Interview

山崎育三郎 初めて作詞を手がけた新作は大切な人に手紙を書くように。歌声に込めた思いと今後のビジョンを訊く。

山崎育三郎 初めて作詞を手がけた新作は大切な人に手紙を書くように。歌声に込めた思いと今後のビジョンを訊く。

1stライブツアー“Keep in touch”も大成功を収めた山崎育三郎が、『Beginning』に続き早くも新曲を発表する。今回は自身初の作詞曲。ツアータイトルであり、以前からとても好きだったという言葉『Keep in touch』を曲名にしたこの曲、夢を追い求めていた10代の頃の自分に想いを重ねた歌詞はもちろん、ピアノの音色で始まりどんどん熱くドラマチックに展開していく曲調も聴きどころ。特にラストの総勢30人によるゴスペル調のボーカリゼーションは鳥肌ものだ。今後の活動にさらなる期待をしたくなる、3枚目のシングルである。

取材・文 / 前原雅子 撮影 / 大庭 元

いろんな人に支えられて自分が今ここにいると思う気持ちを、今改めて曲にしたいと思ったというか

初めて作詞を手がけた『Keep in touch』は曲名が今年1月に行われた1stライブツアーのタイトルと同じですね。

もともと『Keep in touch』という言葉がすごく好きで。高校で留学したときに知った、「ずっと繋がっていようね」「また連絡とりあおうね」っていうような意味の言葉なんですけど。例えば僕が日本に帰国するときもみんなに言われたし、手紙の最後に書いたりします。すごくいい言葉だなと思って印象に残ってたんです。

それを、まずツアータイトルを考えるときに思い出した?

そうですね。この数年、それまでやってきたミュージカルというジャンルではない新しいことに挑戦するなかで、本当にいろんな人に支えられて。特にファンの方や今まで応援してくれていた方は、僕が全く違う世界に行くことに対しての不安もあったと思うんですけど、それでも応援して支えてくれて。今回のライブツアーは、そういうみんなとの繋がりを感じられるものにしたくて『Keep in touch』というタイトルにしたんです。

そのツアーから曲のきっかけを掴んだわけですか?

そこでの手応えもありましたけど、実はジョシュ・グローバンが歌ってる『ユー・レイズ・ミー・アップ』が大好きで。ディナーショーとかいろんな場面で歌ってきてたんですけど、ずっとああいう曲を書きたいって思ってて。で、ファンの方に限らず、スタッフも、家族も、仲間や友人も、いろんな人に支えられて自分が今ここにいると思う気持ちを、今改めて曲にしたいと思ったんです。

大切な人に手紙を書くような感覚で書いていきました

そうした、ずっと胸にあったいくつかの想いを今回曲にしてみようと。

はい。それでまず歌詞から書き始めて。ただ作詞はやったことがないので、あんまり考えすぎず素直に思ってることを大切な人に手紙を書くような感覚で書いていきました。

最後のほうは英語詞になっていますけれど、これも書いていってるうちに英語のほうがしっくりくるなと?

いや、その部分はコーラスのパートとして考えていきました。それを踏まえて作曲家の方と一緒にサウンド的な聴こえ方も含めて考えていって。曲に関しては「こういう曲に」というイメージを伝えてディスカッションしながら作っていったので。

ピアノと歌だけで始まった曲が、どんどん盛り上がっていって最後はゴスペル風なコーラスワークになる展開も、最初からあったアイデアですか。

そうですね。最初が“ピアノと歌”っていうイメージは、かつての自分の姿をそこに重ねたからです。僕は子役でデビューしたあと一度辞めて、そこから『レ・ミゼラブル』のオーディションに受かるまでレッスンというか、トレーニングというか、そういう時間が長かったので。

子どもの歌も、女性の歌も、大人の男性の歌も、なんにも歌えなくなって……。

辞めたのは変声期のためでしたよね。

そうです。声変わりしたときに何も歌えなくなってしまったので。あれは子役で歌を歌っている男の子にしかわからない気持ちだと思うんですけど、すごいショックで。自分の頭のなかにはボーイソプラノみたいな声で歌ってるイメージがあるのに、高いキーの声が1音ずつ出なくなってくるんですよ。最初は「あれ? 風邪ひいたかな?」と思ったんですけど、そうじゃなくて。

怖いですね。

怖かったです。僕、SPEEDのhiroちゃんが歌うキーを地声で歌えてたんです。ところがだんだん「あれ? ……あれ? おかしいな……」って思い始めて。だからといって、じゃ下は出るようになるかというと、下は下で低い音が全然伸びていかないんです。一方的に上だけ出なくなってくる。そうなると音域が1オクターブもなくなってきて、子どもの歌も、女性の歌も、大人の男性の歌も、なんにも歌えなくなって……。ミュージカルの活動というか芸能の仕事をすべて辞めたんです。

それを、まずツアータイトルを考えるときに。

思い出しました。僕はもともと人前に出ることが嫌いだったので、歌うことが唯一の自信だったり生きがいだったところがあって。それがなくなってしまったものだから、落ち込みましたよね。そこで辞めないという選択もあったと思うんです。実際、当時の事務所の人は「今は歌えないけど、ドラマに出たり、お芝居のほうをやればいい」って言ってくれましたし。

でも辞める決断をした。

自分としては「ミュージカルのステージにもう一回立ちたい」っていう気持ちが強かったので。そのときに出会ったのがクラシックの先生だったんです。ニューヨークとかロンドンではミュージカル俳優になりたい人は、クラシックを勉強してるからやってみないかって。クラシックがどのように役立つのかわからなかったですけど、ミュージカルをやるために必要ならやってみようかなと。それが中3で、そこからピアノを始めて。先生の家に泊まり込みで毎日ピアノを弾いて、半年間、必死に頑張って。なんとか音大付属高校入れてもらい(笑)。

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