【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 66

Column

尾崎豊 「卒業」において、尾崎はピンボ-ル・マシンを揺らしたのだろうか?

尾崎豊 「卒業」において、尾崎はピンボ-ル・マシンを揺らしたのだろうか?

さて今週は「卒業」だが、この歌がリリースされたのは1985年の1月21日である。マーケティング的には“卒業シーズン”狙いでもあったろうが、スマッシュ・ヒットという結果は、本人もスタッフも、予想以上の成果だったようだ。と、いうわけで、ここでさっそく♪テンケテンケェ〜と、この曲のイントロが流れ出すのが順当だろうが、実はぼくの頭の中に、さらに二つの楽曲が鳴っている。菊池桃子の「卒業」と、斉藤由貴の「卒業」である。これらの楽曲がリリースされたのは、尾崎の翌月であった。

菊池の歌は、何年か経ち、あの頃を想い出しているシチュエーションである。サンテクジュベリの本をプレゼントされたと思ったら、相手が1行おきに“好きだよ”と書いていた、なんてエピードも盛り込まれている(おいおい、そんな暇あったら勉強しろよー)。

斉藤の場合、相手の男子はボタンせがまれるモテ男。でも実は、私と両思い(ふふふ)。ところが卒業しちゃうと物理的にも精神的にも如何ともしがたい距離が生まれることへの哀れを歌う。1985年の早春。尾崎の「卒業」は、これらのほかの卒業ソングと競合しながら世間に流れていたわけである。

ここでやっと、尾崎のイントロが鳴る。♪タンカタンカ〜とハチロクのロッカバラード調だ(さっきは♪テンケテンケェ〜だったじゃないかと抗議したあなた。あなたの注意力は優秀である)。この歌は、全般的に堂々した雰囲気だ。

ただ、冒頭部分はちょっとハイソである。[芝生の上][すいこまれる空]というのは、整備が行き届いた快適な学舎でのキャンパス・ライフを想像させる。そのあとの[幻とリアル]は、いたって正常な脳の状態。ところがそこに侵入してくるのが[チャイム]であり、尾崎が教室に着席するのは、条件反射のようなものである。

授業が始まると「抑圧」を感じ、でも、それがあるからこそ己は成り立っているのかもしれないという矛盾に苛まれる。

以下、「抑圧」からの解放がこの歌のテーマだ(歌詞では“支配”という表現を使っているけど)。でもこれ、一筋縄ではいかない問題なのである。皆さん、辞書で「抑圧」の対義語を調べてみてください。たくさん載っているでしょ? つまり、「抑圧」から解放されれば一直線で「自由」にありつけるかというと、そんなに甘いものではない。尾崎が「卒業」の最後で歌っている[あと何度自分自身 卒業すれば]という言葉は、だからこそ、胸に刺さるのである。

やがて放課後となり街へ仲間と繰り出した尾崎が興じるのは[ピンボール]だ。いまの若い方達は馴染みがないだろうが、例えば村上春樹の初期の小説に『1973年のピンボール』があり、あれが出版されたのは1980年だった。尾崎にとって、ピンボールはちょっと“お兄さん”なゲームだったのだろう(カフェバーのような、お酒を供する店に置かれていた)。

ここで気になるのは、尾崎の遊び方だ。ピンボールというのは、普通にフリッパーをパタパタやりつつ、大人しくプレイすることも出来たが、台を揺することでボールを操作し、さらに高得点を狙う作戦もあった。やり慣れている人は、ほぼ、揺すった。尾崎はどうだったのだろう。そのまま大人しくやってたのか、揺すったか? たぶん、揺すった。自分も経験あるが、「揺する」という行為は、ちょっとイケナイことしてる感覚であり、それが快感だった。でも、ゲームだから許されるわけで、実社会に出て、職場で上司や顧客を“揺する”ことは許されない。みんな、つまりここで学ぶのだ。

「卒業」という歌はさらに進み、愛についての考察となる。でもこの部分は、卒業ソングの領域を遥かに超えている。[人を愛するまっすぐさ]を信じたいとは思いつつ、[生きる為に計算高く]という現実も彼の視野の中にある。そこで悩むが、なにもこれ、年齢に関係なく、例えば“家庭を持つ”といった人生の大イベントに差し掛かった人も、直面することだろう。個人的にはこの歌のこの部分が大好きだ。

 あまりにも有名な[夜の校舎 窓ガラス壊して]に関しては、個人的な意見としては、ちょっと歌の流れとしては唐突に思う。この主人公は“キレる”タイプじゃなく、思慮深いところも大いにある。もしやこれは尾崎のサービス精神だったかも。歌がサビへと差し掛かり、その高揚感が、これらの語句を綴らせた、とも考えられるからだ。そもそも窓ガラスを壊されて迷惑するのは、なにより同じ抑圧された同胞たる下級生達なのである。

と、ちょっと批判的めいた書き方をしつつ、でも「あくまでこれは歌なのだ」という立場で言えば、聴いててアドレナリンが増加し、スカッとするのがここである。なので困ってしまう。このスカッとは、政治的なプロテスト・ソング全般を聴いたときに降りてくる、猛々しい気分にも近い。

この歌を聴き、 took him at his word、そう、真に受ける人達がいることが問題であると言われた。しかし、「あくまでこれは歌なのだ」という前提で、歌詞表現の自由を守っていくしかない。

今回、久しぶりにフルで「卒業」を聴いてみた。これは彼の歌作りの特徴でもあるが、後半盛り上がって畳み掛けるようになっていき、特に[先生あなたは]のとこなどはメロディが消失し、演説調だったりもする。それでも破綻しないで最後は厳かなほどのまとまりをもって歌を終わらせるあたりの構成力は、まさに唯一無二と言える。

なお、この曲が12インチのレコードで出た時、カップリングとして収録されたのは「Scrambling Rock’n’Roll」である。まだ外国人観光客が注目してなかった頃の渋谷スクランブル交差点が舞台の歌だ。この曲にはKenji Jammerこと、天才ギタリスト鈴木賢司が参加している。あの頃、尾崎と彼は友情で結ばれていた。なんかそんなことを、ふと、想い出した。

文 / 小貫信昭

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