラムをやってるのは誰だ?と考えたときに、彼が浮かんだんですよ。最初は「サポートで」という感じだったんですけど、やっていくうちにみんな“すごい合うな”と感じてきて、それで「今日から、本メンバーで」みたいな話は一切なかったんですけど…。

フェイドインした感じですか。

そうですね。

そこには何もドラマはなかったんですか。

全然、ないです(笑)。逆に、それが奇蹟みたいな話で、たまたま近くにいた人間が自然にはまったっていう。しかも、ひとつ歳上ということもあるのかもしれないですけど、すごく冷静で、人間的な部分でもいい感じでマッチングして、このバンドに欠かせない存在になってますね。

いわたんばりん(Dr)

そうやってメンバーも固まって、今回初めてのミニアルバムを出すに至っているわけですが、ここまでの道のりを振り返ったときに寺本さんの気持ちがブレることはなかったですか。

いや、ないですね。ずっと一本道というか、挫折もまだしたことはないし。メンバーについても、前のドラムをやめさせたときは辛かったけど、でもすぐに新しいメンバーがみつかって、うまくはまったし。ライブハウスに出始めたときにも、2回目くらいでもうホームと呼べるようなライブハウスに出会えて、それから1年の間に大会にも出たりして、思い通りというか、自分のなかで描いていた計画通りに進んでいる感じです。

オリジナルを初めて作ったときは本当に無意識にできたという感じでした。作ってる途中のこともあまりよく憶えてなくて。

曲作りについて聞かせてください。寺本さんは小6でもうミュージシャンになると決めたわけですよね。でも、曲を作り始めるのは中2の頃ということは、それまでオリジナルを作るということには興味がなかったんですか。

いや、作ろうという気持ちはあったんですけど、うまくいかなかったんです。詞については、小6くらいから思いついたことをノートに書き留めたりしてたんですけど、でも自分の技術も追いついてなかったんで曲にはならなかったんですね。

兼本恵太朗(Gt)

オリジナルを作ろうと思いながら、なかなか出来上がらない時期に、“こういう音楽を作ろう”というふうに何かを参考にすることはなかったですか。

それはなかったですね。初めてできた曲はいまでもライブでやってるんですけど…。

それは何という曲ですか。

「innocent」という曲で、前のCDに入ってるんですけど、それはどのバンドの曲にも似てないと思うし、すごく純粋で繊細な曲ですね。曲が何曲かでき始めてからは他のバンドの曲も意識したんですけど、初めて作ったときは本当に無意識にできたという感じでした。作ってる途中のこともあまりよく憶えてなくて。

その最初の曲のように誰の曲にも似ていないということは、いまは意識することですか。

しますね。音楽に限らず、昔から人と同じようなことはあまりしたくないというか、人とは違うことをしたい性格なんですよ。

“何にも似てないものを”という気持ちが強かったから、なかなか出来上がらなかったのかもしれないですね。

ああ、そうかもしれないですね。何度か形になりそうなメロディはあったりしたんですけど、“これは全然、自分のものじゃない”と思って、それでなかなかできなかったんです。歌詞についても“これは、あのバンドに似てるな”と思ったら使わなくて、結局小学校のときに書き留めてたものはまったく使ってないですね。

逆に、最初に作った「innocent」という曲をいまも演奏しているということは、“自分のものだ”と感じたんだろうし、その感覚がいまもはっきりあるということですよね。

そうですね。innocentという言葉には「純粋な」とか「潔白な」という意味があるんですけど、その歌詞もそういうことをすごく意識して書いたし、その当時の初期衝動みたいなもの、何にも汚れていないような気持ちを忘れないために…。最初はそういう純粋な気持ちのことを書いたんですけど、ずっとやっていくなかでアレンジも少し変わって、歌詞も少し変わって、いまはその当時の気持ちを忘れないために、というニュアンスの歌になってますね。

いま曲を作るときに何か意識していることはありますか。

メロディと歌詞とでは、意識が全然違ってて、メロディについては自分たちの曲のなかに無いタイプの曲を作りたいという気持ちでやってますね。歌詞については、“ああいう歌詞を書きたい”とか、そういうことは意識しないで、自分の言葉で書くようにしてます。

