黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 15

Interview

『鉄拳』原田勝弘氏(上)文武両道な少年はいかにしてナムコ社員になったのか

『鉄拳』原田勝弘氏(上)文武両道な少年はいかにしてナムコ社員になったのか

ゲームをやってるときの背徳感がもうヤバかったんです

原田 だけど、親とかPTAは理解してくれなくて。自分の学校区でやってると、すぐにバレるから校区外に行くじゃないですか。でも、多分その学区のPTAと連携していて連絡がいくんでしょうね。すぐに先生とPTAが来て、しょっぴかれるというか連れていかれ。翌日にヤンキーみたいなヤツから僕みたいにただただゲームがやりたいヤツまで、全員同列に並ばされて、全校生徒の前で「僕はゲームセンターに行きました、すみません」って謝罪させられる。そういう時代だったです。

ええ~? そんなことさせられるんですか。

原田 はい、親も激怒ですよね。「何を考えてるんだ」って感じで。

やっぱりそうはなってほしくなかったわけですよね、親御さんとしては。

小学生時代 エレクトーン発表

原田 いっぱい習い事をやったし、塾とかにも行ってましたからね。でも、習い事に行く合間を利用してゲームセンターに行ってたし、部活が早めに終わったときにも、まだ部活があるフリをして立ち寄ったりとか、そういうことばっかりやってました。だからでしょうね。僕の中でゲームをやるのは面白いことであると同時に、とっても後ろめたいことでした。やっぱり教育って恐ろしいですよ。今になって考えればゲームをやる事なんて悪い事じゃない。だけど、当時はもうゲームをやってるときの背徳感がヤバかったんです。

親には100円、50円を入れても返ってくるものがないじゃないかって言われてましたね。リターンがない、まだガチャガチャの方がいいって。大人になれば体験にお金を払うっていうのは、なんら不思議なことではないと分かりますけど、子供の頃はそんな理屈はないので、そういう風に言われると、確かにボクは何にお金を払っているんだろうってなるんです。バカだから真に受けちゃうんです。けど、面白い。ということは、僕はひょっとして中毒なのかな、ぐらいに思って、ドキドキしながらやるわけですよ。で、PTAの人が後ろに立ってたときのドッキリ具合ったら、ありゃしない。

野球、テニス、ヨット、美術、文武両道の教育方針のなかで

厳しい時代ですね~。

原田 だから、PTAのおじさん、おばさんのいい人・悪い人の区別は見つかったときの、このワンゲームを待ってくれるか、途中で中断させて補導するかの差でしかなかったですもんね。今から思うと「ゲームやって何が悪いんだ」ですけど(笑)。

そうですよね。朝礼でお詫びなんてありえないですよね。

原田 ありえないですよ。でもそういう時代でした。なんでゲームやって怒られなきゃいけないんだと思いますよ。むしろゲームから学んだことも多かったと言いたいです。

そのあと大学に入られるわけですが、なぜ東京の大学を選ばれたんですか?

原田 僕は親からスポーツをやれと言われていたんです。なので、小学生のときから野球やらテニスやらいろいろやっていて、15歳からヨットを始めたんです。

ヨットですか。すごい家庭ですね。

原田 不思議な家庭なんですけど、とにかく文武両道が方針で。でも、僕はオタク要素が非常にあったんで、ちっちゃい頃からデッサンをしたり、イラストやマンガを描いたりしていたんです。なので、東京かどうかはともかく本当は芸大に行きたくてしようがなかった。

原田氏の描いたイラスト(サイン入りイラスト色紙)

そちらの方面が志望だったんですか。

原田 はい、中学校のときも関西で行ける範囲の美術系のある学校を受験して受かってました。ただ、親は受験して自分の実力を試すのはいいけど、そのあとはいわゆる公立の普通科の高校に行きなさいと。どういう意味で言ったのかはあんまり詳しく覚えてないですけど、とにかく、絵の道に進むのはやめてほしかったんでしょうね。

