佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 42

Column

生きることが詩である。愛することが詩である。戦うことが詩である。

生きることが詩である。愛することが詩である。戦うことが詩である。

探し求めていた2冊の本をようやく手に入れた。
発行年月日は上巻が1975年11月、下巻が1977年2月とやや離れている。
もう40年以上も前の本だが、上巻のページを開くと最初にこんな詩が目に入ってきた。

「君の唇に色あせぬ言葉を」
 詩 阿久悠
お元気ですか
俺は失語症になりそうだと
嘆いていた君に
言葉は戻りそうですか
今君が
新しい年を見つめながら
唇を開こうとしているのか
それとも
なお固く閉ざそうとしているのか
それを知りたいと思うのです
何年ぐらい前でしょうか
君は
言葉が見えて空(むな)しくなるといい
言葉が届く前に色あせるといい
段々しゃべることに
辛(つら)さを感じるといい
我々の前から姿を消してしまったが
そろそろ
君の唇に色あせる言葉を
そうなることを願っているのです

阿久悠が毎週土曜日発行のスポーツニッポン紙上で、「阿久悠の実践的作詞講座」を始めたのは1974年6月のことだった。
その連載は1976年5月まで2年間にわたって続き、後に上下巻の単行本として書籍化された。

内容はプロの歌手に歌ってもらうことを想定し、一般読者が応募した歌詞を阿久悠が指導することで、作品に仕上げていくというものだった。

対象になったのは当時のトップスターたちばかりで、まず越路吹雪からスタートして、都はるみ、内山田洋とクール・ファイブ、菅原洋一、にしきのあきら、藤圭子、研ナオコ、野坂昭如、三善英史、青江三奈、三橋美智也、美空ひばりと、アマチュアが応募する企画としては考えられないような一流歌手、もしくは個性的な歌手を対象に展開した。

毎回、全国から送られてきた歌詞は約1万5000篇にものぼったという。
この講座を企画したスポーツニッポンの音楽記者、小西良太郎がこう述べていた。

一万五千人もの熱意を、誘発し、育てたのはもちろん、阿久悠氏だと思います。毎回の原稿は、テーマにした歌手の魅力や将来を、分析し、解説し、応募者を挑発し、新しい歌づくりの的をしぼっていきました。その中で氏は、ヒットメーカーのノウ・ハウを惜しげもなくさらけ出し、その誠意も、応募者の心を打ったようです。

冒頭の「君の唇に色あせぬ言葉を」という詩は、連載から半年が過ぎた1975年1月1日のスポーツニッポン新聞に掲載されたものの前半部分だ。
後半は以下のように続いていくのだが、その行間にひそむ情熱とボルテージの高さは、阿久悠ならではの誠実さに支えられていたことがわかった。

さらには参加している読者に寄りそいながら、一緒になって何かを生み出していこうとする姿勢、創作における真摯な態度にも驚かされる。

君の唇に言葉がよみがえらせるために
酒が必要なら一緒に飲もう
旅が必要なら一緒に旅しよう
愛が必要なら
その行方を一緒に探してもいい
だまることは
世界を閉ざすことであり
今世界を閉ざすことは
二度とこの世界に戻らぬことであり
だから君にはしゃべってほしいのです
何でもいいのです
つらいでも
悲しいでも
腹が立つでも
楽しいといってくれたら
こんなにうれしいことはないが
何でもいいから今年はしゃべってほしい
ほしいのです
君の唇に色あせぬ言葉を

この連載が進んでいくにつれて、実際にいくつもの作品が想定した歌手によって、レコーディングされて発売になっている。
そのなかから「第3講 内山田洋とクール・ファイブ篇」で選ばれた「北ホテル」が、1975年の春に最初のヒット曲となった。

そして1976年の4月から5月にかけての最終回、阿久悠は「第十二講 美空ひばり篇」で自らも読者とともに、毎週のように歌詞を書き下ろして公開した。
それらの中には、後に代表作となる「舟唄」もあった。

連載が終了した翌週、阿久悠は「講座を終わって」という文章を寄稿している。

新聞連載が終わって一日が過ぎた。小説家が大長編小説を書き上げたのとは又違う感慨のようなものを抱いている。積み重ね積み重ね一つの大きなものを完成させたというのではなく、数限りない戦いが今、終わったような気がしている。
目の前に積み上げた産物はない。やや疲労し、やや興奮したぼくが立っているだけで、その傷や成果は裸になってみなければわからない。
しかし、この二年間、よくもまあ、くたばらずに戦いつづけたという満足感はある。
きっと、僕が一番得をしたのだろう。

確かに2冊の本を通して読んでも、数限りない戦いの成果や産物はほとんど見えてこないし、その分だけ孤軍奮闘している阿久悠の疲労感が伝わってくるのは事実だ。

だが講座のなかで阿久悠が都はるみに関して「新しい衣装を探そう」と提案したアイデアを元に、1年後に「北の宿から」が誕生したことを見ても、大きな成果はあったといえる。

また美空ひばりのために書かれた「舟唄」は人と人との縁で1年後、作曲家の浜圭介が歌として完成させている。

それを八代亜紀が歌うことになるのは、そこからさらに1年後のことになる。
そして小西良太郎は新聞記者にもかかわらず、それをプロデュースして世に出していくのである。

そこから半年かかってようやくヒットの兆しが見えたとき、阿久悠は折しも休筆宣言したところだった。
だが作詞の仕事を休んでいた時期に「舟唄」が大ヒットしたことによって、阿久悠は休筆から復帰して「雨の慕情」を八代亜紀に書いた。

それがまたしても大ヒットし、そのことによって尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、都はるみの「北の宿から」、沢田研二の「勝手にしやがれ」、ピンク・レディーの「UFO」に続いて、阿久悠に5度目の日本レコード大賞をもたらした。

歌をめぐる物語は、実に奥が深い。

ところで「実践的作詞講座」のなかで、阿久悠はこんな文章も公開している。
シンプルでストレート、胸のすく思いがする。

「誰もが詩人である」
誰もが詩人である。
時の流れの中でふり向き、季節の変わり目で立ちどまり、人の心の内に愛をたずねる詩人である。
人間が好きな人なら詩がかける。愛も、恋も、嘆きも、孤独も、怒りも、生き死にも、人間が好きなことに根ざしたものならば、全て詩である。
生きることが詩である。愛することが詩である。戦うことが詩である。
ぼくは、ぼく自身が、生きて想うことが凡て詩であると思っているし、その意味で詩人であると思っている。

阿久 悠氏の関わる楽曲一覧

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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