Interview

秘密を開示し合って、相手を少しずつ変えていくのが性の醍醐味。「娼年シリーズ」最終章! 石田衣良『爽年』

秘密を開示し合って、相手を少しずつ変えていくのが性の醍醐味。「娼年シリーズ」最終章! 石田衣良『爽年』

娼夫となった大学生・リョウを通して性の極限を描いた石田衣良の恋愛小説『娼年』。2016年に松坂桃李主演・三浦大輔演出で舞台化され、セックスを真っ向から描いた挑戦的な内容で話題をさらった本作が、この度、松坂と三浦の再タッグで映画化された。松坂が「7、8年分の濡れ場をやった感じ」、三浦が「性描写に関しては一切妥協しない」とコメントするなど、映画『娼年』は大きな関心を集めている。

そんな中、上梓された『爽年』は、『娼年』、『逝年』に次ぐ『娼年』3部作の完結編となる一作だ。オーナー・御堂静香という大切な人との永遠の別れから7年、彼女の遺志を受け継いで「クラブ・パッション」のマネージャーとなったリョウは、30歳を目前に、人生の岐路に立たされていた――。

約10年ぶりに『娼年』の世界を描くことになった石田は、社会の中での性の地位の低下を痛感したという。「性的に充たされていない。日本の不幸はそこにある」そんな石田の思いは、『爽年』にも切実に投影されていた。

取材・文 / 四戸咲子 撮影 / 宇壽山貴久子

「これ、お話終わってないですよね?」
新聞記者の一言から『娼年』の続編が生まれた

©石田衣良/集英社

『爽年』は、『娼年』、『逝年』という3部作の完結編となります。『娼年』がもう17年も前の作品だということに驚きました。どんな経緯でこのシリーズが生まれたのか、改めてお聞きしたいのですが……。

僕も若かったですよねぇ(笑)。当時、デビュー作の『池袋ウエストゲートパーク』がヒットして、ドラマ化もされて、知名度が上がってきた。そんなときに集英社さんから「何でも書いていい」という話をいただいて、僕はベッドシーンを描くと筆が乗るので、「じゃあ、全編ベッドシーンの話を作りましょう」という感じで、『娼年』が始まったんです。最初はベッドシーンが書ければいいなと思っていたんですが、書いているうちに青春小説みたいになってきちゃったんです。ある大学生が、女性との性的な経験を通して、人間的にどんどん成長していく話に、気がついたらなっていた、という感じです。

主人公のリョウ(森中領)が、娼夫としても男としても、作品の中で自然と成長していった、と。もともとは、もう少しエンターテインメント性があるものとして書き始めたんですか?

いえ、そのときには全く考えてないです。僕は基本的に、読者のことを全く考えないほうなので(笑)。好きなものを書いて、読みたい人は読んでください、みたいな感じなんですよね。だから、そういう意味では、『娼年』は本当に自然発生的な一作ですね。書いていると楽しかったですし、連載も3カ月ぐらいで終わったので、当時は「あぁ~気持ちいい。いい本だった」くらいの感じでした。

それが、石田さんの初めての「直木賞」候補作にもなりました。

「道楽の本だから評価されないよな」って思っていたので、「こういうのをちゃんと読んでくれる人もいるし、評価する人もいるんだな」ってビックリしましたね。直木賞の選考委員の評判もすごく良かったんですよ。「この人は間違いなく、次か、その次で取る」みたいなことばかり書いてあったので、「そうか、直木賞チョロいじゃん」なんて思った覚えがあります(笑)。でも、候補作に入ったことで『逝年』の話が出てくるんです。僕は『娼年』は完結したと思っていたんですが、直木賞の事前インタビューに来た朝日新聞の記者の方に、いきなり「これ、お話終わってないですよね?」と言われて。なぜかと聞いたら、最後に「クラブ・パッション」を非合法だと告発したメグミが、あのままでは終わらないだろう、と。女の子はああいうことをしても、その後でまた成長するものだ、というようなことを言われて、なるほどと思って『逝年』が生まれたんです。

『逝年』ではメグミも含めて、リョウや同じく娼夫のアズマ、クラブのオーナー・御堂静香たち、それぞれのキャラクターのその後もしっかりと描かれていますね。

そうですね。そして、病気を患っていた静香が、リョウという後継者を見つけ、バトンタッチする形で自らの苦痛に満ちた生を終わらせる、という感じで物語は終わったし、僕も今度こそ『逝年』で終わりだと思っていたんですが……。

