Interview

小袋成彬 宇多田ヒカルとタッグを組んで完成させたデビューアルバムと表現者のDNAを解読する

小袋成彬 宇多田ヒカルとタッグを組んで完成させたデビューアルバムと表現者のDNAを解読する

2016年にリリースされた宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』収録曲「ともだちwith 小袋成彬」にゲストボーカルとして参加し話題となった小袋成彬が、宇多田ヒカル・プロデュースのもと意欲作『分離派の夏』でメジャーデビューを果たした。唯一無二の歌声、オリジナリティ溢れるサウンドメーク、そして深みのある文芸作品を彷彿させる歌詞。そんな彼が創造する作品をいち早くキャッチし、デビュー前から絶大な評価を送っていた音楽プロデューサー、佐藤剛氏(本サイトにてコラム「会った、聴いた、読んだ」好評連載中)が対談形式でインタビュー。小袋成彬の本質に迫る。

取材・文・構成 / 佐藤剛 撮影 / 荻原大志

日本の音楽シーンに新たな時代の到来

アルバム『分離派の夏』を聴いたのは今年の1月10日過ぎぐらいで、「Daydreamingin Guam」がまだ仮タイトルだった段階の音源でした。それを聴いて、びっくりしたというか、「新しい時代が来た、これで!」と思った。21世紀になってから日本の音楽シーン、ポップスシーンはずっと低調で暗闇の中にいるという状態だったので、やっと光が差してきたと感じたんですね。

ありがとうございます。

いい意味で、驚いたんです。自分のやってることが芸術だっていうことを、言い切っているという潔さみたいなのに驚いた。

当然あちこちから「何言ってるんだあいつ」みたいな反応が来ることは承知の上で、芸術だと言い切っていることの潔さ。こういう表現者がやっと日本の男性にも出てきた、ということの驚きが一つあった。それともう一つ驚いたのは、歌声の強さです。あの広い音域の幅のなかで、裏声の不自然さもないまま、ゆったりだったり、うねるようだったり、叩くようにと、どのようにでも歌えるっていう声の強さ。「こんなに歌える人がいるんだ!」っていう驚きがありました。だから、これは何かが変わる明らかな予兆だなとも思った。

過大に期待しているのかもしれないけど、でもそんな風に思ったのはほんとうです。

ありがとうございます。

それで最初にお聞きしたかったことは、自分の声に気がついたのは、いつ、どうして?

歌うことが好きではあったんですけど、自分の声は金輪際、好きになることはないと思っているんですよ。なので、歌うことを好きになったのは、物心ついた頃です。物心ついた頃には。

もう歌っていた、ということですよね。

はい、僕は全く覚えてないんですけど、親が言うには童謡を歌ったりとか、子供が聴くような童謡を積極的に口ずさんだりしていたらしいです。「こいのぼり」とか、「富士山」とか。

童謡が聴ける環境にあったの? 今は聴こうとしても、なかなか聴けないでしょ。

子供向けのもので、アンパンマンのおもちゃとか、そんなもんですよ。CDとかでは聴いてないです。それか車の中で聴かされて、なのかな? 記憶にないですけど。

僕も歌い手のことは、研究している立場なので。

そうなんですね。

僕はずっとバンドやアーティストのマネジメントとプロデューサーの仕事をやってきました。レコーディングでは歌録りに立ち会い、ミックスにも必ず携わるという形で30年ぐらいやってきた。でも、ちょうど10年前ぐらいから、作家として活動して行きたいと思って、「上を向いて歩こう」という歌がどうして日本語のまま、世界中でヒットしたのかを調べて本を書きました。その時に、「ああ、あのファルセットなんだ!」と。

「こぼれないように」という部分に。

そう、あの声が裏返る部分がキュートだったと、海外であの曲を聴いた人たちがみんな言うんです。アメリカではメキシコ系の人とか、アジア系の人とか、黒人の人に受けたんですね。「ああ、そういう人たちに支持されたから、アメリカでも世界でもヒットしたのか」ってわかった。それ以来、歌がどこから来るのかということや、どうして人は歌に感銘を受けるのかをテーマに研究しています。