出てくるものを書く、みたいな感じですか。

まさにそういう感じです。思いついたら、いつでもすぐにメモっておいて、それで曲を作るとなったときに出来上がったメロディに合う歌詞を選ぶんです。メロディと歌詞がいっしょに浮かぶときもあるんですけど。

そういうふうに、曲の骨格を寺本さんが作って、それをバンドで肉付けするというのがいまの作り方ですか。

そうですね。

岩崎圭汰(Ba)

アレンジを詰めていく際に、寺本さんからその方向性や曲のイメージを伝えたりするんですか。

多くは、全部自分で考えちゃうんです。最近はデモをかなりかっちり作って、それをみんなに聴かせて、それでみんながどう思うかですよね。そのまま通るときもあるし、誰かから意見が出て部分的に変えることもあるんですけど、でもどういう曲にしたいのかという核になるところは自分のなかではズラしたくなくて、実際これまでそこの部分を変えるようなことは一度もないですね。

楽曲が増えていくなかで、最初に聴かせたときのメンバーの反応やメンバーの受け取り方に何か変化を感じることはありますか。

ありますよ。最初の頃はなんでも「いいね」という感じだったんですけど、最近は「○○に似てるね」みたいなことを言われたりするし、最初に聴かせて3人の反応がいまイチだったら、そのままボツにしたりすることも出てきました。

反応がいまイチなときに、“なんだよ、コイツらわかってねえな”とは思わないんですか。

いや、そこで押し通したことはないです。まずメンバーを一番驚かせたいという気持ちはつねにありますから。

ただ、ギターとベースの二人に関しては、最初にバンドの音楽を聴かせたのも寺本さんだし、ある意味ではいまやっている音楽の土壌を植え付けた、みたいなことじゃないですか。

だから逆に面白いというか、自分とは全然違うベクトルで進んできてるし、成長の速度も違うし。「ここにソロつけて」と言ったときに、思ってたのとは全然違う感じのソロが出てくるのも面白いし。で、そういうのを聴いてると、成長のようすもわかるし、聴いてる音楽の幅がどんどん広がってるのもわかるんですよね。

僕らは間違いなく無名だから、灯の無いところから光を探すというテーマがふさわしいなと思ったんです。

なるほど。さて、今回の新作の話です。制作はどういうふうに進んだんですか。

当初は、初の全国流通盤になるから、ライブでずっとやってる自信のある曲を入れようという考え方だったんですけど、そこに「光を探している」という新曲ができて、そこから“光”をコンセプトに考えるようになっていって、それに沿って新曲がどんどんできていって、それでいっそうコンセプトがはっきりしてきて、そのなかで単なる“光”ではないというか、わかりやすい“光”ではなく、「干天の慈雨」で歌っているような、日照り続きのところに降る雨のような、そういう“光”を描いた歌を作りたいなという思いに変わっていったんです。そうすると、暗いところから見る光に関する歌ができていって、それで“こっちのほうがいいな、自分のイメージに合うな”と思ったんです。自分が出したいものを作っていくなかで気づいた、という感じです。

その気づいた内容、つまり「暗いところから見る光を描く」というテーマは、自分のなかにあったものだと思いますか。それとも、世の中にそういうテーマがあるなということに気づいた、という感じでしょうか。

僕は、自分の性格的に、単に前向きな歌というのは受け入れられなくて、だから歌詞も例えば「あなたを光で照らす」みたいなことではなくて、まず無いところから光を探すというような表現のほうがいいなと思ってしまうんです。性格がちょっとひねくれてるんですよね(笑)。ただ、僕らは間違いなく無名だから、灯の無いところから光を探すというテーマがふさわしいなと思ったんです。

その意識がテーマになっていることは僕も感じたんですが、もうひとつそれと並んで、「魔法が解けるまで」で歌われているような、何かを発信することで自分の大事な人とつながろうとする気持ちもテーマになっていますよね。

確かに、つながるという感覚は重要です。最初この音源では自分たちの新しい姿を見せるつもりだったから、「魔法が解けるまで」は入れるつもりはなかったんですけど、スタッフから入れることを提案されたんですよ。提案された当初は“コンセプトと違うんだけどなあ”と思ったんですけど、でも何度も歌詞を読み返したり、曲を聴き直したりしてみると、昔もいまも歌ってることは変わってないなと思ったんです。むしろ、最近ライブでやってる「魔法が解けるまで」は暗闇から見てるとか、そういう意識で歌ってるなあということに気づいて、それでどこも変えたりしないで昔のまま入れることにしました。

