佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 43

Column

水野良樹の解説で読む阿久悠の自伝的小説「無名時代」

水野良樹の解説で読む阿久悠の自伝的小説「無名時代」

何回も読んだことがある単行本なのに、文庫化されたものを読みなおすと、なぜかいつも新鮮に思える。
その逆は、ほとんどない。

「無名時代」はまだ「阿久悠」という名前で仕事を始める前、社会人になったばかりで無名だった頃の自分を描いた、自伝的な小説である。

必要があって最近、単行本を読み直したばかりだったが、文庫本が出たのですぐに購入した。
その内容を数行でまとめると、このようになる。

1959(昭和34)年春、兵庫県淡路島に生まれ育った芥洋介(阿久悠)は、明治大学を卒業して国民的人気テレビ番組「月光仮面」の制作会社である広告代理店宣友に入社する。洋介は広告代理店草創期のアナーキーな日常を過ごすなかで、それからの数年間を時代の風を受けながら駆け抜ける。
幸いなことに、洋介には一つの才能として、逆境を自虐的に面白がることのできる術が身についていた。薄給も、超重労働も、不遇も、精神的自虐も、世間に対する貸しだと思って受け入れて、”東京という永久に解明不能の不思議な国”で、いつかは何者かになれると信じて、洋介は必死になって頭を使い、他人の倍も働いていく。
そして広告業界ではなくテレビの世界で、放送作家として頭角を現して、音楽番組の企画に参加したことから制作にも関わることになる…。

表紙のイラストは阿久悠の朋友であり、小説のなかにも重要人物として登場する漫画家、上村一夫によるものだ。黄色いサングラスの中に、星条旗がはためいている。
この文庫本を手にとっただけで、当時のアナーキーな時代感覚が伝わってくる。

阿久悠は無名だった時代について、あとがきでこのように述べていた。

面白い時代などということは、数十年すぎてから思うことで、その時代を生きている最中に面白いと感じることではない。
時を経て面白さを構築するのは、不確定要素の多い時代ほどそうで、その時は、酸素欠乏に喘ぐ金魚のようにパクパクとし、出来れば金魚鉢から飛び出した方が楽だとさえ思いつづけていた。
もしも、そこで自虐的になる何物もなく、また最初から順調に歩いたりしていたら、決して面白い時代を感じるものを持ち得なかったであろう。

さて、愛読書が文庫になったときの楽しみは、巻末に書かれる解説である。
ソングライターの水野良樹の解説は期待に違わず、実に読み応えのあるものだった。
それは的確であるだけでなく、いくつもの示唆に富んでいた。

とりわけ「津軽海峡・冬景色」という名曲についての考察は、「お見事!」というしかない視点から語られていた。
それを読むだけでも、この文庫本を買う価値があるとさえ思えた。興味がある方には、ぜひとも購入をお薦めしたい。

もうひとつ、解説のなかで鋭いと感じたところを引用する。
なお文中の深田少年とは、阿久悠の本名の深田公之を指している。

『無名時代』を読んで、気づくことがある。
書かれていることよりも、書かれていないことにだ。
深田少年にとって、その後の人格形成に最も影響を与えたであろう結核の病について、何も触れられていない。深田少年にとって、その後の価値観形成に最も影響与えたであろう終戦の衝撃について、何も触れられていない。深田少年にとって、最も意識し、憧れ、嫉妬し、その太陽のごとき輝きを睨んで対峙することこそが、彼の内なる原動力となったであろうはずの、美空ひばりについて、何も触れられていない。

この文章を読んだら、もう一度、最初から読み直したくなった。
水野良樹はこの指摘の後に、こんな推論を述べている。
その語り口の鮮やかさに、何度もうなづかせられた。

何が言いたいのか。
阿久悠と呼ばれたあの男は、おのれの過去さえも、おのれの人生さえも、阿久悠にしようとしていたのではないか。深田公之という人間を、阿久悠という虚構に捧げようとしていたのではないか。膨大に残された彼の自分語りは、もしかしたら、本来の意味での「自分」語りではなかったのではないか。阿久悠という虚構を、過去にわたってまで完成させるための、壮大な物語の生成ではなかったか。

阿久悠さんがあの世で、はにかんでいる笑顔が目に浮かんだ。


阿久 悠氏の関わる楽曲一覧
水野良樹氏の関わる楽曲一覧

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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