幼稚園から高校卒業するまで無遅刻無欠席無早退

高校時代

まあ、それはね……厳しい世界ですから。

原田 だいぶ言われました、画家になってもなかなか食っていくのは大変だぞと。僕は画家の本を大量に買ってもらっていたんです。その画家の描いた絵だけでなく生い立ちとかが書かかれているんですけど、親からお前その本をちゃんと読んでるか?いまでこそ著名な画家でも、現役時は売れなかったりする世界だぞ、一握りの人間だけがやっていける世界だぞ、というような話をされて。

それで、高校のときはあきらめたんです。で、そのときに、お父さんとかお母さんとかPTAとか、いわゆる「親世代の大人たちに、どうしたら認められるのか?」というのを、自分なりに凄く考えたんです。それで、恐らく学校の成績もスポーツもよければ、つまり文武両道でどちらも指折りの成績なら殆どの大人はきっと認めてくれるだろうと考えた。だから、僕は高校のときはもう勉強と部活ばっかりやってました。部活の帰りにこっそりゲームセンターに行くのはやめませんでしたけどね。

ああ~。

奈良県 国体入賞(高校時代)

原田 なので、勉強はそこそこちゃんとしてました。部活に関しても僕は高校のときからヨット部で国体とかに出ています。奈良県って海がないじゃないですか。だから、平日は田んぼの溜池で基本動作の練習とかするんです。直径150mほどで超狭いんで、実戦練習にならないんですけどね。ヨットのルールブックや気象学の本を読んで勉強もして。ヨットは揚力で走るんで航空幾何学の勉強も本を読んでしてました。で、土日だけ芦屋のヨットハーバーに行って、実際に海で練習すると。

そうやって僕はまず高校時代に国体で8位入賞して表彰台に乗ったんですよ。海なし県でも、ここまでできるってことを証明した上に、僕は学校の授業もしっかり受けてました。なにせ幼稚園から高校卒業するまで無遅刻無欠席無早退という真面目さでしたから。あと学校成績の評定平均値っていうのがけっこう高かったんですね、そのおかげでいろんな大学に自己推薦できました。まさに親に言われたとおりの文武両道ですよ。これなら認められるだろうと。お父さん、お母さん、僕はここまでやりました。なので、芸術大学に行きたいですと。そういうつもりだった。

奈良県 高校時代 国体

「絵を描けたらあらゆるものになれる、つながってる」と信じていた

すごいですね。

原田 芸大に行くための予備校にも部活をしながらこっそり1年間ですけど通ってました。試験用のデッサンやデザイン画を規定時間で描くとか、そういう試験対策までやって、万全の準備をしたんです、で、親もいくつか芸大を受けるところまでは認めてくれたんです。受験料まで払って受験票まで手元に来ていました。でも、いざ受けるとなると、やっぱり同じことを言われるわけですよ。お前、芸大行ってどうすんだ、将来は何者になるつもりなんだと。いや、俺は絵が描きたい、絵で食っていきたいって言うと、お前そんなヤツ何人いると思ってんだって。これは参ったな、高校受験時代と結局同じことが起きてる、やっぱりループしてるぞと。

そのときはまだゲームっていうところには直結はしてなかったんですけど、当時は「絵を描けたらあらゆるものになれる、つながってる」って僕は信じていたんですね。マンガ、アニメ、ゲームという僕の好きなオタクの世界に行けるだろうと。でも、親は今うまくいってるんだから、芸大ではなくいわゆる普通の大学に行きなさいと。当時は中央大学の法学部だとか早稲田大学だとか、そういうところも受けて、受かったらそっちに行けって言われたんです。

そういう経緯だったんですか。

原田 で、それはそれで簡単には受かるまいと思っていたんですけど、数校受けて全部合格しちゃったんですね。

それは素晴らしいですね。

原田 そうなんですけど、ある意味、親との賭けに負けたような状態になったんです。なので、もう1回思い直したんです。よし、大学卒業までは親の、そして世間の大人達の期待に応えようと。なぜならば学費を出してもらうわけですから。


続きは第2回インタビュー
5月14日(月)公開

『鉄拳』原田勝弘氏(中)ゲーム業界を選んだ理由とは

『鉄拳』原田勝弘氏(中)ゲーム業界を選んだ理由とは

2018.05.14

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】

くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。

< 1 2 3
vol.14
vol.15
vol.16