この曲に注目したいもうひとつの理由は、自分の声になにがしかの自負がないとこういう歌詞は書かないだろうなと思うんです。寺本さんは、声で人を助けるとか、声で人とつながるという気持ちがはっきりある人なんですよね。

自分の声が好きというようなことはないんですけど、でも“自分にとっての武器はこれだな”という意識はあるんですよね。「魔法が解けるまで」の歌詞はけっこうファンタジックなんですけど、でも僕にとってはじつはリアルな感覚でもあって、というのはステージに立ってる瞬間は魔法がかかったように無敵な気持ちでいるんだけど、ステージを下りたら僕はただの高校生で、ステージに向かって手を上げてくれてた人たちもステージを下りた僕に街で会っても気づかないし、名前も知らないだろうと思うんです。だから、魔法がかかってるステージに立ってる間は無敵でいるという覚悟を歌ってるというか、自分に向かって「無敵でいろ!」と歌ってる感じもあるんですよね。声を武器にして生きろ!と、自分を鼓舞しているようなニュアンスもいまではあると思います。

ライブについても聞かせてほしいんですが、いま寺本さんは、あるいはpostmanは、ライブに臨むにあたって意識していることはありますか。

まずバンド4人で鳴らすものだし、お客さんは僕らのライブは初めての人もいるし、いつも来てくれる人もいるし、そういうなかで自分はどうしたらいいのかわからなくなった時期があって、でもいろんなライブハウスでいろんな人に出会ったり話をしたりするなかで、去年の終わりくらいに“自分は寄り添う歌を歌いたいんだな”ということに気がついたんです。名古屋にも音楽であなたを救うとか守るとか、そういうことを言ってるバンドがけっこういるんですが、自分はどうにも一方的に救うとか、そういうことは言えなくて…。ただ、どんな状況でも寄り添える歌を歌いたいなと思うんです。だから、ライブを終わった後、お客さんが家に帰っても寄り添えるような歌をライブでは歌いたいなと思っています。

ところで、今回のリリースは小6で決心したミュージシャンへの道の第一歩という感じだと思いますが、決心した時点からこのリリースまでのスピード感について自分ではどういうふうに評価していますか。

計画通りですね。10代のうちに全国流通盤を出したいと思ってたんですが、ギリ叶いましたから。

では、1年後にはどうなっていたいですか。

もっとライブ・バンドになっていたいですね。CDを全国に置いてもらって、全国をまわる土台はできていくと思うんです。次は、実際に各地に出かけていって、寄り添える歌を届けるバンドになっていたいですね。

ライブ情報

~postman 1st Mini Album “干天の慈雨” Release Tour~
『東名阪で光を探すツアー』

4月13日(金) 東京 下北沢 MOSAiC
w/ユレニワ、おやすみアトム、été、RABUTORA

4月20日(金) 大阪 福島 LIVE SQUARE 2nd LINE
w/the equal lights、TRiFOLiUM+1 BAND

4月27日(金) 愛知 名古屋 APOLLO BASE
w/スロウハイツと太陽、T/ssue

postman

寺本颯輝(Vo&Gt)、兼本恵太朗(Gt)、岩崎圭汰(Ba)、いわたんばりん(Dr)。
平均年齢19歳の4ピースバンド。名古屋を拠点とし、「届ける」をコンセプトに活動中。
2010年 寺本 (Vo.Gt)を中心に愛知県の少年野球チームの友人と前身バンドを結成。14年8月、いわたんばりん(Dr)が加入し、バンド名を「postman」と改め、名古屋を拠点にライブ活動を始める。15年、初の音源「夏の声.ep」を発売(現在廃盤)。16年3月、自主制作音源『青い魔法 .ep』を発売。同年8月、10代アーティスト限定フェス”未確認フェスティバル2016”のファイナリストとして、新木場STUDIO COASTにてライブを行う。17年3月、自主制作音源『月前の夢 .ep』を発売。

オフィシャルサイトhttps://postman.amebaownd.com/