【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 68

Column

尾崎豊が生んだ、J-POP“十大名曲”のひとつ、「Forget-me-not」 

尾崎豊が生んだ、J-POP“十大名曲”のひとつ、「Forget-me-not」 

これは80年代中頃のお話である。改正公職選挙法が成立し、18歳から投票できるようになった今とは、やや感覚が違うかもしれない。しかし当時は、尾崎にとってもスタッフにとっても、ティーンであることは、特別なことだったようだ。

そして、1965年11月29日生まれの彼が、十代最後の日である1985年11月28日にリリースしたのが、3枚目のアルバム『壊れた扉から』だった。

このアルバム・タイトルを知った時、僕は“おやっ”と思った。というのも、“壊れた扉”という表現が、腑に落ちなかったからだ。壊れているなら、もはやそれは扉の役目を果たさない気がした。“閉ざされた扉から”なら、そのまま(閉塞感なりを)受取ったのだろうが…。もちろん、成人を目前にした尾崎の、複雑な想いが込められていたのだろう。これは閉塞感ではなく、なにか、形骸化したものを指し示す、とも思う。例えば反抗。でも、突き上げたコブシの中身がからっぽだとしたら…。ティーンであったから許されただけのことだったとしたら…。それらはまさに“壊れた扉”というイメージのなかのものなのかもしれない。

さて、1985年11月28日という発売日は、当初から決めていたようであり、レコーディングは終盤、バタバタになった。しかしこういう時こそ、音楽の神様が微笑む(具体的には後述する)。

ちなみに、その少し前から全国ツアーがスタートしているが、タイトルはズバリ、“LAST TEENAGE APPEARANCE”である。訳すなら、“十代最後のオザキ参上!”、といったところだろうか。僕はこのツアー、代々木のオリンピック・プールで観た。

アルバム『壊れた扉から』は、聴きやすいポップな内容ともいえた。もともと“メロディ・メーカー”であった彼の、真骨頂を感じる。久しぶりに聴いたけど、「失くした1/2」なんて、ホントにホントにいい曲だ。さらに思ったが、「彼」のアレンジは、モロにマイケル・ジャクソンではないか。ちなみにマイケルの「スリラー」は、1983年のヒットである。

この曲は、彼と彼のツアー・バンドであるHeart of Klaxonがアレンジしている。このアルバムは西本明が5曲、残りは尾崎たちが手掛けている。これはもちろん、アルバム作りとツアーが、より緊密な関係となったことを意味する。バンドと一体となった作品作りは、アッパーなロックンロールにおいて、よい成果をもたらしたようだ。

「Freeze Moon」、「Driving All Night」といった曲である。

彼の作品は常套手段に絡め取られないところが痛快なのだけど、後半、語りの部分がある「ドーナツ・ショップ」は、気品すら感じる出来映えだ。閉じた瞼ごしに夕日の温かみを感じるかのような、繊細な描写が素敵なのである。

ただ、その後の尾崎作品が“ムズカシ風”の歌詞になっていくことを思えば、この歌のなかで「観念」という言葉を使っているのが気になるのだが…。

そしてそして、このアルバムには彼の大傑作が収録されている。「Forget-me-not」だ。僕は長い間、J-POPというものを聴き、取材を続けてきたが、こんなにグッとくる歌とはそうそう出会えない。

歌にはサビと呼ばれる、曲の構成上、もっとも印象に残るハズのパートがある。この「Forget-me-not」は、ぐわぁ〜っと感情が満ちて満ちて迸るかのように頂点を達し、しかしその次の瞬間、シュッと様々なものがコンパクトに収斂しつつ、呟くように尾崎が、“♪ワス〜レナ〜グサ〜”と呟くように歌う、その瞬間こそが白眉なのである。この花はもともとドイツ語で“私を忘れないで”という名で、それがそのまま“forget-me-not”と訳され英名となり、日本ではまたまた情感溢れる“勿忘草”という文字が充てられている。

残されたエピソードによると、レコーディングの最後の最後、まさにギリギリで歌詞が完成し、スタジオにふらりとやってきた尾崎が、そのまま歌入れしたのがこの作品だったとか。音楽の神様、その時、当時のソニーのスタジオに降臨、だったのである。

こんだけ絶賛しつつあれだけど、ワン・テイクでOKとなったこのボーカルのテイクは、まさにエモーショナルな魅力に溢れているものの、改めて冷静に聞くと、荒削りでもある(後半、つい歌い淀んだ、みたいな部分もそのままイキになってる)。この作品がいかに“美メロ”かを知るには、槇原敬之が 『”BLUE” A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』で披露したカバー・ヴァージョンもぜひ聴いてみて欲しい。

冒頭でも書いたが、これは尾崎の十代最後のアルバムであり、ティーンだった彼の三部作が、ここに完結している。ここから先はイバラの道である。僕自身、彼の取材をコンスタントに続けていたのはここまでだった。しかしもちろん、まだまだ尾崎のことを書き続けたい。

ところで当コラムのために、いろいろと彼に関するものを読んでいて、興味深いものを発見した。尾崎はどのように歌を作っていたのか? それを知る手掛かりとなる散文詩を見つけたのだ。熱心なファンには有名な一編なのかもしれないが、自ら撮影した写真とともに構成した、『白紙の散乱』(角川書店)の中の、「食べかけのメロディー」だ。この本が出版されたのは1992年である。こんな始まり方をする。

「思い浮かべたもの全てを口ずさんで街を歩く」
 
この場合、彼が一人っきりで歩く時のことらしい。すると空想が、「雑踏に生まれては消えてゆく」。これは自身にとって、心地良いことのようであり、しかしそのなかに輝きを見つけ出せない時は、「もう一度、口ずさんでみる」。まさにこれぞ、“作曲中”の姿なのではなかろうか? 常日頃、胸に去来するものを口ずさんでみる。そのなかに、閃光のごとく通り過ぎるだけじゃなく、残しておこうと思う印象的なものが現われる。ノートなりに書き留めておく…。いずれにしても、彼の作品の多くは、そんなふうに彼に舞い降りたものだったのではなかろうか。

次に尾崎がアルバムをリリースするのは1988年のことである。次までの、この3年間は長かった。

文 / 小貫信昭

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