佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 45

Column

「約束は要らないさ またきっと会えるから」と春日博文が歌うのを聴いて思い出したロック黎明期の頃

「約束は要らないさ またきっと会えるから」と春日博文が歌うのを聴いて思い出したロック黎明期の頃

日本のロックが黎明期だった1970年代にカルメン・マキ&OZを率いて活躍したギタリスト、hachiこと春日博文が64歳にして発表した日本語によるソロ・アルバム『独りの唄』が素晴らしい。

ウクレレ中心のサウンドは深味があってあたたかく、人なつっこい感じで、歌声は若くて瑞々しい。

バラエティに富んだオリジナル作品はどれも新鮮だし、ジャズやカリプソのインストゥルメンタル曲も心地よい。

朋友だった忌野清志郎が書いた作品を2曲カヴァーしているが、少年時代のキヨシローさんが傍で一緒に歌っているのではないか、そう錯覚しそうになるくらい馴染んでいる。

どこか殺伐として息苦しさが漂う2018年のこの国で、こんなに心がほっこりする音楽に出会えるなんて、奇跡的なことのように思えた。

そこであらためて遅咲き(!)のアーティストhachiの足跡をたどってみると、 カルメン・マキと出会ってカルメン・マキ&OZを結成したのが1972年で、彼はそのとき18歳であった。

彼らは1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビューし、翌75年1月にファースト・アルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリースしている。

hachiは20歳にしてプロとして認められ、日本のロックシーンに足を踏み入れたのだから早熟だ。
ギタリストとしての技量だけでなく、アレンジや構想力にも秀でていたのだろう。

ぼくは彼らをプロデュースしていたキティ・レコードの金子章平さんから、発売の1ヶ月前くらいに試聴用のカセットテープでアルバムの音源をいただいたのだが、それを聴いてロック史に残る傑作だと思った。

なかでも圧倒的な存在感を放っていたのが「私は風」で、こういう楽曲がヒットチャートを駆け上がる時代になってほしいと願ったものだ。

音楽業界誌「ミュージック・ラボ」の取材で、マキさんとともにアルバム制作の話や、展望、希望といった先々のことをお聞きしたのは、レコードの見本盤が出来た頃だったと思う。

ずっしりと重いLPレコードを手にして、力作の重みを感じたことを覚えている。

春日博文はぼくより年下のはずなのに、ずっと大人に見えたし、話をしていてもバンドのリーダーらしく、言葉の端々から強い意志がみなぎっていた。
その全身から放たれるエネルギーには、なみなみならぬ野望を抱いている感じがあった。

彼らはその年の5月に、グランド・ファンク・レイルロードの来日公演で、オープニング・アクトを務めることになった。

それを告知する広告が載った「ミュージック・ラボ」を、ぼくは今も手元においていて、たまに見ることがある。

キャッチコピーひとつにも力が入っているし、アルバムのセールスはかなり良かった。

ぼくはそうした動きのなかで、音楽シーンの主流だったポップスや歌謡曲を外して、日本のロックとフォークに限ったヒットチャートを作る必要性を感じた。

そして企画書を書いて、時代のうねりを雑誌に反映すべきだと、ミュージック・ラボの社長に直訴した。

そんな大胆な行動をとる引き金になったのが、井上陽水と小椋佳のアルバムが売れ続けているところに、ロックのカルメン・マキ&OZ が加わったことで、ますますキティ・レコードの快進撃が加速したことだった。

企画を認めてもらって4月から連載のページを始めると、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」でブレイクし、ナイアガラ・レーベルを始めた大滝詠一がシュガーベイブを世に送り出した。

5月には『ナイアガラ・ムーン』が出て、細野晴臣も6月に『トロピカル・ダンディー』を発表するなど、時代の風が吹き始めたことで、ぼくはそれらのアルバムを大きく取り上げる記事を作った。

カルメン・マキ&OZはちょうどその頃に、グランド・ファンクのツアーで名古屋、京都、大阪とまわり、5月22日と23日には日本武道館でのライブを行った。

最終日には日米のバンドが一緒になってサヨナラ・パーティが開かれたというから、得るものも大きかったのではないか。

やがて彼らは世界のロック・シーンも視野に入れて、4ヶ月の時間をかけてロサンゼルスに滞在してレコーディングを敢行、1976年にセカンド・アルバム『閉ざされた町』を発表する。

ぼくはその頃からバンドのマネージメントに携わるようになり、ほかのアーティストの作品をじっくり聴く時間的な余裕がなくなった。

1977年 にカルメン・マキ&OZが解散した後、春日博文は RCサクセションにギタリストとして参加するなどして、次第にプロデューサーの仕事が増えていく。

そして1980年代後半からは韓国のソウルに活動の拠点を移し、ミュージシャンのプロデュースを数多く行っていくなかで、自らも東京ビビンバクラブや2人組のHachi&TJ、ソロでも作品を発表してきた。

そんな音楽活動を経て到達したのが、シンプルで人間味あふれる『独りの唄』なのである。

1996年に春日博文がプロデュースを担当して制作されたカルメン・マキのソロ・アルバムが 『UNISON』に、忌野清志郎が提供した「ムーンビーチの砂の上」を聴いていると、さまざまな物語が歌の向こうに息づいているのが伝わってくる。

忌野清志郎と三宅伸治が作った「約束 」も、素朴で真っ正直な生き方をしてきたバンドマンやミュージシャン、音楽家たちだけに通じる交流が感じられて、なんとも清々しい思いにつつまれる。

「約束」作詞作曲:忌野清志郎、三宅伸治

約束はしないけど また今度会いたいな
ありがとう 夢のような 暖かいこの夜を

月が照らす帰り道 君のことを想い出して
今度いつ会える

約束は要らないさ またきっと会えるから

忘れない今日のこと また今度会いたいな
音楽を忘れないでいれば、会いたいと思えば、また会えるのだ。
カルメン・マキ&OZの楽曲はこちらから

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか

著者:佐藤剛
出版社:文芸春秋

三島由紀夫、中村八大、寺山修司・・・・・・

時代を彩った多くの才能との邂逅、稀代の表現者となった美輪明宏の歌と音楽に迫る、傑作ノンフィクション!

「自分以外の人によって、己れの人生を克明に調べ上げ語られると、そこには又、異なる人物像が現出する。歴史に残る天才達によって彩色された果報な私の人生絵巻が、愛満載に描かれていて、今更ながら有難さが身に沁みる」――美輪明宏

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