ここに来て、何か石田さんを再び『娼年』の世界に導く、きっかけがあった。

そうなんですよ。もともと『娼年』に関してはコンスタントに売れていて、ここから僕の作品に入ってくれる読者もすごく多かったですし、舞台化もされ、映画化も決まって……。舞台が終わったとき、映画は来年の春に公開だから、それまでに続きが書けるかな、と思って『爽年』を書くことにしたんです。だから本当にいい出会いと、いい偶然に恵まれて、この3部作が生まれたんですね。なかなかないことだと思います。

©⽯⽥衣良/集英社 2017映画『娼年』製作委員会

性の“充たされなさ”を抱える人々
日本の不幸はそこにある

『逝年』の刊行からは10年近く年月が経っていましたが、すぐに書き始められたのでしょうか。

やっぱり入りにくかったですね。僕がどうというよりは、社会の中での性の地位が、ぐんぐん落ちて、領土が小さくなっちゃったから。今から30年ぐらい前で考えたら、セックスや恋愛を書く小説家って、大きなテーブル全体の3割ぐらいはいたんですよ。でも今はもう、この袋(スティックシュガー)ぐらいの大きさじゃないかな。

えっ、そんなに少ないんですか! 

女性作家はいるけど、男性作家ではほとんどいないですよ。さらにその中で、ポルノグラフィじゃなく、大人の小説として“エロス”を書く、ということになるとそのぐらいだと思います。

この『娼年』シリーズを読んで、モチーフである性描写は生々しく、ときにはハードでマニアックな部分も多いのに、その表現はとてもすがすがしく、美しいと感じました。

たぶん僕の癖というか文体なんでしょうけど、どんな下品なことを書いても下品にならない(笑)。不思議ですけれど。僕自身が性的にエキサイトして書いているわけじゃないというのもありますし、作品として、版画だったり絵だったりを細かい線で描くような感覚なんですよね。でも実際に、セックスというものも、すごく綺麗なものだと思いますけどね。今は社会が、これは良くないこと、あるいは公の場では扱えないことだと言って、どんどんクローゼットの中に押し込んでいくじゃないですか。でもそのクローゼットの中に入っているものも、実は綺麗なんだよというのは言いたいですよね。

そんな状況の中、設定を『逝年』の7年後として連載がスタートします。リョウは29歳になり、男として一つの岐路に立つ。完結編を書くにあたり、一番の軸はどんなものにしようと思ったんですか?

この物語をたたむにあたり、リョウくんをプレイングマネージャーにするしかないな、ということでしたね。もうずいぶん長く仕事をしてきているし。彼を、実際に行為をする人であり、社会を観察する人でもあるという二重構造にするのが大事でした。そうすることで、より性の在り方の多様性みたいなものも表現できるんじゃないかなと。

最初は作品に入りづらかったとおっしゃいましたが、いざ書き進めてみて、いかがでしたか?

見えてきたのは、やっぱり「現代の性ってすごく難しいんだな」ということでしたね。性の不可能性というか、“充たされなさ”の形が半端じゃなく厳しくなっている。小説って現実の世界より一歩進んだもの、尖ったものを書くものなので、はてしなく「今は性の充たされなさという意味では、本当に厳しい人がいるんだ」っていうのを自分で確認しながら書くことになりました。

それは、性の在り方に対しての絶望感や悲壮感のような?

というよりは、時代の流れ全体がそうなってしまったんだなと。もう止めようのない流れ、滝壺みたいな感じですかね。『娼年』が出たのは20年ぐらい前ですが、その頃、夫婦やカップル同士でのセックスレスみたいなことは、ほとんど話題になっていなかった。そこまで性のポテンシャルが落ちていなかったから。それが今ではレスが当たり前で、そうではない人がよくやるね、みたいになっちゃっていますからね。ちょっと日本、おかしいな、どうしちゃったんだろう、というのは感じますね。少子化も激しくなっていますし。好きな人と、もっとちゃんとセックスすればいいのにって。日本の不幸はそこにあるんだと思うんですよ。社会的に、失業率が高いわけでもないし、食べ物にも困っているわけでもないじゃないですか。

本作にも書いてらっしゃいましたね。「この国に住む人たちの不幸の半分は充たされない性だ」と。

いまだに日本人は、性的にすごく抑圧されている中で生きているなと思いますね。自分の欲望を表現できない。特に女性は、男性に求められて応じる形でしか生きていない、というか。でも男性も、密かに待ってはいるんですよ。女性からそういうサインをちゃんと送ってくれるのを。やっぱりお互いに充たされていないんだと思います。

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