そこで歌い手というのがいつ誕生するのかを考えた時に、だいたい2歳から3歳でほぼ決定していると思うようになりました。その時期に無意識に聴いていた歌に、どういう風に反応したのかというのが、歌い手の一番の根本になっている。次に思春期になると、たいがいは流行する歌を一回は通っているから、その時にどういう歌を選んで聴いたのか。この二つが重要で、でもそれは自分で決めるのではなくて、与えられた環境とか時代が決めるものです。

だから、歌との出会いを生かすのは、それ以降の自分の努力になるわけです。その2、3歳の時に出会った歌と、思春期になった時に何にどうぶつかったのか、それが今まで研究して見えてきたことです。

それはそうかもしれないですね。

小袋さんは何を?

僕でいうと最初、物心ついた時には、一番の原体験はビートルズですかね。親がビートルズが好きで。

やっぱりそこに行くんですね。親が聴いていた音楽ですか。

家にテープがあって、それを聴いていたのを覚えていますね。それと、父の世代ではないんですけど、田舎だったので、流行が10年遅れていて、ディープ・パープルとかイーグルスとか、ヴァン・ヘイレンとか。

お父さんはおいくつですか?

52、3歳ですね。だから多分それにしては下の世代すぎるというか。

でも、僕がリアルタイムでビートルズを聴いていたのは中学の一、二年。

日本武道館でやった時ですよね。

はい、1960年代でした。でも、日本でビートルズがほんとうに定着したのは、60年代ではなくて70年代になってからで、ベストアルバムの赤盤と青盤が出て、100万枚ずつ売れてからですよ。70年代のビートルズは、もうクラシック的な扱いだった。ベスト盤を聴いていたお父さんやお母さんの影響で、ポップスの萌芽みたいなものが植え付けられたっていうのは、アルバムを聴いていても、わかる気がします。

そういうことでいうと、まあいわゆるビートルズのコード展開のふくよかさとか、あとはカーペンターズとかも親の影響で聴いていたので。そういうのはあるかもしれないですね。

なるほどね。納得できる感じです。

そうですか。

新しいけど、なんとなく懐かしく感じられる作品の匂い

アルバムを聴いていると、そういう60年代、70年代のエッセンスみたいなものが、どこかしらから感じられる。だから僕ぐらいの年齢の人でも、「あ、新しいけど、なんとなく懐かしい」という風に受けとめられるはずです。

確かに、無意識のうちになんですけどね。なるほど。

で、思春期の時にもう少し自分が積極的にアプローチするようになった時には、どんな時代の何を聴いていましたか?

中学三年間はいわゆるJ-POPのトップテンヒットをよく聴いていました。理由はTSUTAYAの1位から10位までのランキングがあるじゃないですか。あれを借りて聴くのが日課だったんですよね。なので、洋楽もいわゆるビーチ・ボーイズとかは聴いていたんですけれど、あんまりハマんなかったですね。もっぱら邦楽でした。

邦楽でしたか。とりわけ、幾つか教えてください。曲でも、アーティストでも。

ケツメイシの「夏の思い出」とか、BoAとか、ORANGE RANGEとか、あとは、スキマスイッチでしたね。よく聴いていたという記憶はあります。

なるほどね、そうですか。

そうですね、中学三年ぐらいまでですね。高校からは日本で聴いていたのは、浜田省吾。ハマショーはなぜかはまっていて、あと尾崎豊。で、洋楽はブリットポップ全盛期だったんで、オアシス、ブラー、ガレージロック、ステレオフォニックスとか。結構雑食だったのでアイアン・メイデンとかも聴いていたし、あとアッシャーやクリス・ブラウンが出始めた頃なんで、それも結構聴いていましたね。シャーデーとかも。

バンドは? 組んでましたか?

組んでましたね。1、2回ですけど(笑)。友達と卒業の余興の一環でやりましたね。

大学入ってからは、方向的には経済学部でしたっけ?

経営学部ですね。

で、そこで学んだことを音楽の仕事に活用してと、何かのインタビューでおっしゃってた気がするんですけど。

そうですね。

その頃から音楽における表現に関して、やはり自分の中から突き上げてくるものはあったんですか?

全くなかったですね。

そうなんですか。

ゼロです。何がウケるか? っていうのを考える方が楽しかったですね。

1 2 >