【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 69

Column

尾崎豊 様々なクリエーターに刺激を送り続けた証拠でもあるミュージック・ビデオ集

尾崎豊 様々なクリエーターに刺激を送り続けた証拠でもあるミュージック・ビデオ集

1992年の4月25日。尾崎豊は天国へ旅だった。あの日、自分が何をしていたのかを、今もハッキリ覚えてる人も、読んでくれているかもしれない。僕はある人のライブを観るため武道館へ行き、開演前、関係者受付の辺りで、人伝に聞いた。ここからズラズラと、当時の想い出に浸りまくる…、というのも可能だが、やめておく。我々は、もはや“少数派”だからである。

延べ人数で言えば、1992年4月25日以降に尾崎を好きになった人々のほうが、たぶん、多いだろう。ただでさえ我々は、尾崎のことを忘れてしまっていたりもする。

もし、後から好きになった人のなかに渇望があるとするなら、“生身”の尾崎に接した経験がないことかもしれない。しかし、当時を知る人間のひとりである僕にしても、“生身”の彼を知ってるかといったら、自信がない。十代のうちに、大きな虚像を引き連れざるを得なかった尾崎。その苦悩は、いくばくのものだったのか…。

さて、2日前の4月25日の話だ。ミュージック・ビデオの『10 Pieces Of Story』がリリースされた。1986年に発売されたクリップ集『6 Pieces Of Story』に、「核」「太陽の破片(NEW VERSION)」「僕が僕であるために」「I LOVE YOU(NEW VIDEO CLIP)」を加えた10曲入りである。未公開だった1984年12月の秋田市文化会館公演のリハーサル映像も収められていて、未公開写真含む40ペ−ジのフォトブックもつく。

“未公開写真”とは、どんな立ち位置のものだろう。当時、“キマってる”と感じられたものが選ばれ公開されたなら、それ以外の未公開は“素”に近い表情のものかもしれない。そんな興味で眺めるのもいいだろう。

今回、とても貴重なのは、秋田でのリハーサルの模様である。12分ほどの長さがあり、リハなので中断する箇所はあるものの、「僕が僕であるために」を歌う尾崎の姿がたっぷり映されている。

リズム隊の音をよく聴き、頭を動かし歌い始め、途中、「ボーカル・マイクをもうちょっと上げると、ハウっちゃうんですか?」などと、まわりのスタッフに丁寧な口調で問い掛ける。そんな、準備に怠りない真摯な姿が眩しい。12弦ギターを弾きつつ、リハとはいえ、歌い出すと、もう圧倒的に歌が上手い。

尾崎のボーカルの特徴のひとつは、(これは意図的なのか)気持ち良い濁りというか別の倍音というか、それが歌声に、部分的に加味されるあたりであり、さぁ、いってらっしゃい、みたいな、単純なシャウト唱法ではない。観ているうちに、そんなことも読み取れそうな、実に興味深いボーナス・トラック映像である。

本編だが、当然ながら、すでに観たことがあるものが多い。改めて思ったのは、尾崎豊は周囲に対して、“触媒”だったということだ。彼の存在が様々なクリエーターに刺激を送り続けた証拠が、こうしたビデオなのだろう。

冒頭に収められた「十七歳の地図」における蜜蜂や蝶々の映像のサンプリングは、楽曲の補足説明とかではなく、この歌に触発された、まったく新たなイメージの創造となっている。蜜蜂や蝶々がその習性により行動範囲を決め、それを“地図”と解釈するなら、歌との関連も想像できるが、それはちょっと深読みにし過ぎだろう。 

「卒業」のビデオも、歌の内容とは直接関係ない。影絵のように尾崎の横顔を切り取ったオープニングは、有名なミルトン・グレイザーの「Dylan」のイラストを思わせたりする。水の中でもがく、そんな彼の姿は、何を訴えているのだろうか? 支配から自由になろうとする姿と捉えるなら、歌に添った演出と言えるだろう。

でも全体の印象から述べるなら、この曲のヒットから始まった尾崎の“人気アーティスト”としてのキャリアが、大衆に阿(おも)ねることから生まれたものじゃなかったことを、この、いい意味で大いに“やらかしちゃってる”ミュージック・ビデオが語りかけてくる。

まだまだある。ペンキを浴びせかけられる「Freeze Moon」では、イヴ・クラインやジャクソン・ポロックなど、前衛芸術からの影響も伺える。しかしこれ、撮影のあとの原状回復が大変だったろう。インディーズのアーティストだって、ここまで振り切ったことはやらなかったと思う。それを当時、大メジャーのアーティストがやっているのが痛快だ。

ここからは、彼の歩みに戻りたい。1986年1月にツアーを終えた尾崎は、しばらく活動を休止し、ニューヨークへ渡る。その間、彼が不在のまま、ツアー・ドキュメンタリーのフィルム・コンサートというのが夏に行われる。会場はちゃんとしたホールであり、全国100か所で熱狂的に受け入れられたという(僕はこのフィルム・コンサート、観てないです、すみません)。でも“不在”というのも作用して、彼のカリスマ性が肥大していったというのは想像に容易い。

1988年の9月1日に、4枚目のオリジナル・アルバム『街路樹』を発売するまでには、公私ともに、様々な出来事があった。興味ある方は、各自、自分で辿り着いて欲しいが、事実もゴシップも、組んずほぐれつの情報が、そこには溢れている。

最後に唐突なようだが、エリザベス・スウェイドスの『音楽して生きたい!』(白揚社)という本のなかの、この言葉を引用したい。

ほとんどの成功は偶然であり、めったに起こらない出来事のまれにみる同時発生だという前提のうえに事を運ぶほうが身のためだ、とわたしは思う。(278ページ)

まさに唐突なこの引用。でも誤解しないで欲しい。尾崎の成功は偶然じゃない。特筆すべき楽曲を残したし、ボーカリストとしての歌唱表現力も一流である。

次回は『街路樹』というアルバムを、じっくり聴き込んでみることにしよう。

文 / 小貫信昭

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